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インターネットで最も嫌われた男

※ネタばれ有

Netflixのドキュメンタリー作品、『インターネットで最も嫌われた男』を観ました。
”リベンジ(復讐)ポルノ”という言葉を聞いたことがあると思いますが、それが社会的に大きな問題となるサイトを作った男、ハンター・ムーアと、泣き寝入りせずに立ち向かい、勝利した被害女性の母、シャーロット・ロウズを中心に描いた作品(実話)です。
  
インターネットの負の側面を利用し、非道なサイトを運営していたハンター・ムーアですが、彼は匿名でもなく顔出しでTwitterで発信をしたり、動画を投稿したりしていました。
まさに目立ちたがりの悪童ですが、それがそのままの倫理観で大人になり、ポルノを扱ってしまった結果誕生したサイト、という感じです。
 
彼が運営していたリベンジポルノサイト『イズエニワンアップ』は、投稿掲示板なので作りとしてはとても単純です。
そこに匿名の人物が、素人の女性や男性のヌードやそれに類するスキャンダラスな画像をアップし、それに対し匿名の人々が自由に罵詈雑言を浴びせて楽しむという悪趣味サイトです。
人が集まるほど広告収入が得られます。
それだけならまだ幼稚な悪戯として放置もできたかもしれませんが、問題なのは、その投稿に写真の人物のSNSアカウントやメールアドレス、職業、さらに住所や電話番号を紐づけ、個人を特定して罵ったところです。
 
江戸川乱歩の小説に『屋根裏の散歩者』という有名な短編小説があります。
誰にも気づかれずこっそりと”覗き”ができる場所を見つけ、スリルを味わいながら完全犯罪を思いついてしまう話です。
インターネットは自宅にいながら、今ならスマホからネット上の情報にアクセスできます。
表向きは誰にも気づかれずに、です。(辿れば大体は分かります)
 
匿名掲示板はそんな人々にとって、現実の憂さ晴らしをする一つの『居場所』となっていました。
日本では『2ch』が有名です。創設者は近頃人気の『ひろゆき』ですが、このムーアと通じるところは多いと思います。
昨今の『目立ったもん勝ち』が露骨になる炎上商法も、ネットの負の側面です。
YouTuberを始め、中身の質は関係なく人々を結果的により引き付けたものが大金を稼げるというシステムが、人々の欲望をむき出しにさせていると感じます。
それに意を唱える人々を偽善者と罵り、嘲り、フォロワーを煽って炎上させます。
関わったら最後。
今の子供たちはその意味を知らないまま、その世界に憧れているというのは皮肉なものです。
 
でもなぜ、そんな悪童に注目が集まり、祭り上げる信者が出てくるのか。
それは社会の負の側面とシンクロしていると思います。
努力しても報われない社会、勝ち組、負け組など、お金至上主義の価値観が浸透するほど、世の中の不条理に直面した人々はルサンチマンが募り、どこかで暴発させたいと思うようになります。
それが匿名掲示板で悪口雑言を吐くだけで終われば、ガス抜きとして許容できる部分もあったと思いますが、そこに個人情報が紐づけされると意味は大きく変わります。
格差拡大がもたらす閉塞社会への怒りがエスカレートするほど、”実利のない正しさ” よりもスカッと分かりやすい反抗の象徴である”悪童”がもてはやされると感じます。
 
今話題の統一教会をはじめとするカルト、と呼ばれる集団はそれを現実社会から脱したところに理想郷を作り、現世を捨てる、現世を否定することで救われると説くのが定石です。
現世で居場所を失った人々の一部は、そこに惹かれてしまいます。
古典的な宗教には長い長い文脈が存在しますし、学問としても成立しています。
新興宗教は、そういった古典宗教を下敷きにしながら、巧妙に現代人に最適化した教理と言葉で誘惑します。
 
きちんと歴史的な宗教のコンテクストを学べばほぼ傾倒するはずのない教理です。
その点、2世はとても深刻な問題を孕んでいると思います。
しかし、それについて映画『星の子』は一つの現実を突き付けており、新興宗教の教理がまがい物であっても、そこで小さな幸せを感じる人がいることを描いています。
犯罪集団と化したかつてのオウム真理教や、多くの金銭トラブルを抱える統一教会は宗教法人であってはならないと思いますし、粛々と法が裁けばいいと思いますが、信仰自体に踏み入ることはできないと思いますし、それを分けて議論しないと偏見が加速し、より2世、3世を傷つけることにつながります。
  
脱線しましたが、この『インターネットで最も嫌われた男』の舞台となる事件は主に2011年~2012年で、そのころにはまだネット上での様々な問題を取り締まる法律が出来ていなかったのが問題を大きくしました。
今ではこういった投稿は犯罪になりますが、ようやくといった感じです。
 
