『安倍三代』と『日本会議 戦前回帰への情念』を読んで考えてみた

①『安倍三代』青木理 著

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 ◆安倍寛
・安倍晋三のおじいちゃんが政治家を目指したのは地元の貧困を見て義憤に駆られて
・思想は反戦リベラル
・反骨精神の持ち主
・弱き者を助ける義に厚い男
・イケメン
・帝大卒。地元山口県日置村の英雄
・1942年翼賛選挙で軍閥政権批判しながら当選
・健康に恵まれず51歳で死去

◆安倍晋太郎
・安倍晋三のお父さん安倍晋太郎は特攻隊で死ぬ運命だった
・帝大ー東大卒
・父の寛死去時は被選挙権がなく、地盤を継ぐことができなかった
・妻は「昭和の妖怪」岸信介の娘
・毎日新聞記者を経て岸信介の秘書となる
・父寛の地盤が既にないため、どぶ板選挙で在日朝鮮人を味方につけ当選
・政治思想は自民党内でもハト派であり、リベラル寄り
・岸の娘婿とい呼ばれることに抵抗を感じており、安倍寛の息子であると強調していた。

◆安倍晋三
・安倍晋三は東京生まれ東京育ち、小学校から大学まで成蹊
・受験経験なし
・父晋太郎が地元山口へ帰郷することが多く留守がち
・専ら岸家の祖父、岸信介の影響を受ける。しかし、大学まで一貫として政治思想はなし
・映画監督になりたいと言っていた
・神戸製鋼へコネ入社
・神戸製鋼勤務3年後、父の秘書となる
・森永製菓社長の娘で電通社員の昭恵と結婚
・1991年父晋太郎死去。父の地盤を引き継ぎ1993年山口一区から衆議院選挙に出馬し初当選


この本ではその後の晋三についてはほとんど書かれていない。
しかし、この流れでどうして現在のような戦前・戦中レジームへ強固な舵を切ったのかが疑問だ。

そこで次の書。

②『日本会議 戦前回帰への情念』

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◆前置き
晋三がいつ"戦前・戦中"思想に染まっていったかは分からないが、森、小泉に抜擢される内に傾倒していった可能性はあるし、父の築いた山口県の基盤が自身が築いたものでないことに対する不安はどこかにあったと想像される。
そもそも彼には政治理念がなかった。
しかし、政界のサラブレッドと言われ望まぬ政界出世街道を自分の意志とは関係なく歩まざるを得なかった。
これは悲劇であると思う。

その後の彼を強力にバックアップすることになる思想団体が『日本会議』だ。

日本会議自体は1997年に発足したが、ここに至るには戦後GHQの神道指令による確執が生んだ長い系譜がある。
これにはこの書の図を参照してほしい。

日本会議図


◆日本会議の思想
・天皇中心の国体(国柄)復活(民は皆皇国民であり、個はない。あるのは公であり、それは政権を託された政府が負う)=民主主義の否定
・極東軍事裁判(東京裁判)の全否定
・自虐史観からの自立
・日本国憲法の否定(押し付けられた憲法)=大日本帝国憲法への回帰
・父権主義(家父長制度)=夫婦別姓反対、男が女を守る。女性は家庭を守る。

これ以外にも色々とあるが、根本的な価値感がどこにあるかを捉えられば導き出される答えであると思う。

一番重要なのは個の否定であろう。これは近代化に欠かせない自立の理念でもあるし、民主主義の根幹をなす価値基準だが、この個を否定しないと成立しないのが日本会議の理念だ。

だから全てがおかしな方向へ進む。
日本は現憲法下においては民主主義国家であるからだ。
その憲法を否定し、近代化に必須の個人という概念を否定する。
それを前提にしている日本会議を強力な支持層として君臨する安倍晋三が、それに反した行動をとるのは当然なのである。

現憲法下には思想信条の自由がある。
だから、こういった考えを否定もしないし、自由だと思っている。
しかし、こういった文脈を理解している人がどれくらいいるのか自分は分からない。

彼らもあからさまにこの思想を前面に出すと引かれるのを知っているから巧妙に戦略を立てる。
国会答弁も記者会見も人をなめたような対応しかできないのに、自民党へ投票させる流れを作る戦略に長けているのだ。
いわゆるネトウヨを味方につけたのもこの時代では大きい。
野党がまともなネット戦略が出来ていないからなおさらだ。

日本会議国会議員懇談会に所属している議員はほぼ自民党員だ。(維新が少しいる。かつて民主党員も少しいたが脱退している)
野党との根本的な大きな違いは、民主主義を否定し、個の尊厳を認めないことだ。
これだけでも争点になるはずだ。
しかし、そういった争点にならない。
マスコミ、メディア、つまりジャーナリズムがこの国では機能していないからだ。

アメリカはいい意味でも悪い意味でも指標となる出来事が多い。
国が誕生する歴史から現実化する問題が多いためにそうなったと考えるが、その点一民族国家を貫いてきた日本には到底理解が及ばぬことがあると思う。

あらゆる可能性を考えているのがアメリカだが、多民族多思想国家となった必然性を理解して社会の仕組みができていると感じる。
それをそのまま日本に当てはめても意味がない。


私は日本が好きだ。
明治維新までは好きだ。
帝国主義に呑まれないために疑似近代国家として急成長したのも凄いと思う。
自分が誇れる日本の歴史はここまでだ。

これらの弊害がやはり出てきていると感じる。
西洋的思想が日本に合わないのは分かる。
天皇(キリスト教的な一神教の神として)を担いだのは、その帝国主義国家の側になるための方便であったし、それを理解して断行した明治維新とはとてつもなく凄いと思う。
結果的に中国のように欧米列強に食い荒らされることはなかった。

問題はその後だ。
方便として担いだ天皇を、窮地を脱した後にどうするかまでは維新の偉人も考えなかっただろう。

それが暴走した結果、カルト的軍国主義が政治の実験を握り、ひねくれた精神論によって多くの戦死者を出したのが太平洋戦争だ。

自分は精神論自体は嫌いじゃない。
しかし、それはあくまで個の向上心に対してだ。
個が、その内面を鍛え、解放するために追い込むための手段。
小乗仏教的な修行においてだと思う。

国家が強制する思想でなどあってはならないと考える。
それは精神論ではなく、単なるハラスメントだ。

個を否定し、公が決めることに従え、公は皇直下の機関でありすなわち政府である、とする日本会議は、その時点でまったくロジカルではない。

コロナ対策で露見する精神論はこれにあたる。

そんな精神は教育によって醸成され、特攻隊の悲劇を生んだ。
そんな戦中の思想に回帰しようとするのが日本会議であり、担ぎ出された政治理念のない安倍晋三という虚像なのだと思う。

私は安倍さんは被害者だと思う。
彼は最も不幸な首相として後世記録されるだろう。
安倍さんでなければだめだ、という理由はこの政治理念的空洞性と政界サラブレッドという血筋だ。
日本人は権威にめっぽう弱い。
それを熟知しているのだ。組織の中枢は。

この本を読んで、そんなことを考えました!
あくまで私個人の、単なる考えですのであしからず。


興味があったら是非本を読んで自分自身で考えてください!