花粉症っぽい人が、花粉症を認めない人の話。
4月になり、一気に春めいてきた。
となると、鼻をズビビ。
どこからともなくムズムズしてきて、人目も憚らず、ヒックション!だのハックションだの連発してしまう。
その様子を見ていた人が私に聞いてくる。
この季節ゆえに聞いてくる。
「花粉症?」
と。
そして私は答える。
「え、知らん。」
こうなると聞いてきた人は少し困惑しつつも、続ける。
「じゃあ、風邪?」
とな。
そして、私は答える。
「いや、全然風邪じゃない。」
こうなると聞いてきた人は、あからさまに「え?」とか「は?」な顔をする。そして、一言。
「じゃあ、花粉症やん」
と言ってくる。
しかし、それに対する私の返答はこうだ。
「いや、花粉症ではない。」
その後、私は、盛大にくしゃみを一発も二発もかまし、鼻をズビビとすすり、むずむずふへーってな顔をする。
それを見た人が「いや、花粉症やん」と言ってくる。
だが、私は断じて認めない。
私は花粉症ではないんだ。
だって検査したことがないから。
*
そうだ。
そうなんだ。
私は、花粉症かもしれないし、花粉症ではないかもしれない。
たったそれだけなのだ。
幸か不幸か、いまだに確証がとれていない現状だ。ゆえに「花粉症?」と聞かれても「え、知らん」とか「分からん」と返すしかない。
確証がないのに「花粉症?」と聞かれただけで、「花粉症です」と答えるとそれは、自らの花粉症を認めてしまったことになる。
自分が花粉症っぽいから、花粉症です。と認めることになる。
ここを認めてしまうと自意識としての花粉症が加速しかねない。
一度認めてしまうと、流されやすい私の性格上、花粉症のオーラを撒き散らしながら、春を歩くだろう。いつも以上にズビビするだろうし、ハックションの音量も上がるだろう。
認めるとラクになる。
しかし、一度、花粉症だと認めてしまうと春が嫌いになるかもしれない。
「春=花粉症」の人生になってしまう。
そんな春は嫌だ。
寿命的に、せっかくの残り50回ほど春を味わえるというのに、50回も花粉症の春を味わうことになる。
そんな春は嫌だ。
・
・
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わかっている。
わかっているとも。
これを人は「強がり」とか「わがまま」とかいうのだろう。
けどいいじゃん。
強がったっていいじゃん。
冷笑されるだろうが、たった一度の人生だ。
自分は、どうやら花粉症っぽいのに、花粉症であることを決して自分からは認めない人生を歩んでもいいじゃん。
*
え?何が言いたいって?
私は、花粉症ではない。
断じて、花粉症ではないんだ。
そして、これからも花粉症ではない。
ということだ。
100歩譲って、花粉症っぽいことは認める。
けど、花粉症かどうかは、アレルギー検査をしないと分からないし、おそらく私は、一生検査をしない。
だから私は、花粉症ではない。
断じて花粉症では、、、ない。
・こぼれ話
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