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【第9回】美人を決めるのは文化か本能か(前編)

美は文化に左右される?

 人は誰もが異性(同性の場合もある)の顔や体形に対して、自分なりの好みを持っている。よく「見た目の好みは人それぞれ」とは言われるものの、世の中には人気のある容姿と人気のない容姿があることは誰にも否定できないだろう。もし容姿の好みが人によって完全にランダムであるのなら、モデルやアイドルといった職業は成立していないはずである。
 
 こうした人気の偏りは文化によるものなのだろうか、それとも生き物としての生まれつきの感性によるものなのだろうか。進化心理学では(根源的なレベルでは)後者であると考えられている。

 この見た目の美醜というのは際どい問題である。特にここ数年で「ルッキズム」、つまり人を見た目で差別したり、人の身体的特徴をからかったりする言動は世界的に厳しく非難されるようになってきた。今回の東京オリンピック開催に至るまでの過程でもそうした騒動があったことは記憶に新しい。私だって自慢できる容姿をしているわけではないし、ルッキズム的な態度は世の中からなくなった方が良いと思っている。

 ただ、ある人が、どのような顔や体形を好ましいと思うかは完全にその人の自由であり、その感覚自体は否定されるべきではないだろう(その感覚に基づいて人を傷つける振る舞いが良くないのである)。
 今回と次回ではそうした美的感覚の生得的な起源について検討していきたい。この「美の普遍性」は進化心理学の定番のトピックであり、連載の今後にもつながっていくため、とりあげないわけにはいかないのである。

 どのような容姿を好ましいと見なすかは、国や文化や人種によって、また時代によっても異なると言われることが多い。これは女性の容姿に関して特に指摘されることである。

「メディアの影響だ」論

 社会学的な説明としてよく見かけるのはこうである。「メディアや広告業界が恣意的な美のイメージを押し付けている。私たちはいつもテレビや広告で、目鼻立ちがはっきりしていて、胸とお尻は大きいが腰はくびれた体形(もしくは全体的にスリムな体形)の女性を目にしており、それが理想美だと刷り込まれているのだ」と。ここまで露骨な言い方がされることは少ないにしても、だいたい似たような理屈が語られがちである。

 しかし、これには単純な反論があり得る。原因と結果が逆ではないのか、と。人々が最初から上記のような女性を好むからこそ、業界もそうしたモデルやタレントを起用することで儲けることができるのではないだろうか。
 確かに人は環境から影響を受けるのでメディアが画一的な美のイメージを強化している面はあるだろう。だが、それはあくまで元々あったイメージを強化しているに過ぎず、ゼロを100にまで引き上げているとは考えにくい。

「○○族ではこれが美人だ」論

 比較文化論的な観点から「美の基準は多様なのだ」と主張されることもある。note内で見つけたものだと、哲学者の高橋昌一郎が以下の記事の中で「世界における10の奇妙な女性美の基準」という海外の動画をあげている。


この動画では

八重歯がかわいいとされる日本の女性
(日本で八重歯フェチがそれほど一般的だとは思えないが、、)
耳たぶに巨大な穴を開けて様々なアクセサリーをつけるマサイ族の女性
下唇に巨大なお皿を入れるムルシ族の女性
首にリングをはめて首を長く見せるカヤン族(いわゆる首長族)の女性
とにかく太っていることが良しとされるモーリタニアの女性
髪の毛を泥で固めてドレッドのようにするヒンバ族の女性
ナイフやカミソリで皮膚に傷をつけ模様を作るカロ族の女性
顔に入れ墨をするマオリ族の女性

などが紹介されている。日本人の感覚からするとギョっとするような衝撃的な身体改造を行う民族もあり、これをもって高橋は、美意識は文化に依存するのだと書いている。しかし、100%そうだと言い切れるだろうか。見た目の美しさには

