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夢人間


皆さんの子供の頃の夢は何でしたか?

僕が最初に記憶している、将来の夢は「お医者さん」だった。
親が「医者ってのは難しくてな、なれたらすごいぞー」って話してるのを聞いて、何となくなりたいと思った。

その後「寿司職人」「声優」を経て
14歳、中学2年生で「ショーアーティスト」に行き着いた。

中学3年生の頃には、海外で活動することを夢見ていた。
当時尊敬していた先輩パフォーマーがウクライナに留学するという話を聞いて
僕もいつか...。と強い憧れを抱いていた。

そんな僕の夢は叶った。当時思っていた以上に。
どうやらこれは、とても珍しいことらしい。

現在ドイツでショーアーティストとして生活を初めて丸6年半。
自分でも驚くほどの賞をもらい、驚くほど光栄な現場でショーをすることができている。(コロナ流行前まではね)

こんなこと、中学2年生の鼻垂れ坊主(垂れてない)には想像も出来なかった。
その時はまだ知らなかったのだ。
アーティストとして生きていく事の過酷さも
自分が見ていた世界の小ささも。

自信があるわけではなかった。
でも、これしかなかった。
僕には他の選択肢はなかったのだ。
ショーアーティストとして生きていけないなら死んでも良いとすら思っていた。(そして死にはしないだろうとも思っていた。)

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僕はこれまでの人生で、何度もこの夢をバカにされてきた。

中学3年生の頃、担任の先生が
10年後の自分に手紙を出してくださいという課題を出してきた。

その手紙を10年後僕たちに送る際
同窓会の便りを同封するから
その手紙をもって集まろう。
10年後、25才の君たちに会えるのを楽しみにしていると言うのだ

その課題をもらって、いの一番に
「でも僕は多分海外のサーカスで働いてるから、手紙受け取れないし同窓会も出れないよ」と言った。

大きな笑いが起きた。
凄くびっくりした。

「すごいな。夢みたいな事言ってるわ」
という同級生の言葉に、何だか少し傷ついた。

夢みたいって何だよ。

夢だよ。

俺らまだ15歳だよ、夢みようよ。

まぁでもそうだよね。
僕の地元福山はちょっとした町とはいえやはり田舎で
田舎特有の「諦めムード」が漂っていた。
挑戦して、成功した例が周りに無いのだ。
挑戦者はいつもバカにされていた。

唯一救いだったのが
その担任の先生だけは真っ直ぐと僕の目を見て
「心配しなくて良い。必ず届ける。」
と言ってくれた事だ。

実際25歳になった時
その手紙は実家に届き、僕はドイツのシアターでショーしていた。
残念ながらその同窓会には出られなかったけど
その後その先生はどこからかツテを伝って、日本で行った僕の大道芸を観にきてくれた。
ショーを観て泣きながら大きな投げ銭を入れてくれた時、胸が張り裂けそうになった。
今でも、僕の恩人の一人です。

その後も僕は幾度となくこの夢を笑われる事となる。

近所の人達にも
高校のクラスメートにも
バイト先の先輩にも

何度も何度も何度も
鼻で笑われてきた

「へーすごいね。まぁ若いうちしか挑戦できないしね」
「全然そんな風に見えないよね。向いてなさそう」
「それ言ってたら勉強しなくて良いもんな。羨ましい」

勿論みんながみんなじゃないよ。
中学の担任の先生のように
本気で、心から僕を応援してくれていた人達もいた。
残念ながらそれは一握りの少数派だったけど
いつもそんな人たちに僕は救われてきた。

少し脱線するけど、僕はこの頃から「夢」という言葉を避けて使うようになっていた。
夢という言葉を使うからバカにされるんだ。
夢はいつか覚める幻でしかないと皆思ってるんだ。

僕が抱いているのは夢ではなく具体的な「目標」ですと言うようになった。
...でもなんかニュアンス違うよね。最近はやっぱり夢って言葉使うようになったよ。かっこいいし。

