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「いつか」は二度と来なかった

AAAのファンになって、早8年がたつ。

中学1年生のある日、そのとき観ていたテレビ番組のなかで、ほんのワンフレーズだけ流れた MUSIC!!! の西島隆弘の、はにかんだ笑顔がすべての始まりだった。

その日から今日まで、おそらく1日も、彼らの曲を聴かずに過ごした日はないと思う。

大学受験が近づく中、自分を奮い立たせるために聴いた虹。上京する車の中で聴いたHORIZON。わたしの中高生時代は、紛れもなく、いつも彼らの楽曲とともにあった。

全部で170ほどある楽曲のほぼすべてをそらで歌えるし、メンバーの衣装を見れば、それがいつのライブのものかも分かる。

AAAへの愛や知識は、相当なものだと自負している。

−けれど。

わたしはこれだけ長くファンを名乗っていながら、一度しかライブへ行ったことがない。

もちろん行きたい気持ちはあったけれど、

の後に続くのは、ただの言い訳にすぎないことは分かっている。

地方に住んでいたとはいえ、車で2時間以内の都市に彼らは来てくれていたし、ファンの友達がいないなら、家族でも仲のいい友達でも連れて行けばよかっただけの話だ。

「いつか会える」「いつでも会える」

今思えば、それらの言葉はただの甘えで、怠惰だったとしか言いようがない。

8年もの間、彼らの曲や笑顔に、たくさん救われ、元気づけられてきたはずなのに、どうして、たったの一度しか会いに行こうとしなかったんだろう。

同じ場所で、タオルを振り回して、叫んで、歌うことでしか、わたしは、ファンは、彼らをこの目に焼き付けることができないというのに、なぜわたしは、画面越しで満足していたのだろう。

そして、会えなくなった

わたしがここまで後悔しているのは、去年の3月、メンバーのひとりが脱退してしまったからだ。

「いつか会える」と思っていた、7人のAAAには、もう二度と会えなくなった。これ以上ない絶望と、後悔の念が押し寄せる。

「いつか」は来なかった。
そしてもう、二度と来ない。

なにもわたしはAAAが6人になったことを嘆いているわけではない。

ただ、「永遠にAAAは7人だ」と思っていた。日が沈んで、また明日が来るのと同じように。

だから、またいつか会える、いつでも会える、そう勝手に信じていたのだ。


先日、関ジャニ∞の渋谷すばるがジャニーズ事務所を退社することが分かった。続いてTOKIOも、しばらくの間音楽活動を休止することを発表した(この件に関しては少し話が違うが)。

たった1か月の間に走った激震。誰が予想できたというのだろう。

リアルな人間関係であれば、たとえば誰かが会社を辞めるだとか、恋人に別れを切り出されそうだとか、いくらかは前兆があって、たとえそれが信じたくないことであったとしても、わたしたちは「起こりうる事象」として受け止めることができる。

ただ、ファンとアーティストやアイドルの関係は、それとは少し異なるものだ。もう何年もの間、ひとつの完成形として彼らは走り続けていて、もちろんファンも、それが永遠だと思って応援している。

ちょっとやそっと、週刊誌やネット上で「脱退」や「解散」の噂が流れようが、「そんなわけないじゃん」と信じて疑わない。いや、疑えるわけがない。


それでも、

「ファンの皆様へ。大切なお知らせ」

のひとことは、ある日突然、無情にもやってくる。

だからもう、「いつか会える」と思うのはやめよう。

「いつでも会える」なんて、怠惰以外の何物でもない。

「いつか会える」「いつでも会える」と、あなたが会いに行かなかった彼・彼女らは、ある日を境に、もう二度とあなたの前に現れることはないかもしれないんだから。

今、会いに行こう。

あなたが目に焼き付けたい彼らは、この今しか見ることができない。

大げさではない。ほんの1か月前まで、関ジャニ∞は7人で、TOKIOは5人であることを疑う人は誰一人もいなかった。1年前まで、AAAは7人だった。もっと遡れば、SMAPだって解散してしまったし、KAT-TUNも6人が3人になり、NEWSも9人が4人になった。

必然とは言わない。けれど、ファンが泣こうが喚こうが、別れはいつも、突然で、無情にもやってくるのだ。

その日がもしもやってきたとき、あなたが思い出すのは「画面越しの彼ら」なのか、「あの日同じ空間で過ごした記憶」なのか。

すべての「推し」を持つ人たちに言いたい。

今すぐ、推しに会いに行こう。会いに行け。

わたしは7人のAAAを、たった一度しかこの目に映せなかったことを、今でも、そしてこれからも後悔しつづけると思います。

会いに行ってください。本当に。

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