・顔立ちや骨格・体形といった、先天的でほぼ変更不可能な要素
・髪型や服装、身に着ける装飾品、入れ墨や各種の身体改造といった、変更可能な要素

の2種類があると思うのだが、上で紹介されている動画ではその両方が混在している。後者については確かに文化によっていかようにも変わるが、前者については普遍的な何かがあるのではないだろうか。

 それに、物事にはなんでも標準と例外がある。この動画であげられているのは少数の特殊事例かもしれず、これだけを見て美的感覚には何の規則性もないと結論づけるのは早計だろう(高橋はそこまでは言ってないが)。

「○○時代はこれが美人だった」論

 過去と比較して「美の基準は移り変わる」と主張されることもある。よく引き合いにだされるのは日本の平安時代の女性である。12世紀前半ごろに作成されたという『源氏物語絵巻』に描かれている貴族の女性たちは、丸い輪郭・ノッペリした顔立ちをしており、現代で言う美人とはかなり異なる。

 しかし、これは引目鉤鼻(ひきめかぎはな)と呼ばれる絵画技法だそうで、実際の見た目を忠実に再現したものではないらしい。
 身分の高い女性の顔を、下膨れの輪郭、ボヤっとした眉毛、切れ長の細い目、くの字形の鼻、小さな口という組み合わせで描くのが一つのお約束だったようで、身分の低い人たちを描く際はこの技法は使用されなかったという〈1〉。

 また、「源氏物語」では主人公の光源氏が「自分はなんでこんな大したことない年上女に恋してしまったんだろう… 」と焦る場面があるらしく、その女性のことを「目が腫れぼったく、鼻が低く、年相応に老け込んでいる」と描写する記述があるそうだ(でも惚れてる)。裏を返すと、それとは逆の見た目がこの時代でも良しとされていたことになる〈2〉〈3〉。

 ただ、引目鉤鼻という技法があえて使用されていたということは、やはりそういう顔立ちが理想とされていたのだと解釈することもできる。なにせ800年以上も前のことであり、本当のところはわからないと言うしかない。

平均顔が最強?

 顔の魅力の普遍性について最初に研究したのは、ダーウィンのいとこであった19世紀の遺伝学者フランシス・ゴルトンである(この人は優生学の提唱者でもあり現在はあまり評判が良くないのだがここでは置いておく)。
 ゴルトンは当時発明されたばかりの写真の重ね焼き技術を使って、たくさんの顔の画像を合成するとどう見えるかを検討した。
 
 実はゴルトンの当初の目的は魅力的な顔を探求することではなかった。彼は殺人や強盗を犯した者の顔を重ね合わせて悪人に共通する特徴を見出そうとしたのだ。凶悪犯の顔ばかりを合成していけば「究極の犯罪者顔」ができあがるはずだと考えたらしい。
 
 ところが、多くの犯罪者の顔を合成していくほど、どういうわけか悪人顔ではなく格好いい顔に近づいてしまった。たくさんの顔を重ね合わせるほど、輪郭、目や鼻や口といった各パーツの大きさ・形や位置関係などが平均化されていくわけだが、そうして作り出された顔はかなり魅力的に見えたという。このことからゴルトンは、人間の顔は平均化するほど(男女ともに)魅力的な顔になっていくという仮説を提唱した〈4〉〈5〉。

本格的な検証

 この平均顔仮説の精密な検証が行われたのは、ゴルトンの時代から100年以上たってからのことである。心理学者のラングロワとログマンは、1980年代から90年にかけてコンピューターによるデジタル処理で平均顔を作り、その魅力度を複数の人に評定してもらう実験を行った。
 
 男女96人分の顔写真を用意して、男女それぞれについて2人、4人、8人、16人、32人の合成顔という5つのパターンを作り、それを大学生男女の評定者に見せて魅力度をランクづけしてもらったのである。
 その結果、合成顔の方が個々の実在の人物より魅力的とみなされ、しかも、合成する顔の数を増やすほど(例えば16人の顔を混ぜたものより32人の顔を混ぜたものの方が)魅力度が増すと評価された。ラングロワらはこれを「魅力的な顔は単に平均的な顔である」という題名の論文で1990年に発表している〈6〉〈7〉〈8〉。
 
