見出し画像

【第22回】改めて、性の非対称


こんなに手間がかかるとは

 昨年6月から約8カ月にわたって続けてきたこの連載、ここで一区切りである。私は第1回の終盤でこう書いた。

進化心理学を絡めた男女にまつわる言説というのは、Twitterやnoteやブログなどの個人メディアではここ数年あちこちで見かける。しかし、どれも断片的なツイートや一回限りの読み物ばかりで、順序だてて体系的に書かれたものはほとんどないように思える。そこで、このnoteでは進化心理学で何がどこまで言えるかを私なりに整理するところから始めたい。

 なぜ「順序だてて体系的に書かれたもの」が見当たらないのか、その理由の一つがよくわかった。本気でやろうとすると、すごく大変なのだ。
 いやー、大変だった。「進化心理学で何がどこまで言えるかを私なりに整理する」というのを、前回までで一通りやり終えたつもりなのだが、可能な限り資料を集め、読み込み、自分なりの推論や解釈も加えつつなるべく科学的に正確な記述を心掛け、各回の間の整合性にも気を遣い…、といった作業は予想以上に時間と労力のかかるものだった(けど面白くもあった)。その分、第5回で宣言した通り「単なる要約以上のもの」にはできたかと思う。

ここまでのまとめ

 前回までの議論を振り返り、ヒト(※)という生き物の性的な在り方について、私が「生物学的・進化心理学的にこれは確実に言えるのでは」と思うものを、ここにまとめてみたい。

※ この連載では人類学の一般的な用語法に従い、約700万年前に「チンパンジーとの共通祖先から枝分かれして、現生人類の方に進化を始めた一群の動物」〈注1〉を「人類」、その中で約20万年前に出現し現在地球上に暮らしている現生人類(ホモ・サピエンス)を「ヒト」と呼んで区別している(第7回を参照)。

〔1〕 哺乳類の一般的な性質により、女性の繁殖能力は男性のそれより圧倒的に貴重である。〈第5~6回より〉

〔2〕哺乳類の一般的な性質により、男性の方がより多くの異性と性関係を持とうとする傾向が強い。〈同上〉

〔3〕
哺乳類の一般的な性質により、女性は性関係を持つ異性を慎重に選り好みする傾向が強い。〈同上〉

〔4〕
「固定的な配偶関係を持ち、男性も様々な形で子育てに関わる」というヒト特有の性質により、ヒトの配偶者選択は他の哺乳類よりも双方向的であり、女性も男性からの選り好みにさらされる。〈第6回より〉

〔5〕
ただし、〔1〕~〔3〕の事情により、配偶機会をめぐる競争は常に女性同士よりも男性同士に強く働いている。そのため、繁殖成功度の偏りは女性より男性の方が大きい。多くの女性は均等に一人以上の子を残すことができるのに対し、男性は数十人もの子を残す人がいる一方で一人の子も残せない人も多いなど、ばらつきが激しい。
〈同上〉

〔6〕ヒトが好ましいと感じる顔には一定の規則性があり、その集団内での平均値に近い顔立ちが好まれる傾向がある。女性の顔については「上半分が広く下半分が狭い」など幼型的な特徴を持った顔立ちが特に「美人」だと認知される傾向がある。〈第9~10回、第12回より〉

〔7〕ヒトの男性は、類人猿のオスとは異なり、若くて潜在的に繁殖能力が高いと思われる女性に性的な関心が向くよう進化したと考えられる。これは以下の理由によるものと思われる。

 類人猿のメスが生涯にわたってゆっくりと子供を産み続けるのに対して、ヒトの女性は若いうちに集中して子供を産むという生物学的な特徴を持っている
 ヒトは通常、固定的・長期的な配偶関係を持つので、男性にとっては今後の出産可能期間が長い女性を配偶者にした方が繁殖成功度が高まる
 他の多くの霊長類と異なり、ヒトは共同で子育てを行う性質を持っているため、女性が若く未熟であっても子供の生存率にあまり影響しない。
〈第8回、第11~12回より〉

〔8〕ヒトが進化してきた環境では、女性の若さや繁殖能力は外見からしか判断できなかったため、男性は配偶者選択において女性の外見を特に重視するよう進化したと考えられる。〈第12回より〉

〔9〕「固定的な配偶関係を持ち、男性も様々な形で子育てに関わる」というヒト特有の性質により、女性は地位の高い(様々な意味で優位な)男性に魅力を感じる傾向を進化させたと考えられる。〈第16回より〉

