見出し画像

『クレヨンしんちゃん 謎メキ!花の天カス学園』

2021年のクレヨンしんちゃん映画は中々社会性の強い作品で、個人的にとても楽しめました。
評価は全く見ずに観ましたが、かなり高評価みたいですね。
すでに地上波でも放送したとか。(テレビないので知りませんでした)
かつて『クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ モーレツ!オトナ帝国の逆襲』という名作がありましたが、ちょうど20年前の2001年なんですね。
  
本作の良さは説教的でも、感動の押し売りでもない微妙なバランスで現代の行き詰まり社会を表現できており、かつ『クレしん』ならではの設定を上手に活用できたところでしょう。
近年の『クレしん』はポリコレを意識してか、お下品レベルが下がっており、つまらなくなっていたと思いましたが、今回はテーマがテーマだけに、かなり昔のお下品さにもどった感じです。
下ネタ、の評価はかなり難しいと思いますが、現代社会の息苦しさの一つに、下ネタ共有の前提が崩れたこともあると思います。
 
”不快に思う人が多いことはしてはいけない。だからそれは”良い”ことだ。今まで放置していたのは民度が低いからだ”

これが昨今のポリコレの極端な例えかと思います。

”下ネタなんてなくたって生きることに困らないし、笑いは下ネタを使わなくてもいくらでも考えられる。
そう、不快なものは排除して当然だ”

このような論調は治安の面でも、人権的にももっともらしく聞こえますし、これに正面切って意義を唱えることもしづらいですよね。
クレーム対応や訴訟リスクも出てくれば、面倒ごとは避けたい企業がもっともらしいきれいごとを並べて排除をしていくことを選択しがちです。
 
でも、何かが違うんじゃないかな、と思っている人も多いと思います。
そんなモヤモヤに対する回答を、この『クレヨンしんちゃん 謎メキ!花の天カス学園』では上手に描けていたと思います。
なぜ上手かというと、先ほど書いた通り、説教的でも、感動の押し売り型でもないからです。
  
逆に、昨今の劇場版『ドラえもん』はポリコレ寄りになってしまい、作品自体が『きれいなジャイアン』になってしまっていると思います。
どちらも作者がすでに不在ですが、(サザエさんさんもちびまる子ちゃんもか…)その設定を借りて今後も作品を作るのであれば、そのあたりをどう捉えるかで見方が変わってきます。
 
もちろん、これらは子供向けアニメです。子供はポリコレとか社会性など、まだロジックとして理解できるとは思いません。
しかし、この世の中がどんな風に回っているのか、という意味で、世界をどのように描くのかはとても重要だと思います。
かつてのウルトラマンは表面は勧善懲悪でもテーマは深いものでした。
それは何となく子供の心にも印象として残るものがあったはずです。
『きれいなジャイアン』化した『ドラえもん』は、情操教育的にも優れたものとは言えないように思います。
 
最後に、この作品を鑑賞し、日本社会について考察するときに参考になる記事があったのでリンクします。

記事は2009年ですので、現実的に起こってしまったことや、それによって変わってしまっていることが多々あります。(特に東日本大震災、ブレグジット、トランプ大統領誕生、加速主義的な意味での規範崩壊など)
とはいえ、宮台氏がいう問題の本質は同じなので参考になりますし、事態は彼の予見通りに進んでいると感じます。

冒頭部分を引用しますので気になる方は続きを。(全4回あるので結構な量です)

『「内的/外的な確かさ」と「経験を積むこと」の意味
 まず、オーソドックスな話から始めます。日本人は一般的に「他者同調的・集団主義的」だとされます。「自分の目の前にいる他者」の承認を得ようとする傾向にあるということです。尊厳(自己価値)の根拠を外に求めるという意味で、「外的な確かさ」を求めやすいのです。
他方、目の前にいる他者とは関係のない第三者、例えばそれは神を持ち出すやり方もあります。「神によって承認されれば、目前の人たちが承認してくれるかどうかはさして重要ではない」という尊厳の抱き方です。これは欧米のユダヤ・キリスト教世界に典型的にみられる、いわば「内的な確かさ」です。
「内的な確かさ」に比べて、日本人が拠って立つ「外的な確かさ」は、往々にして他者の視線や評価を気にしすぎる振る舞いを帰結します。そのことが、日本人が何かというと右往左往しやすいように見える理由ではないかと思います。』
・・・

今、かっこいいビジネスパーソンとは vol.1 ベタな現実に右往左往しないこと
https://www.business-plus.net/business/columnist/cat-8/series/42301.shtml


この記事が参加している募集

多様性を考える

おすすめ名作映画