道尾とミチオ:読書記録『向日葵の咲かない夏』
この作品が好きか嫌いかは別として、かなり強烈な物語だった。
巻末の解説やネット上の感想でも言われるように、人によって好き嫌いが大きく分かれる作品であり、読んだ後も(よくも悪くも)非常に心に残る物語となるだろう。
この時期にもぴったりな作品なので、これからの時期に強烈なミステリーを体験したい人には、是非おすすめしたい。(ただし、ややショッキングな部分もあるので、耐性の無い人はご注意。)
※この先は作品のネタバレを含むので、これから読もうとしている方、読み進めている途中の方はページを戻ることをお勧めします。
道尾秀介氏による本作品は、主人公のミチオが死んだ妹を想う場面から始まる。彼の傍にはなぜか、硝子のコップに入った遺骨がある。
妹に対する異常な愛ゆえに、彼は妹を骨壺に収める際にその一部をこっそり盗んだのか?
序盤のうちは、そんなことを思っていた。
が、読み進めていくうちに、彼女に対する違和感は強まっていった。
年齢のわりにはあまりに大人びた言動。
生まれて三年しか経たない幼児が、大人のような理路整然とした話ができるだろうか?
『わけのわからない衝動』に駆られたミチオに、寝ている間に這い寄られるシーンを書いたりするだろうか?
さらには、指で潰された蜘蛛(S君)を嬉々として食べるという、奇妙な行動にも出る。
物語を読めば、大半の読者はミカに対して強い違和感を覚えるだろう。
そしてその違和感の正体は、クライマックスで判明する。
「トカゲじゃない!」と、声を荒らげるミチオ。
彼以外の者からすれば、それは瓶に入ったトカゲ以外の何物でもなかった。
だが、ミチオにとって、それは立派な彼の愛する妹の生まれ変わりなのだ。(と、彼は終盤まで、自分で自分にそう言い聞かせていた。)
この作品は『輪廻転生』が1つのテーマになっていて、生まれ変わりは他にもいたことが後々判明する。
いざという時頼れるトコお婆さんは猫で、ミチオが密かに想いを寄せるスミダさんは、白い百合の花。
例えそれらが動物や植物だったとしても、彼からすれば皆大切な人たちだ。
(彼らに関しては伏線らしきものは感じず、後だしじゃんけんに見えなくもないが…)
このような演出ができるのも、漫画でもドラマでもなく、小説だからこそできるのだろう。
様々な名作が別のメディアとしてどんどん売り出される昨今だが、個人的には、この作品は小説のままであってほしいと願う。
だが、帯にも堂々と書かれた「どんでん返し」は、これだけではない。
物語のメインの筋は、あらすじにもあるように、クラスメイトのS君を殺害した人物を追うということだった。
周辺の住民の証言や、S君の微かな記憶を頼りに推理が始まり、クライマックスで犯人を突き止め、そして追い詰める、よくあるミステリーの流れなのか……?
と思っているうちに、S君から「担任の岩村が犯人だ」と告げられる。
帯に大きく書かれた『最・どんでん返し‼』の文字から、真犯人は他にいるだろうと思いつつも、どう展開するのだろうと読み進めていく。
(こういう予測ができてしまうので、安易に「どんでん返し」という宣伝文句を使うのはやめてほしい、と個人的に思うところだが……)
担任の岩村宅の侵入、彼の著書を利用した新たな計画、町内で起きている犬猫の不審死、その容疑者の男、生前のS君の変わった趣味――。
そもそもS君は本当に殺されたのか。あるいは自殺だったのか。
と、次々謎が明かされ、真犯人は誰かと想像を巡らせたが。
結局S君を殺害したのは、S君自身だった。
じゃあ、岩村を追う流れになったのは何だったんだ? 何故初めからそう言わずに話をややこしくしたんだ?
そう思っていたのも束の間、ミチオのほんの些細な発言が、S君の死を後押ししていたことが判明する。
ミチオも初めから、S君の大きな嘘を嘘だと分かっていたのだろう。分かっていながら、己の罪の意識から目を背けるために、S君の言葉に乗り、危険な冒険に出た。
あるいは、「僕は殺された」と訴えた、蜘蛛のS君の存在自体が、ミチオの妄想でしかなかったのかもしれない。
先ほど言及した、猫のトコお婆さんや白い百合のスミダさん、そして、ミチオのしたことが原因で生まれてこられなかった、愛するミカの生まれ変わり。
皆、彼の妄想にすぎないのかもしれない。
否、この物語全体が、作中の主人公・ミチオの創作だったという考察も、十分にあり得る話だ。
1つの小説を読み終えるごとに、よく読書メーターなどでその感想や考察を見るのだが、その中でこの考察を見つけ、「確かに……」と、大いに納得した。
その根拠としてまず1つは、『主人公の名前が作者と同じ』だということ。
姓と名の違いはあれど、あえて登場人物の名前を作者と同じにすることには、何かしらの意図があるはずだ。
この作品の場合は、主人公の”ミチオ”は、道尾、即ち物語の創造主であるということを暗に意味しているのではないかと考えられる。
2つ目は、『物語の展開』。
特に物語の前半、「困った時はあの人に頼ろう!」と家を出て、トコお婆さんの『不思議な力』でヒントとなる単語をもらい、そして事件とのかかわりを考えるくだり。
何となく、道尾先生の書く物語にしては少し説明的なような。どこか流れが児童文学寄りのような……と、漠然とした違和感を覚えていた。
また、ミチオが、『犬猫殺し』の容疑者に迫るシーン。
まるで昔からある名探偵のように、根拠を並べながら容疑者を追い詰めるシーンが長く続くが、このくだりも、今まで読んできた道尾先生の物語とは少し違うような、漠然とした違和感があった。
もし、ミチオの創作であれば、主人公の彼をかっこよく見せたいがために、このような描き方をしたのかもしれない。
また、"S君"だけどうしてイニシャルなのか、という謎も残る。
彼は作中では、生前の気味の悪い趣味や、特徴的な容姿から、あまり良い描き方をされていない。
なので、ジャイアンの妹のジャイ子と同じような理由で、あえて名前を書かなかったのだろうか、とも考えられるが、結局真相は明かされていない。
好き嫌いが大きく分かれる作品だと先ほども書いたが、私は、この作品を「好き」か「嫌い」かは未だに分からずにいる。
全体の雰囲気は重苦しく、好感を抱ける登場人物も、正直いないに等しい。
だが、読みやすい文体でありながら物語の世界に引き込まれる、道尾先生の小説自体は好きだし、忘れられない小説として、いい体験にもなった。
新たな拠点で過ごすことになったミチオは、元気にやっているだろうか。