〔10〕ヒトの配偶形態の本質は「ゆるやかな一夫一妻と部分的な一夫多妻の混合」であると考えられる(一夫一妻を基本とする方向に進化したが、乱婚的な性質や一夫多妻的な性質が消え去るまでには至っていない)。〈第17~20回より〉

〔11〕男性は配偶者の肉体的な浮気に嫉妬心をより強く感じ、女性は配偶者の精神的な浮気に嫉妬心をより強く感じる傾向がある。〈第21回より〉


 これらは数万~数千万年の進化の過程で形成された、ヒトが性という領域において備える一般的・生得的な特徴であり、人間が人間である限り消滅することはないと思われる。文化や時代や個人によってこうした傾向がどの程度強く表れるかは違っても、完全に消え去ることはないだろう。社会の変化は数百年や数十年、ときには数年単位で起こるが、人間の生得的な心理の変化(進化)は数万年単位でしか起こらないからだ。

 連載の序盤で述べた通り、私の進化心理学に対しての見方は「多少怪しいところもあるが、まるで当てにならないわけではない」というものである。生殖や配偶者選択という生き物にとっての最重要課題について、ヒトだけが無限に柔軟であるはずがない。ヒトは極めて多様性に富んだ生き物ではあるものの、変わらない(変えられない)部分というのも確実にあるのだ。

【追記(2022年4月24日)】
 第21回にも追記した通り、クリストファー・ライアン著『性の進化論』によると、〔11〕の「嫉妬心の性差」については、これまで進化心理学で言われてきたほど強固に生得的な心理ではない可能性がある。
 この本は、私がこの連載で参照してきた進化心理学の標準的な見解に大々的に反論するもので、(「訳者あとがき」にあるように)「ボノボ的な乱婚状態こそ人類の本性」だと主張している〈p.472〉)。
 大変面白い本なのだが納得できる点もあればできない点もある。また、注意深く読むと「『ゆるい一夫一妻こそがヒトの配偶形態の本質』という私の見方とそれほど変わらないのでは?」と思ったりもする。本書については、いずれどこかの機会で私の考えを書いてみたい。

改めて、男女の非対称

 第15回で私は「女性が希少な資源の獲得能力が高い男性を好む傾向には、ある程度進化的な基盤があるのではないか、、」と控えめに結論づけた。これについては今も強い確信は持てていない。理屈の上ではそう推測することができても、現実にはそうした選好を持たない女性も多いからだ。「進化的な基盤があったとしてもおかしくない」くらいに考えている。そのため前節の一覧には入れていない。

 〔9〕については、けっこう確度が高いと思われるので一覧に含めているが、これにも該当しない女性はいるだろう。第13回で書いた通り、女性の男性に対する好みというのは多様で複雑であり、1個や2個の項目に容易に集約できるようなものではないと思われる。

 さて、私が第1回で問題にした男女の「生まれつきの」性的な在り方の違いについて、前節の一覧から考えて、また自分自身が経験したり見聞きしてきたことから考えて、大まかには以下のように一般化できると思う。

〈1〉 女性は、単に「女という身体を持っている」という事実だけで男性から性的な関心を向けられる(向けられてしまう)度合が高い。これにより、性的な被害に合う可能性が男性より格段に高いのだが、その反面、恋人や配偶者といったパートナーを得ることが男性と比べて相対的に容易である。

〈2〉 男性は、単に「男という身体を持っている」という事実だけでは女性を性的に惹きつけることが難しく、何かそれ以外の価値や魅力も提供できなければ女性から求められにくい。そのため、性的なパートナーを得ることが女性と比べて相対的に難しい。

 これは当然「その度合が高いか低いか」という話である。膨大な例外や個人差があることを承知の上で言っている。しかし傾向というものは確実にあるし、「傾向」を認識しないことには「対策」を考えることもできないのだ。特に〈2〉の事実は、男性という性を生きることに特有の困難をもたらしていると思うのだが、あまり主題化されることがないように思われる。

次の展開

 構成としてはここまでが連載の第1部である。第5回で述べた通り、私は何の専門家でもなく、これまでの記事で展開してきた推論が隅から隅まで全て正しいという保証はない。人類の進化史や、ヒトの普遍的心理については実に様々な見解があり、それらを全てカバーし比較検討することはできなかった。「とはいえ、最大公約数的にはだいたいこんなところだろう」というのが前節までの議論である。

 繰り返すようだが、2節目の〔1〕~〔11〕、3節目の〈1〉と〈2〉は、ヒトが持つ生物としての特性であり、基本的にはどんな社会でも変わらず、また教育や啓蒙活動によって変更できるものでもない、と考えられる。ゆえに、これらは性という領域における揺るがない原理のようなものだと言える。