 ローズらが日本人を対象に同様の実験を行っている。日本人女性の顔について、2人、5人、10人、20人、30人の合成顔という5つのパターンを作り、実験参加者に評定してもらったところ、やはり個人の顔より合成顔の方が、また、より多人数の合成顔の方が魅力的だと評価されたという(2002年発表)〈9〉。

顔の魅力の普遍性

 ラングロワは80年代後半にこういう実験も行っている。まず人々の顔を映した写真を数百枚用意して大人たちに魅力度を評価してもらう。その上で生後3か月と6カ月の乳児たちに同じ写真を見せたところ、どちらの乳児も大人が高い評価をつけた写真をより長い時間見つめたという〈10〉〈11〉。
 さらに、生後12カ月の幼児を、美しい容貌のマスクをつけた人と遊ばせた時と、醜い容貌のマスクをつけた人と遊ばせた時とで比較すると、前者の方が幼児がより喜び、不機嫌にならず、遊びに熱中したという〈10〉。

 顔の好みが人種や民族を超えて普遍的であることを示す研究もある。心理学者のマイケル・カニンガムがさまざまな人種・民族の人々に、他の人種・民族の女性の写真を見せ、どの女性が魅力的かを評定してもらったところ、魅力的か否かの判断は当該の人々とほぼ一致したそうだ。
 例えば、アジア人の男性が魅力的だと思うアメリカ人女性の顔は、アメリカ人の男性が魅力的だと思う顔と一致し、その逆も同様だった。こうした一致は、中国人、インド人、イギリス人の間でも、南アフリカ人とアメリカ人の間、アメリカ人の黒人と白人の間でも確認されたという〈10〉。

 どの実験にしても、「魅力的ではない」と判定された写真の人物にしてみれば失礼な話だし、前述のとおり人の見た目の良し悪しに言及することへの批判がかつてなく高まっているこの2020年代では、こんな実験はもう実施できないかもしれない(その意味では貴重な記録だと言える)。

 だが、モラル的な問題は別として、これらの結果をありのままに受け止めれば、人間にはより平均的な顔立ちを好む性質があり、それは文化の違いに関わらず誰もが生得的に持っている感覚なのだと考えざるを得ない
〔次回に続く〕



〈1〉倉田実『絵巻で見る 平安時代の暮らし 第2回 絵巻を読み解くために』三省堂、2013.4.27
https://dictionary.sanseido-publ.co.jp/column/emaki2
〈2〉堀江宏樹『意外! 平安美人は、現代の美人像と変わらない「目鼻立ちはっきり、スリム体型」だと判明』マイナビウーマン、2014.7.17
https://woman.mynavi.jp/article/140717-47/
〈3〉『平安美人は現代ではただのブス…は嘘だった!?顔の特徴・現代と比較画像も』YOTSUBA、2021.1.21
https://akanbo-media.jp/posts/5907
〈4〉ジョン・H・カートライト『進化心理学入門』鈴木光太郎・河野和明訳、新曜社、2005、p.79
〈5〉越智啓太『美人の正体 —外見的魅力をめぐる心理学—』実務教育出版(kindle版)、2013、第4章-01
〈6〉前掲書、第4章-01
〈7〉前掲『進化心理学入門』p.79-80
〈8〉デヴィッド・M・バス『女と男のだましあい —ヒトの性行動の進化—』狩野秀之訳、草思社、2000、p.96
〈9〉前掲『美人の正体』第4章-01
〈10〉前掲『女と男のだましあい』p.95
〈11〉『生後3カ月の赤ちゃんでも美人を見分けられる! 人間が感じる「美しさ」のナゾ』ダ・ヴィンチニュース、2015.4.5
https://ddnavi.com/news/234138/a/

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