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No.36 『IHI』 連想ゲームのCMに込められた思いとは何か

最近の企業CMで印象的なのは、旭硝子改めAGCの『なんだしなんだしAGC』である。『学校篇』と『農園篇』のうち、わたしが好きなのは後者の方だ。高橋一生のキレの良いダンスとは対照的に、ツインテールにつなぎ姿の女の子のグダグダな踊りがたまらない。短いフレーズをリズミカルに繰り返す手法は、『ポリンキー』や『ドンタコス』のCM制作で有名なメディアクリエーターの佐藤雅彦さんを想起させる。

IHIの新CMも話題性のある作品だ。こちらは『航空宇宙開発篇』と『エネルギー篇』の2種類。アイドルの解散や男女の別れの場面から始まり、『風が吹けば桶屋が儲かる』的な連想ゲームが展開された後、『技術と言えばIHI』のフレーズにたどり着く。ただ、全体的にテンポの良さにはやや欠ける印象で、残念ながらAGCほどの高い評価は与えられない。おそらく、IHIを志す理系男女の心にも響かないのではないか。とはいえ、そんなリスクを冒してまでも、あえて重工業のイメージとは乖離したCMを制作したところに、ペリー来航に由来する166年の歴史に新たな風を吹き込みたいIHIの思いが込められているのかもしれない。

IHIの業績と事業を概観しておこう。2020年3月期の業績見通しは売上高1兆4,000億円、営業利益650億円。営業利益率は4.6%にとどまる。セグメント別の消去前営業利益は、資源・エネルギー・環境(ボイラ、プラントなど)130億円、社会基盤・海洋(橋梁、ダムなど)150億円、産業システム・汎用機械(ターボチャージャー、コンプレッサーなど)170億円、航空・宇宙・防衛(航空エンジン、ロケットなど)270億円。基本的には三菱重工業や川崎重工業と同じようなキャラクターを持つが、IHIが特に強みを持つのはターボチャージャーだろう。同事業の世界シェアは20%で、メジャープレーヤーの一角を占める。国の防衛やインフラを支える一面も備えており、長い歴史に裏打ちされた優れた技術力が持ち味だ。『創立100周年』を迎える企業は少なくないが、150年以上の社史を持つ企業となると、なかなか出会うことはできない。

IHIの課題が収益性の改善にあることは論を俟たないだろう。会社側もそのことは認識している。2022年3月期の営業利益は1,200億円(営業利益率8%)が目標だ。そもそも達成が決して楽な数字ではないうえに、2020年3月期の営業利益見通しが期初の800億円から650億円へ下方修正されたこともあり、2年後に設定された利益率のハードルはさらに高くなった。既存事業を前提とした連続的な改善ではなく、事業ポートフォリオの大胆な再編を含む非連続な改革が必要となるだろう

しかし、見直しが必要なのは事業の構造だけではない。会社の性格も変える必要があるように思う。2016年に就任した満岡次郎(みつおか つぎお)社長もそのことには十分に気づいているようだ。「当社の社員は、顧客から要望が寄せられるのをひたすら待ち、それに応える製品を作り出す技術力には長けている。ただ、顧客の声にみずから耳を傾け、顧客の課題解決に繋がる製品を作り出すソリューション力が足りない」。日本の伝統的なものづくり企業にはよく聞かれる話だ。なかんずく、国防を担うようなIHIであるならば、親方日の丸の技術的要求に愚直に応えることで、十分に存在感を発揮できたのであろう。だが、そんな幸福な時代は過去の話だ。満岡社長曰く、「社会は変わっている。お客様の環境も変わっている」。技術者みずから顧客の元に足を運び、課題やニーズをヒアリングし、製品開発に反映する活動に、IHIは遅まきながら本腰を入れ始めたようだ。顧客との対話を重視する活動は、ソリューション力の強化のみならず、ともすると技術志向の強い企業が陥りがちな、「そんな製品は誰も求めていませんけど」的なオーバースペックも回避することができる。性格を変えるには時間もかかるが、結果として本質的な収益性の改善につながると言えよう。

ただ、これとてあくまで過渡的な変化にすぎない。営業利益率で8%の目標を視野に入れることはできても、10%以上の収益性をさらに目指すならば、課題解決力を身につけるだけでは必ずしも十分とは言えないだろう。なぜなら、各社がこぞってソリューション力の強化を掲げているだけに、あらゆる業界において課題解決力にはすでに供給過剰感があると思われるからだ。むしろ、顧客すら気づいていない問題を発見する力こそがこれからは大切になってくるのだろう。このことは、最近流行りの著作家である山口周氏が、新著『ニュータイプの時代』で主張しているところでもある。問題発見力がすでに組織知となっている日本企業は、あるいはキーエンスくらいではないだろうか。

ところで、連想ゲームというのは、思考の多様性や柔軟性を育成するという意味で、問題発見力を鍛えるには適当かもしれない。IHIがCMに採用した狙いは、単なる就活生への奇を衒ったアピールではなく、さらなる収益性改善に必要な能力の涵養を社員に求めているのだろうか。だとしたら、CMに対する辛口評価を改めなければならない。

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