 そして、ここから先はこれらの原理を基に世の中の様々な性的な事象について考える、という段階に移りたいと思っている。

 といっても、男女どちらの利害にも偏らない完全に中立公平な議論ができる自信はない。私は男性としてこの世に生まれ、もう30年以上も男性としてこの世界を経験してしまっている。そのため今後の議論はどちらかというと男性側に寄り添ったものになるだろう。それでいいのだ。私は神の視点には立てない。女性側に寄り添った論考ならすでにネットにあふれているので、そちらを読んでバランスをとっていただければよいのである。

 まだ今後の執筆プランをきっちり決めているわけではないし、どれくらいのペースで更新できるかわからないが、引き続きお付き合いくだされば嬉しく思う。

過去記事の補足

 これまでの記事で書いてきた内容について、「よく考えるといまいち納得できない… 」と思ったことや、記事の公開後に新たに知ったことがいくつかある。主な2点についてここで補足しておきたい。

第12回について
 ヒトの女性に閉経がある理由について、有名な「おばあさん仮説」というのを紹介したのだが、やや腑に落ちないところがある。この仮説は「ヒトの女性は、生涯にわたって子供を産み続けるよりも、ある年齢を境に繁殖能力を消滅させ、それ以降は娘の子供、つまり孫の世話を行うことで最終的な繁殖成功度を上げる方向に進化した」というものだ。

 「息子の」子供でも良さそうなものだが、この仮説ではどちらかというと「娘の」子供というのが強調されている。前回の記事で述べたように男性には「父性の不確実性」がつきまとうため、女性にとっては息子の子供が真に自分の遺伝子を継ぐ存在であるという確信を持ちづらい。一方、娘の子供は間違いなく自分の生物学上の孫であり、そちらの面倒を見た方が遺伝的な利益が高かったはずだ、という理屈のようだ。

 しかし、ヒトに最も近縁なチンパンジーとボノボでは、性成熟に達したメスが出身集団を離れて別の集団に移籍し、オスは集団に残り続けるという父系社会を作る。ヒトと2番目に近縁なゴリラでも同じである。ヒトの伝統社会でも女性が親元を離れて男性の家族の元に嫁ぐという父方居住が圧倒的に多い〈注2〉。

 人類が進化する過程において、女性が出身集団を離れるのが通常なのだったとしたら、母方の祖母は娘一家の近くには住んでいなかったことになり、この仮説は成り立たないように思える。この辺の整合性についてどう考えればよいのか疑問に思う。

第15回について
 ハッザ族では食料が平等に分配されるにも関わらず、なぜ狩りの上手い男性の方がモテるのかについては、人類学者たちの間でも議論が行われているそうだ。今のところ二つの説明がなされている。

 一つは、「狩りが上手いことは、健康や知性といった、女性が相手に対してそれ独自の価値を認める別の資質の目印である」〈注3〉という説明である。狩りの腕が良い男性と結婚したからといってより多くの食料を供給してもらえるわけではないが、狩猟技術の高さはその男性の優秀さを間接的に証明しており、女性はそこを評価しているのでは、という見方である。

 もう一つは、女性が妊娠中や子育て中の場合は実際に夫の食料供給能力の恩恵を受けるから、というものである。第15回の最初の節で述べたように、ハッザ族では女性が集める食料の方が平均してカロリーの総量が多いのだが、女性が妊娠中だったり子育て中の時は夫が張り切るようで、このバランスが変わる。一歳未満の子供がいる夫婦では、一家で消費するカロリーの69%を夫が供給しているという。
 また、男性は隠すことのできる小さな食べ物(ハチミツなど)を見つけると、それを周囲には知らせずにこっそり家族の元に持ち帰ることがよくあるらしい。平等主義が徹底されているハッザ族の社会でも、人々の「自分の家族を特別扱いしたい」という気持ちは我々と変わらないようだ。〈注3〉。

 どちらの説明もたぶん正しいのだろう。また、この回で私が展開した推論と矛盾するものでもないと思う。



〈1〉三井誠『人類進化の700万年』講談社、2005、p.13
〈2〉長谷川寿一、長谷川眞理子『進化と人間行動』東京大学出版会、2000、p.249
〈3〉ニコラス・クリスタキス『ブループリント —「よい未来」を築くための進化論と人類史—』鬼澤忍・塩原通緒訳、ニューズピックス、2020、p.195-197

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?