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人と会っている間は、"ながらスマホ"はしない

久しぶりに晴れた休日。大学のときから仲のいい友人と久しぶりに約束をして、連れてきてくれた喫茶店で珈琲を飲んでいた。

「若い人にはあまり知られていないんだけど、常連さんが昔から何人も通っているところらしくて。上司もここによく来るみたいで、この前教えてもらったの。やっぱり、こういうあたたかみのあるところいいよねぇ、たまには」

新宿駅からも歩いて行ける距離だし、結構いいかもしれないなぁと思っていると、急に顔を上げて、僕の方を見てため息をついた。何ため息なんかついちゃって、と聞いてみると、「フォロー外せば?って言われる話かもしれないんだけどさ」と言いながら話しはじめた。

「なんか毎回毎回飲みに行ったり、どこかに行ったときの様子をアップしている人がいるのね。羨ましいとは思うんだけど、なんか最近そろそろ飽きてきて。むしろ、どうしてこんなにアップしたがるんだろうって考えるの」

ああー。確かに、パッと思いつく人はいる。

「だってさ、例えば大切な人といるときには、その過ごしている時間を大切にすればいいのに、と思うの。『すごく良い時間を過ごしている自分』って、別に誰かにわざわざ伝える必要なんてないじゃない。むしろ、それを伝えようとしている時間って、その人との時間を“ないがしろ”にしていると思わない?私、そういうの見るたびに、なんでかなぁと思っちゃう」

誰かにも私の今を知ってほしいと思うなんて、そこまでやらなくてもいいんじゃないのと思う、と言ったのが印象的だった。

そのときは、「わかるよ」とだけしか言わなかった。自分もたまにそういうことがあるから。そこでわかったように否定してしまったら、なんだか自分を否定してしまう気がしたからだ。

その後は、数年ぶりに会ったもんだから、いつぞやの昔話に花が咲いた。「平野くんって大学のときはメガネだったのにメガネ外すだけで結構イメージ変わるんだね」って言ってもらえた。うれしかった。

私次の予定があるから、と別れて、さっき話したことを帰り道に思い出す。

iPhoneがすぐ手元にあると、この状況を“記録”として残しておきたいという気持ちが起きる。そして、撮ったあとカメラロールに入った誰かに見せるまでもない写真は、そのタイミングを逃すと行き場がなくなってしまう。だから、今シェアしたい。でも、彼女が言った「その時間をないがしろにしている」という話もすごくわかった。自分が相手の立場になったとき、目の前に自分がいるのにTwitterで誰かと会話しているとしたらすごくイヤだと思った。

わざわざ伝えるまでもないことは、別に無理してアップしなくてもいい。自分の心のなかだけに留めておこうと思った。

別に、オンラインで発言したことだけが自分のすべてではないのだから。

(Photo by Tim Wright on Unsplash)

#エッセイ #フィクション

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