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映画『否定と肯定(Denial)』

『ホロコーストはなかった』
それが裁判で争われるという、とても興味深い”事実”を元にした作品でした。
自分にしては珍しく、見終わった後にある人の批評を読みました。(町山さんではありません)
やはり”事実”を元にした作品の場合、多少なりとも知っておくべきことがあると思います。

この作品は、
『イギリス人作家デイヴィッド・アーヴィングがアメリカ人歴史学者デボラ・E・リップシュタットと出版社ペンギンブックスを訴えたイギリスの裁判』(wikiより)
を描いています。
異色な法定モノとしても見応えはありましたが、偶然か必然かは分かりませんが、2016年公開という、トランプが大統領選挙で勝利を収めた時期と重なり、その後のフェイクニュースやポストトゥルースの問題を理解する上でも役立ちそうです。

ホロコーストの存在を否定する人が、実績もあった歴史著述家(歴史学者?)アーヴィング、というのが驚きですが、彼が何故そのような主張に至ったかという文脈は、理解の上で重要だと思いました。
絶対的な『正義』があるという前提で議論を始めてしまうと、思いもよらぬ”落とし穴”に落ちてしまうのが現代だと思いますし、リベラルの多くがそれをやってしまっていると感じます。
『真実』が相対化されて『現実』が価値においてそれを凌駕するとき、『暴力』は顕在化するのだと思います。
それが言葉(ヘイト)だけで終わるのか、殺し合い(戦争)に発展するのか、その両方を今私たちは『現実』として直面しているように思います。

資本主義の綻び、というか、元々指摘されていた成長後の限界点は、『現実』問題として人々の生活を直撃し始め、結果的に中間層が崩壊して分断が顕著になりました。
『真実』よりもひっ迫する『現実』問題が彼らにとってのリアルであり、中間層の崩壊によって共同体の信用機能も薄れ、理想や理念よりも、まず『生きる』ことがリアルになってしまいました。
その『生きる』ことは貧しい人にとっては生命の危機そのものですが、富裕層にとっては現状の生活を維持できるかどうかであるため、ますます搾取と分断が広がるのだと思います。

そんな状態が『加速』すると、『真実』は『生きる』ための道具となり、歪めて修正することも『力』によって可能になってしまいます。

以下よりネタバレ含みます。

この『否定と肯定(原題:Denial)』の、ホロコースト自体を否定(Denial)する歴史学者アーヴィングの主張を見ると、とても巧妙ですがどこか既視感があります。
『ご飯論法』とも言われるような、”ある一部分”を引き合いに出して、それが証明できない、そこに疑問があるからそれがあったとは言えない、というような煙に巻く論法です。
スピーチが上手いと、『あったとは言い切れない』、と思ったり、一理ある、などと評価をする人も出てきます。
そしてこういった論法は頭が切れる人でないとできませんから、どこかの偉い教授だったりもします。
日本だとその肩書だけで信じてしまう人が多いですし、メディアは好んでこういった人を使用します。
もちろん『疑わしきは罰せず』は近代司法において原則です。
ここで重要なのは、証明が不可能なのは”ある一部分”だということです。
この論法を取る人は、指摘されている本題からは外れ、関連する”ある一部分”をとって全体を”否定”します。
よく考えれば分かることですが、言葉巧みにその”ある一部分”に誘導し印象付けます。
それがあたかも凄く重要なことであるかのように。
そしてそれは自分の思想信条に合致したり、いくばくか触れると、完堕ちします。

こういった人を相手にするには、その人自身に反論を試みる真っ向勝負ではなく、(この裁判では判事ですが)聴衆や大衆を意識し、感情的にならず冷静に対処することが求められます。
映画では、優秀な弁護団によって、訴えられた当事者である主人公、リップシュタット(アメリカの歴史学者)は原告のアーヴィング(自身が自身を弁護)と論戦をする場を与えられません。
弁護団は『ご飯論法』に勝つため、陪審員ではなく判事一人が判決を下す方法を選択し、アーヴィングにもそれにうまく同意させました。
実はここで勝負は決まっていたのかもしれません。
陪審員だとアーヴィングの『ご飯論法』に丸め込まれる可能性が高いと判断したようです。
そのため、希望していた、ホロコーストのサバイバーによる体験を語らせる場も作りませんでした。
(陪審員であれば意味はあったかもしれませんが、判断するのは判事ですから感情に訴えることは適切ではなく、更にサバイバーはアーヴィングの攻撃によって傷を負うことは、前例があったので避けたかったようです)

ということで結果的にアーヴィングが勝つことはありません。
しかし、裁判の中で、判事が審議の最後に言ったセリフと、それを聞いたリップシュタットが負けた、と思って友人に語るセリフが印象的でした。
以下、ちょっと長めですが引用します。
※なお、ラストシーンなので完全にネタバレですので読む方はご了承ください。

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【判事】
ある人が反ユダヤ主義でかつ急進主義だった場合、心から反ユダヤ主義者になることができるだろうか。
人が見解を示すのは、それが自分の考えだからですよね?

