見出し画像

クラシックとゲームミュージックから始まる私の音楽人生

『音楽』とは何でしょうか。
言葉のない太古の昔から『音楽』は重要な意味を持っていたと思われますが、今のような『音楽』になるまでは途方もない時間を要しています。
音が鳴る、それだけでも広義では音楽と言えるでしょうが、それが変化し、繋がり、物語ることで『曲』という単位の創造物となり、様々な顔を表出させます。

ご存じの方も多いと思いますが、今日自然と耳に入ってくる音楽と言えばポピュラーミュージックであり、それらはほぼ西洋音楽の理論を元に作られています。
近代という社会システムが西洋の歴史と思想から誕生しているため、それは必然なことでもあります。
しかし、どの国や地域にも伝統的な音楽は少なからず存在し、それは民族音楽とも言われますが、元来それが彼らのとっての音楽でした。

長さや重さといった単位もまた、近代以前は各文化圏によってバラバラだったと思いますが、統一の単位を世界で定めることで科学だけでなく社会そのものも進化のスピードも早めることに成功したと思われます。

音楽に関しては『平均律』の誕生によって音楽理論なるものが出来上がり、作曲術だけでなく新しい楽器も生まれ、音楽の大衆化に繋がることになります。
基準のピッチを定め、平均律を基に調律をすることで様々な楽器による競演が可能となりました。
クラシック音楽と呼ばれる音楽はおおよそ、これ以降に作られた曲であると思います。(専門家ではないので正確な年代とかは分かりませんが…)

ということで、クラシックは現代のポピュラーミュージックにも受け継がれていますので、遠い昔の古い音楽でもないんですよね。
今日の音楽のエッセンスはクラシックにあると言っても過言ではないでしょう。

前置きが長くなりましたが、私がそんなクラシックに目覚めたのは中学の1年か2年のころだと思います。
当時ドラゴンクエストという超有名RPGの4作目を出した頃でした。
ファミリーコンピュータでは和音が3つまでしか発音できませんでしたが、あのピコピコ音でさえ、感動したことを覚えています。
そして交響曲としてオーケストラ演奏が収録されたサウンドトラック(カセットテープ)を購入したのですが、そこに楽譜がついていたんです。

私はそれまで楽器をまともにやったことがないですし、音楽にも特に興味はなく、親は演歌好きでクラシックの教養があるわけでもありませんでした。
当然楽譜などまともに読めませんでした。
それでもドラクエのメロディを楽器で奏でたいと思い、カセットテープに付属の小さく折りたたまれた楽譜を手に、音楽の先生のもとに行きました。
そうして楽譜がある程度読めるようになりました。

始めは音楽の授業で使用していた笛でメロディを吹いたりして遊んでいましたが、やがてMSX2という家庭用パソコンを手に入れ、何と音楽が自分で作ることが出来ることを知ります。
このパソコンは元々ゲームを作れるツールがあると友人に教わり、購入した(親に買ってもらった)のですが、その過程で音楽も作れることを知り、今でいう『打ち込み』をすることになります。
と言っても、DTMなどという便利なシステムはもちろんなく、簡単なプログラミング(ベーシック)によって音を鳴らす仕組みです。
何気にMSX2のサウンド面はNECのPC-88,98よりもすぐれており、豊かなFM 音源が使用できました。

それが私の音楽制作の始まりだと言えましょう。
簡単なメロディを打ち込むことを覚えた後は、少し複雑なことをしたくなりました。
そこで、また別の友人からブラームスの『ハンガリー舞曲』を聴かされることになります。
超有名な第5番です。
私はこれを聴いてカルチャーショックを受けました。
すぐに親にねだり、CDを買ってもらいました。(サムネイルのジャケットのCDです!)
他の曲もすごくエネルギッシュでドラマティックで、哀愁的で全部気に入りました。クレズマーのようなジプシー音楽は今でも好きです。

そしてこの5番をMSX2で打ち込みました。
かなり骨が折れたのを覚えています。
複雑な調号もあり、再度音楽教師の元に楽譜を持っていき、教わりました。

当時の私はまだロックもポップスもほとんど聴いていませんでした。
やがて打ち込みでは物足りなくなり、楽器を何か弾いてみたいと思ったのが中学3年の受験期でした。
文化祭でロックを演奏する、というのが定番の田舎中学でしたので、それらの、いわゆる軽音楽的なものの存在は知っていました。
ギターってなんかカッコ良さそう。
やはり目を引いたのはそこでした。
鍵盤は今からじゃ無理だろうと思いましたし、習い事は続かないだろうなと思い、インスピレーションでギターに決め、お小遣いを前借りしてYAMAHA製ストラトタイプのギターがついた初心者セットを購入しました。

その後はnoteでも書きましたが、練習と思って始めたBOØWYによってロックに目覚め、高校で洋楽ヘヴィ&ハードロックに出会い、必然的にプログレに出会うことになったのです。

と、こんな記事を書こうと思わせてくれたのは、フォロワーさせていただいている大阪主夫さんのこの記事を読んだからでした。
音楽にまつわるエピソードって、本当に面白いですよね~


この記事が参加している募集

#思い出の曲

11,252件