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【1】男女の非対称

とにかく結婚しない日本人

 2021年版「人口統計資料集」によると、日本人の生涯未婚率〈1〉は男性が23.37%、女性が14.06%だという〈2〉。これは5年に1回の国勢調査で出される数字で、現在(2021年5月末時点)確認できるのは2015年調査時のデータである。
 過去の推移を見ると1990年以降急激に上昇中である。これから発表される2020年調査時の数字も間違いなく前回より上昇しているだろう。日本には事実婚という習慣がほとんど定着していないので、これはそのまま単身者が激増していることを意味する。また、日本では婚外子の比率が非常に少ないので未婚率の上昇は少子化の直接の原因でもある。みんなどうしてこうも結婚しない(できない)のか、あるいは恋愛しない(できない)のか。

男女は性的に違う

 これを読んでいる皆さんの多くは、一般に(あくまで一般にではあるが)男性は若くて容姿の良い女性を好むこと、女性は頼りになり経済力のある男性を好むことを知っているだろう。
 また、話しかける、連絡先を聞く、最初のデートに誘う、2度目・3度目のデートに誘う、セックスに誘うなど、恋愛のどの段階でも男性が女性に対して積極的に働きかける場合が多いこと、というか、男性にある程度積極性がないと交際自体が始まらないことも一種の常識として知っているだろう。

 さらに言えば、男性は交際する相手を(女性ほどには)えり好みせず、特定のパートナーがいても浮気しがちであり、恋愛感情がない(どころか全く面識のない)女性に対しても性的な欲望を持つ傾向があること、逆に、女性は慎重に交際する相手を選び、浮気する人の割合は(男性ほどには)多くなく、ただの他人でしかない男性をいきなり性的な対象として見ることめったにないこと、これも多くの人がなんとなく心得ているだろう。

 このとおり、男性と女性とでは性的なパートナーを選ぶ際の基準や、異性に対しての欲望の在り方が明らかに違う。異性の好みや性の在り方は人によって、また文化によって非常に多様ではあるものの、全体的には上にあげたような男女差は確実にあると言える。これは誰もが知っている当たり前の事実である。
 そして私は、未婚化・晩婚化はもちろん、ネットで日々紛糾している男女格差やフェミニズム、ミソジニー、弱者男性論、性犯罪などをめぐる話は、この「男女は性的に違う存在である」という当たり前の事実を起点にしなければ適切に考えることができないと思っている。

 しかし、こうした話題は毎日のようにネットニュースにあがってくる割に、この「性の非対称」を明確に意識した言論を展開している人というのは、新聞やネットなどの商業メディアではほとんどいないように思える(例外は作家の橘玲くらいだろうか)。

山田昌弘『モテる構造』の不自然さ

 性の在り方をめぐる研究は社会学やその一大分野であるジェンダー論で大変盛んである。しかし、それらの分野においても、例えば「男女の配偶者選択の仕方の違いを基に未婚化について考える」といった試みは、少なくとも一般向けの書籍ではほとんど見かけない。
 私が探した限り唯一そうした観点から書かれた本として、社会学者の山田昌弘による『モテる構造 男と女の社会学』(筑摩書房、2016)がある。

 しかし、この本、人の行動を何もかも文化的要因で説明しようとする社会学のお約束に終始貫かれており、全体的に事態の片面しか見ていない印象を受ける。詳しくは後々とりあげようと思っているが、山田は、男女で「モテ」の基準が異なることを近代に特有の社会構造によるものだと説明しており、それが生物としての生得的な(つまり生まれつきの)違いに由来している可能性をほとんど無視している。検討すらしていないのである。

 これはちょっと学問的な誠実さに欠けるのではないだろうか… 。「○○は近代社会特有の在り方であって絶対的なものではない、別の可能性もあるはずだ」という分析は社会学の得意とするところであり、山田の議論にも一定の説得力はあるのだが、それにしても文化決定論に偏りすぎに思える。

進化心理学で何がどこまで言えるか

 社会学とは逆に、男女の生得的な違いを主要なテーマの一つとする分野として進化心理学(または進化生物学)がある。
 これは1970年代から盛んになってきた分野で、人間の目や手や足といった体の様々な部位がより生存に適するよう進化してきたのと同じように、感情や思考や認知能力といった人の「心理」についても、祖先が暮らしていた環境に適応するよう進化してきたものと考え、その本質を見出そうとするものである。

 社会学やジェンダー論は男女の内面や行動の性差を基本的に「文化や慣習や制度によって作られたもの」として説明しようとする。
 論者によって程度の違いはあるが、それが「生まれつきの違い」に由来している可能性には一切触れないか、触れてもとにかく「個人差の方が大きい」と強調してあまり大きく扱わない傾向がある(社会学なのだから社会的要因を重視するのは当然ではあるが)。

 対して、進化心理学では男女は体の作りだけでなく心理的傾向においても生得的な違いがはっきりあると考える。人が社会環境に大きな影響を受ける存在であることは当然認めるが、生得的な性差がまず先にあり、それが社会環境によって強化・固定化されるという見方をとるのである。

 もちろんこれは平均値の違いであり、個人差が大きいことはこの分野でも協調されることである。しかし、逆に言えば平均値の違いは確実にあり、それが男女をとりまく文化を異なるものにしたと考えるのだ。

 両方の議論をひととおり見てきた今、またある程度の社会経験を経てきた今、私はほぼ後者の側である。
 先ほど述べたように、私の立場は、男女はもともと性的に異なる存在であり、両性をめぐる様々な問題は、そのことを踏まえないと正確には語れないというものである。また、それを前提に男女をとりまく慣習や作法が再検討された方がよいとも考えている。

 これは「男も女も関係ない社会を作っていこう」というこの2020年代の流れに逆行する保守的な考えだと思われるかもしれない。ある意味ではその通りである。新しい考えが常に100%正しいとは限らないと思う。

 なお、LGBTQについての議論はあまり主題的には扱わない。すでに他の人がいくらでも発言しているし、私には人口の多数派である異性愛者についての言論の方がむしろ手薄であるように思えるのだ。

 さて、この進化心理学を絡めた男女にまつわる言説、特に未婚化や男性の「非モテ」についての語り、というのは商業メディアではほとんど見られないにしても、Twitterやnoteやブログなどの個人メディアではここ数年よく見かける。
 しかし、どれも断片的なツイートや一回限りの読み物ばかりで、順序だてて体系的に書かれたものはほとんどないように思える。そこで、このnoteでは進化心理学で何がどこまで言えるかを私なりに整理するところから始めたい。それだけでもう大仕事ではあるが… 。



〈1〉50歳の時点で結婚歴がない人の割合
〈2〉『人口統計資料(2021)』表6-23、国立社会保障・人口問題研究所
http://www.ipss.go.jp/syoushika/tohkei/Popular/P_Detail2021.asp?fname=T06-23.htm

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