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過去の自分に誇れる自分でいたいけど

たまたま、大学1年生(2年前)の時にFacebookで投稿した文章を読んだ。

以下、当時書いた文章のコピペ▼

震災から9年。当時小学4年だった私は、震災を中々受け入れられず、ただただ漠然とした恐怖に怯える毎日を過ごしていた。

そんな中で、自分達「こども」のことを思い続けてくれた周りの大人達。私の母校である小学校は被災し、先生達だって大きな被害を受けた。中には家族を、家を失った方もいた。それでも、そんな辛い中でも私達に笑顔でいることを教えてくれた先生達。

先生達だけじゃない。世界各地から毎日私達の元へ届く応援のメッセージ、支援物資、、一体どれだけの人に支えられてここまで生きてこれたのだろうか。

視野が狭かったあの「こども」時代に、たくさんの手を差し伸べられてようやっとここまで生きてきた。あと三ヶ月ほどで二十歳を迎える。そんな大人に近づいてきた私が望むことはこども達にそんな風にどんな状況でも手を差し伸べられるような環境をつくっていくことだ。大学へ入学してから一年が経とうとしている。改めて何を学ぶためにここへ来たのか、ここで何ができるか考え直していきたい。

怖かったあの記憶が無くなることも、失ったあの人達が帰ってくることもない。それでもあの日の教訓を胸に防災意識を紡ぐことはもちろん、自分が思う復興のかたちに近づけるような貢献をしていこうとあの日を想った。

#東日本大震災

2年も経っているのだから、そんなものなのかもしれないが、過去の自分の文の方が自分らしさを感じられるような気がした。

自分が本当にやりたかったことってなんだったんだろうな。とか、自分はやりたいことができているのかな。とか。

頭の中で疑問や葛藤、不安がぐるぐるしていて焦燥感が募る。

原点に立ち返るいい機会になったが、ここ数年で自分にかなり自信が無くなったことを痛感させられた。

自分に価値があると思える時にだけ
勇気を持てる

(Adler speaks)

アドラーもこう言うように、自分の活動に自信が無くなってきていたため、ここ数年の動きが常に鉛を抱えたような状態となってしまったのかもしれない。

自分に自信を持てるようになったら、少なくとも今の状態は改善するのだろうか…

そもそも自分に自信がある状態って大人でもつくるのが難しいものだし、ホントに重要なことは自分に自信をつけることじゃなくて自信がつくくらい何かに対して本気になったその時間を正当に評価できるようになることなんだろうなぁ…

絶賛無気力大学生ですが、
本気になれることがこの一年でどうにかこうにか見つかるといいなと思います。パワー!


ヘタレな内容ですみません。
ここまで読んでいただきありがとうございます。

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