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カメラは不便な機械
情報社会
良し悪しは問わず、常に膨大な情報が入ってくる・入れられる世界に生きている。自宅の椅子に座っていても、電車に揺られながら吊革を掴んでいてもデジタルな画面を見つめている自分がいる。ただ、それを全くやめるということも想像できない。これがどこから来る感情なのかは分からない。単純に、誰かとの関わりを求めている可能性もある。
カメラは写真や動画を撮る機械。撮る際にはファインダーや液晶を見つめる。それらが無いカメラもあるが、いずれにしても自身の目で今から撮る先を見ているはずだ。その一瞬、私は何となく心穏やかになる感じがする。また、その間は頭の中のあれこれをすべて忘れられる。実は写真以上に、カメラで写真を撮る行為自体が好きなのかもしれない。
不便な機械
スマホでも綺麗な写真が撮れる。けれど、カメラを構えている時とは自分の中でのモードは違う気がしている。結局、フィルムでもデジタルでも写真をSNSなどで共有しようとすればデジタル機器を通過しないといけない。そういう意味ではスマホで撮っても同じなんだけど、そこでは無い部分に惹かれて自分はカメラを使っているんだろうと思う。
おそらく、スマホのカメラが進化してもカメラは無くならない。そう願いたい。カメラに最新トレンドニュースが表示されることはないし、タクシーを呼ぶ機能などもない。写真や動画しか撮れない“不便な機械”だ。なのに、それなりにお金がかかる。コスパなどとは逆の存在。それでもカメラを使う意味を、私たちは言葉にできずとも感じているはずだ。
不便な機械による写真たち
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ここに正解はない。
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