【弁護士】
そうです。

【判事】
ただ、こう考えられるのでは?
反ユダヤ主義は彼の信条ではなく、資料改ざんの行為と関係ないのではと。

【弁護士】
いいえ、弁護側は2つの関連を証明しました。

【判事】
彼は信じ込んでいるだけかも。そこがとても重要な点です。

【弁護士】
彼が反ユダヤ主義で、ホロコースト否定に正当性がなければ2つをつなぐことが拡大解釈とは言えません。
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【リップシュタット】(友人との会話)
勝てると思った瞬間、裁判長よ。(中略)最後にこう言ったの『アーヴィング氏は心から反ユダヤ主義を信奉している。信念に基づく発言ならウソと非難はできない』
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【判事の判決】
本官には以下の推論が穏当で納得のいくものである。すなわち、原告は自らの思想信条のため、意図的に史実を偽造し、歴史的証拠の歪曲や改ざんまで行った上で事実として提示したのである。
故に、正義を擁護する当法廷としては、被告に有利な判決を下すものとする。
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これは何を意味するのでしょうか。
審議の最後でなぜ判事はあんなことを弁護士に聞いたのでしょうか。
そのまま受け取れば、単純に弁護側の主張の確認ですが、その背後に感じるのは、『現実』として存在する『無垢な信者』です。
アーヴィングは自らの思想信条(差別主義)の元に、意図的に歴史を改ざんし喧伝しました。
しかし、世の中には、『本気で信じ込んでいるだけ』の人がいます。つまりアーヴィングの主張を信じ込んでいるだけの人がいます。
それがトランプ現象の一つの事実であったと思いますし、そうでなければ大統領になんてなれないでしょう。

そしてそういった人たちは実際の行動に繋がるので、現実の政治においてかなり重要なファクターとなります。
彼らを動員できるかで選挙の勝敗は大きく変わります。
言うまでもなく宗教の存在はとても大きいでしょう。もちろん宗教批判ではありません。
しかしその宗教が、アーヴィングのようにおかしな方向へ舵を切ったらどうでしょう。
物凄く危険な存在になります。
それは日本ではオウム真理教でした。結果、現実社会においてテロリズムを起こしてしまいました。

単に『正義』を語るだけで選挙に勝てないのは、昔よりも現代の方が顕著になっていると思います。
それは『ネット社会』が持つ危険な部分でもあります。
Twitterなどの短文投稿メディアは『ご飯論法』に最も適していると思います。
切り取り合戦みたいになっていますね。
それについては、引用最後のリップシュタットの記者会見の言葉が印象的です。

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【リップシュタット】(記者会見)
(判決文書を提示しながら)
彼の自由を阻む判決です。
表現の自由を妨げる判決と言う人も。
そうでない。私が闘ったのは悪用する者からその自由を守るためです。
何でも述べる自由はあっても、ウソと説明責任の放棄だけは許されないのです。
意見は多種多様ですが、否定できない事柄があるのです。
奴隷制の存在、黒死病、地球は丸く、プレスリーも死んでいます。
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『真実』の軽視、『正義』の軽視が『ネット社会』で拡散されているように思います。
しかし、社会がうまく回っていれば、つまり多くの人々が幸福を感じていればそうはならず、実りあるネット活用をしているはずです。

格差の拡大は憎悪を増大させます。
個人単位であれば犯罪が、国家単位であればテロや戦争への発生率が高くなるのではないでしょうか。

共産主義になれ、と言っているのではなく、次の社会について本気で考えないともっともっと酷くなっていくのではないかと思います。
権力者は御しやすい無知で蒙昧な大衆を醸成しようと、ネットを利用している部分もあると感じます。
新たな『市民革命』がそろそろ必要になってきているのかもしれません。
それは血を流さない方法でやらなければ、また同じ歴史を繰り返すだけだと思います。
とても難しいですが、そういった意識を継続して持ちながら生活することが第一歩だと思います。
その成果を、選挙(投票)で出せばいいのだと思います。

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