ムーアを起訴するためには『ハッキング』という罪で追い詰めるしかありませんでした。
被害女性ケイラの母、シャーロットは娘の名誉のために孤軍奮闘し、少しずつ味方を増やしていきます。
何故そこまでできたかというと、サイトにアップされた画像は、ケイラは誰にも送っておらず、どこにも公開していなかったからです。
気まぐれで自分撮りをすることは人によってはあると思います。
ケイラは部屋で撮ったその写真が、携帯の容量がいっぱいになったので自分のEメールに送って保存していた。
つまり、それをハッキングされた、とシャーロットは睨んだ。
 
ムーアの掲示板サイトは当時違法性がなかったので裁けませんが、ハッキングは犯罪でした。
それを証明するため、シャーロットは被害女性40人とコンタクトを取り、事情を聴いてそのうち40%がハッキングの疑いがあることを突き止めます。
地元警察があてにならないのでFBIに駆け込みますが、これが数年後実を結びます。
(ハッキング自体は別の人間が行っていたので、それをムーアの指示だと関連付けるために数年要しました)
 
ムーアという人物もある意味で凄いですが、このシャーロットという女性がその上を行き、脅迫に屈せずに強い信念で行動を続けました。
娘のケイラに関しては、夫の弁護士の力によって画像の削除までは早くに達成しましたが、シャーロットはそこで終わっては調査に協力してくれた被害者の気持ちを踏みにじるし、何よりムーアのサイトが存在することが許せませんでした。
そこでとことんやると決め、ムーアを牢獄へ送り込むまで戦うことを決めます。
 
ムーアは相変わらず好き放題をして生きており、掲示板はヘイトに満ちていました。
彼はルサンチマンを抱えた大衆を煽りますが、自分は場所を作っているだけでポルノ画像を投稿しているのは別の人だから罪はない、と言い張ります。
リベンジポルノはミソジニー(女性蔑視)とも相性がよく、被害妄想にかられた男性や現実に満たされない支配的欲求をこの掲示板にぶつけます。
こういった人々が一定数いますが、トランプ大統領の誕生という背後には似たような構造があると思います。
『リベラルの死』がもたらした失望はアノミーを起こす因子となり、現代の社会構造に大きな問題提起をしました。
『きれいごと』が自分自身の生活を良くしないことに気付いた人々や、権威主義者や未来志向の加速主義者、隠れミソジニーがひそかにトランプを指示した結果、とてつもなく”お下劣”な大統領が誕生しました。
それは社会がすでに”お下劣”に陥っている証左だと思います。
 
インターネットがもたらす負の側面、今はその一つ一つに直面する時代で、やがて法整備もされていくと思いますが、メタバース時代になるとまた大きな問題も出てくるでしょう。
なんでもそうですが、ツールが悪だと言ってしまってはすぐに矛盾が露呈します。
ネット社会をどう構築するのか、それには現実社会とは別の発想が必要になると思います。
もう一つの世界がある、という現実を直視しないと対応が難しいでしょう。
コンピュータに疎い世代がまだ多い現代では、そこがネックになっているように思います。
デジタル関係の法整備は若者を中心に作っていく方がいいと思います。
 
まだまだ語りたいとこのある作品ですが、最後に一つ。
ムーアをやっつけた人はシャーロットだけではありません。
当然ながら彼の行いの酷さに異を唱える人はいます。
一人は、彼のサイトの広告主にと打診されたジェームズという男。
彼は過去にいじめに遭い、親から虐待を受け、ムーアからの連絡でそのサイトを知り、そして怒りに燃えた。
軍でもWeb関係の仕事をしていた彼は、ムーアをつぶすことを決意する。
結果、彼は広告主になることでサーバーやデータの裏情報を掴み、材料をそろえて彼を追い詰め、サイトの買収に成功する。
そして全てのデータを削除し、『いじめ防止サイト』に変えてしまいます。
 
しかし、そこで終わらないんですね。
ムーアは復讐のために、より過激なサイトを作ろうと画策します。
データのバックアップから再度過去の投稿を表に出そうとします。
これを阻止したのが、なんとあのハッカー集団『Anonymous(アノニマス)』です。
ムーアがサイトを公開する前に、彼をハッキングしたアノニマスがすべてのデータを完全に消去してしまい、資産の凍結まで行ったというから凄い。
それ自体、犯罪行為なのだろうか、そのあたりは詳しくないので分かりませんが、彼らはハクティビストと呼ばれ、政治目的の実現のためにハッキングを行う集団です。
『アラブの春』にも関係しています。正義のハッカー的なイメージですが、危険性はありますね。
 
以上です。
日本をとりまくネット社会も、SNSとYouTubeの炎上商法を観ていると規模は小さくても同じことをしているな、と感じます。
いずれこのようなコンテンツがゴミ箱へと捨てられる時代が来てほしいと思います。
そのためには、そんな動画を見るよりも楽しい社会を作らないといけないでしょう。
それが政治の役割だと思いますから、炎上系YouTuberやムーア的煽りをする某N党などに投票するなんてことは絶対にありえません。
それで社会が根本的によくなることはありえないと思うから。


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