見出し画像

松井宏彰さんへのお返事 その1

https://note.com/msfactory_21/n/n0c3d3b667e38
への返信の記事となります。


松井宏彰様は、アルミ加工会社を経営している方ですが、人文学にもかなり詳しく、大変に頭脳明晰な人物です。
彼のような優秀な方々が、日本の国力を支えてくださっているのであって、私は頭が上がらない思いであります。
ピエール・ブルデューは、1990年に来日した時には、理系の工場長が人文学の本(ディスタンクシオン)を読んでいることに大変感銘を受け、「フランス人に比べて遥かに日本人は知的である」と述べましたが、日本人の知的好奇心こそが日本の経済成長と民主主義の礎となります。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%87%E3%82%A3%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%B3%E3%82%AF%E3%82%B7%E3%82%AA%E3%83%B3

科学技術は国力の基幹であって、「ものづくり」を軽視する国は、何も残りません。
武器を自分で創ることが出来ない国は、メンテナンスが碌にできるわけもなく、近代戦を戦うことは出来ません。
ウクライナの敢闘も、ウクライナが武器輸出大国であったということが重要な点なのです。

松井様の高級官僚論について


>「高級官僚」と「明確なビジョンと受け皿を制度設計」としています。
「高級官僚」となると、ただの官僚ではありません。
事務次官や局長クラスになり、政策立案の場に立ち会う立場になります。
会社でいえば部長や事業部長クラスになるわけですから、経営に対し相応の助言や提言が求められる立場になります。
それと同じで、行政の専門家として国益のためのビジョンを語る高級官僚は存在しておいた方が良いと考えています。

これは、司令官と参謀の関係であって、政治家=司令官、高級官僚=参謀ということになります。

>次に、「明確なビジョンと受け皿を制度設計」ですが、わざわざ「明確な」と書いているのは、政治家の出すビジョンをクリアに筋道の通った形に仕立て直す、という意味を持たせるためです。
そして、その過程で出てくる問題、不利益を受けるであろう人々を救い上げるための受け皿、こういうところまで目配り気配りした上で、制度設計をしないといけない。
でも、そこまで出来る人材って、そうそういませんので、難しいだろうな、として締めくくっている次第です。
ということで、上記の文に対する補足説明はおしまいです。


これは、作家と編集者の関係であって、政治家=作家、高級官僚=編集者、となります。

私の意見


まず、現在の日本においての問題は、官僚が政治家よりも権限を持った上で安倍政権では彼等が政治家の命令を無視することもありました。
これは実質的クーデターであって、甚大すぎる問題であります。
現時点でも、官僚が政治家を支配しているようなそぶりも多数見受けられます。

そもそも、官僚とは受験教育にどっぷりつかった者達であって、命令の遂行に優秀であっても、自分で物事を観察して、解法を考える能力の優秀さが求められるかというと、全員が全員とは言いませんが、かなりの疑問符が付きます。
以下は官僚の愚かさの一例です。
豪雪地帯の雪の実体すら知らない程に、彼等はペーパーテストに特化されている疑惑があります。
https://sakisiru.jp/28710

彼等の目的は、自己の出世>省益>国益であるのであって、それは現在の教育体制に問題があるのではないでしょうか?
事実、受験戦争に勝つためには、親に出世を洗脳された人間の方が圧倒的なまでに有利なのです。
エイミー・チェア タイガーマザー
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BF%E3%82%A4%E3%82%AC%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%83%9E%E3%82%B6%E3%83%BC

なお、受験とは、科挙という中華の官僚登用制度に起源があります。
この制度は儒教の影響を受けて成立したものであって、試験の内容に四書五経がありました。
そして、(これはかなり疑わしいのですが)合格者を去勢していたという説まで存在しています。
儒教にしても受験にしても、近代的な人間主義とは最も遠い者なのです。
これらは本質的に、タリバン政権のイスラム原理主義と大差ないものでしょう。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A7%91%E6%8C%99#:~:text=%E7%A7%91%E6%8C%99%EF%BC%88%E3%81%8B%E3%81%8D%E3%82%87%E3%80%81%E7%B9%81%E4%BD%93%E5%AD%97,%E3%83%99%E3%83%88%E3%83%8A%E3%83%A0%E3%81%AB%E3%82%82%E6%99%AE%E5%8F%8A%E3%81%97%E3%81%9F%E3%80%82


とはいえ、政治家と話し合って、政治的意思決定を洗練させられる官僚は絶対に必要です。
そもそも、日本国民全員がその能力を持っていなければいけません。
民主主義国家においては、それは絶対に必要なこととなります。果たして、そのための教育と啓蒙は行われているのでしょうか?
それが行われていなかったら、資本主義であっても社会主義であっても、民主主義ではないのです。
権威主義か、若しくは全体主義となります。


まとめ 民主主義と科学技術 権威主義と神学


受験教育は、先生(お上)の言うことに従順で、単に教科書を覚えるだけの権威主義であって、根本的に民主主義に反しております。
実体を観察して(科学)、手法を自らで考える(技術)、人間の工学の本質が存在しておりません。
これは、産業革命を起こしたイギリス経験論ではなく、中世のスコラ学という経典を妄信する神学の体系です。
それ故、こうした教育では、科学技術者を育てることには、本質的に問題があるのです。
https://sakisiru.jp/28710

https://note.com/yrloki/n/n357662389409?magazine_key=m5e659e12bae3
https://note.com/yrloki/n/n834f8cc060ab?magazine_key=m5e659e12bae3
https://note.com/yrloki/n/nbae51de156ee?magazine_key=m5e659e12bae3

私の記事が面白いと思ったならば、私の食事を豪華にしていただけませんか? 明日からの記事はもっと面白くなります!