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サーカス学校に入ってからも
アクロバットが苦手な僕はどちらかといえば落ちこぼれだったと思う。
先輩から「才能ないぞ。今からでも実家帰ったほうがいい」
って言われた事もあった。
本人は冗談のつもりだったと思うけど、その言葉は今でも僕の心に小さなわだかまりとして残ってる。

それでも、今までとは比べ物にならないくらい居心地が良かった。
そりゃあそうだよね。これまでマイノリティだった夢追い人が集ってくるんだもの。
特に仲の良かった数人とは本当に毎晩のように語り合っていた。
言葉にすると恥ずかしいけど、今でも心から『仲間』だと思ってる。

それからプロになって、世界チャンピオンになって
少しずつ成果を納め始めると
今度は「妬み」の感情をぶつけられる機会が増える。

「いいよな楽して稼げて」
「ただのラッキーじゃん」
「どうせコネかなんかだろ」

こんなもんじゃ無いけど、散々陰口をたたかれた。
自分の元に届いたのだけで中々な数だから、本当はもっとあるんだろう。

いやいやいや
なんでなんで
頑張った人が
何かを成し遂げようとしている人が
そして成し遂げた人が
こんなに言われなきゃならないの
傷つかなきゃならないの

夢を追うって、そんな罪なこと?
みんな他人の成功、そんな憎い?

結果海外にきて、そういった憎しみの声に触れる機会も減った。
僕がドイツの方が住みやすいと思っている理由の一つである。

-

これだけ書いておいて何だけど
僕はこういった陰口や悪口、妬み嫉みに対して
割と強いほうだと思ってて。

いや傷つくけど、傷ついてられないというか
足引っ張られてる場合じゃ無いと言うか

僕らは前に進むしかなくて
バカにしたり、妬んだりしてる人たちに使ってる時間
1秒でも勿体ないんです。

そうなんです。
だから全然気にしないんです。

って、思ってたんですけど
最近、ひょんなことで


号泣してしまって


それが
キングコング西野さんが監修している映画
「えんとつ町のプペル」の宣伝動画を観た時なんですけど
自分でもびっくりして。

西野さんはお笑い芸人という肩書きの元
様々な挑戦をして、初めて絵本を書き出したころから
12年という時を経て今回この映画を制作した。
この12年の間、日本中からバッシングされ続けてきた。
それこそ、僕なんかとは比べ物にならないほどに。

そんな西野さんが言うんです。

夢追い人は総じてゴミ人間。
多くの人が自分が追っていた夢を捨てて
やりたかった事と違う事をしている。
そんな人達からしたら
夢追い人は醜くて臭くて仕方がない
だから追い出す。
でも本当の夢追い人は
バカにされても、虐げられても
上を見上げ続けるんだ。


何だかその話を聞いてから
映画の宣伝動画を観たら
今までの出来事がフラッシュバックしてきて。

僕ここに書いたような出来事
ほとんど忘れてたんです。
何か言われた時も傷ついてはいたけど
泣きはしなかった。

だけど時を経て、ふっと落ち着いた時に動画を見て
まるでその時の自分に変わって
今の僕が消化するかのように

めっちゃ泣いちゃったんですよねー。

うわー俺辛かったんじゃんと思って
いや、ホントびっくりしました。

同時に、「ふっと落ち着いた時」って
いやなに落ち着いてるんだよ
まだまだこれからでしょうよと
自分を奮い立たせる良いキッカケにもなりました。
今かなりモチベーション高いです。

僕をそんな状態にしてくれた
えんとつ町のプペルが今日から全国ロードショー。
コロナ禍じゃなければこれだけの為に帰国してたかもって
思えるくらい観に行きたかった。

夢を追いかけている人にも
夢を追いかけてみたい人にも
是非観ていただきたい。

僕もまだまだ夢人間。
これからも挑戦し続けます。

あ、メリークリスマス!

Naoto

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