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読書記録010「TVピープル」村上春樹

基本的に『TVピープル』収録の6つの短編は、コミュニケーションの失敗や挫折を描いている。
村上春樹の作品の主要なものは、意志の疎通がとれないながらも、物語が進んだり関係性が発展していくものが多い傾向にあるが、ここに収められた短編はどれも他者との交流が断絶したところで話が終わっている。関係が発展しない代わりに表現されているのは、喪失感に彩られた奇妙なリアリティだ。
たとえばそれは普通の人の0.7倍の縮尺しかないTVピープルなるものとしてであったり(『TVピープル』)、どこからか出てきて車を両側から揺さぶる黒い影(『眠り』)として表されることになる。それらの実態は不明瞭で、本当に存在しているのか、主人公たちの悩みや不安がつくりだした幻影にすぎないのかも曖昧である。

その曖昧さを的確に描出させる試みとして、表題作『TVピープル』はおもしろい。
廊下の足音は「カールスパムク・ダルブ・カールスパムク・ディィイク」と聞こえ、時計の音は「タルップ・ク・シャウス・タルップ・ク・シャウス」として聞こえる。それは世界をありのままに見ようとする現象学的な挑戦ともとれる。不気味なものを不気味なまま描くということ。そういった意味ではまさにこの短編集は物語のロマン的側面から距離を置いた不穏の書であり、「愉快な話でもないし、教訓みたいなものもない。でもそれは彼らの話であり、僕ら自身の話である」(『我らの時代のフォークロア』)のであるだろう。

また、現出してくる物事の奇妙さは、別の世界へジャンプする徴候のようにも読み取れる。村上春樹の作品ではたびたびこの異世界が取りざたされる。井戸や、ホテルや、森や、洞窟などによって。だが、今作においては、物語的な関係性が発展しないと上述した通り、ほとんどの作品は他の世界への跳躍なしに幕を閉じる。だがその意味で例外的に、『ゾンビ』は唯一ジャンプした物語だといえるだろう。『ゾンビ』は10頁ばかりの掌編だが、小品として気持ちのいい作品だ。

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