私が生きた「オタク文化」が化石になってしまった

皆さん、何かのオタクでしょうか?
それともファンでしょうか?

私は大学生時代、特定のジャンルで大量にグッズを買い込み、総額ウン十万では効かないくらいの額をつぎ込んでいました。
今ではとあるアイドルを追いかけ回してアメリカまで行く始末です。

とまあ、前置きはこれくらいにして。

昨今、若い子の間で「オタ活」「推し活」などと言われて何かのジャンルにハマり、そのジャンルにお金や時間を費やすことが流行っている。痛バを作ってヘアメをして現場(ライブやイベント会場など)やコラボカフェに行ったり、何も無くても同じオタク仲間と鑑賞会を開いたりして「オタ活」「推し活」を楽しみ、それをSNSに投稿したりしている。

なるほど。
少なくとも10年前には無かった文化である。
私が思春期の時期にはオタクというものは隠れてやるもので、仮に発信するにしても全世界には向けず、内輪に向けて共有するものだった。

今ではオタク行為を自分のキャラ付けや個性として見せるために、ファッションのようにオタクに擬態することを指す「ファッションオタク」などという言葉まで生まれた。(ファッションのオタクではないのでややこしい、ファッションのオタクもファッションオタクと呼ぶし)

例えば、キラキラした大学生だけど実はオタクです、だとか。
けれども掘り下げていくと大してそのジャンルに明るくなかったりする。親しみやすさや意外性を産む要素としてオタクを使う形である。

つまり、オタクがある種ステータスになっている状態だ。

10年前には有り得ない光景である。
なぜならオタクは隠れてやるものだという認識がずっと刷り込まれているからだ。

そもそも2000年代半ばあたり、電車男やアキバ系オタクが流行った時期のオタクは、ネットで流行っている「チー牛」のような、どこからどう見てもオタクの風貌をした男性、女性なら森ガールになり損ねたような服装、もしくはアニメキャラのような服装で化粧っ気がまるでない女性がたくさんいた記憶である。
わかりやすく「モテない男女」の見た目をしていた。

そしてそういった人種がたくさんいたジャンルは2次元だった。

ひっそりとコミュニティを作り個人サイトで二次創作を細々と書いたり、そこで交流を深めてオフ会に行ったり、コミケでエロ同人誌を販売して神として崇められたり、ニコニコ超会議で徹夜をしたり、ルイズのコピペ文章を書き散らしたり、○○は俺の嫁とか、とにかくそういった文化だ。

上記のオタク活動はオタク仲間の内輪ノリであり、それを私生活で出すなど言語道断であった。シンプルにキモイからである。

仮に私生活で、

ルイズ!ルイズ!ルイズ!ルイズぅぅうううわぁああああああああああああああああああああああん!!!
あぁああああ…ああ…あっあっー!あぁああああああ!!!ルイズルイズルイズぅううぁわぁああああ!!!
あぁクンカクンカ!クンカクンカ!スーハースーハー!スーハースーハー!いい匂いだなぁ…くんくん
んはぁっ!ルイズ・フランソワーズたんの桃色ブロンドの髪をクンカクンカしたいお!クンカクンカ!あぁあ!!
間違えた!モフモフしたいお!モフモフ!モフモフ!髪髪モフモフ!カリカリモフモフ…きゅんきゅんきゅい!!

などとやってしまえば友達なんて簡単にいなくなるし、自分の居場所を失くす。
当時小学生だった私は、幼いながらにもこれを友達に見せたりしたら自分は不登校になるかもしれない、と本能的に察した。
そのため私はそこまでオタクではないフリをしながら大学生くらいまでを過ごしていた。優に10年は超える。
私生活でオタクを大々的に公開するのはメリットよりもデメリットの方が勝ち、なおかつ堂々と誇れる趣味では無いという認識があるため、必然的に隠していた。

では、どの辺りからオタク文化が徐々に世間に向けてオープンになり、恒常的な状態になったか。

私の体感的には2010年代後半あたりである。

様々な要因が挙げられるが、主なものは恐らく以下になるだろう。

  • Twitter(現X)、InstagramなどのSNSの普及

  • オタク文化側の世間への歩み寄り

まず1番の要因はSNSの普及が挙げられる。

常に情報に曝され、ジャンル問わず公式だろうと非公式だろうと情報が流れてくる。この状態ではそもそもクローズの空間を作ること事態不可能である。
かつてサイトで細々と仲間同士で盛り上がっていたものが、SNSで行なわれるようになった。
最近ではXやTikTokでも二次創作や、はたまたR18関連の創作物まで見られるようになっている。
非常に限定的でコアな層だけに向けられていた情報が、どんな人でも閲覧可能になったのだ。

そしてオタク文化側の世間への歩み寄りも挙げられるだろう。

かつてこれらのジャンルのグッズは、わかりやすく「オタク」が身につけたり飾ったりするようなものが多かった。
しかし最近では身に付けても私服に馴染むものや、そもそもそれ自体がオシャレで持っていても恥ずかしくないデザインになっていたりする。
昔とは真逆である。
わかりやすくロゴやキャラがど真ん中に印刷され、一発で何のジャンルのオタクかわかるようなデザインばかりだったが、今ではそれらをオシャレにして、ユニクロやGUなんかでも手軽に買えるようになっている。

そしてアニメや漫画などもキャラデザが現代に馴染みやすい、もしくは「古臭くない」ことで親しみやすさを出している。
加えてアニメの美麗さなども挙げられるだろう。
現に私の大学生の弟に昔の好きなアニメを勧めてみたところ(少女革命ウテナである)、アニメの絵が古臭くて見る気が起きないと言われたことがある。
と言ってもたかだか弟1人に言われただけだが、そこまでアニメを観ない層には重要な要素なのだろう。

また、アニメや漫画の展開がかつてのハーレムもののように「お約束」的なものがなかったり、子供向け過ぎなかったりすることも挙げられる。
つまり大人向けアニメである。
アニメで表現しているだけで、中身はドラマや映画のような内容のものだ。
もちろん昔からそのようなものはあったが、SNSやサブスクなどを通してクチコミが広がり、より多くの人の目に留まるようになり、現代的アニメとして認識されるようになったと考えられる。
普段アニメを見ない層でも入口としては見やすいものである。

このようにしてオタク文化はクローズの環境からオープンな環境へと移行していった。

それに伴い、様々なタイプの人々が文化に触れ、独自のスタイルを形成していった。
それにより生まれたものが「オタ活」「推し活」である。(メディアによって流行したものでもある)

さて、ここまでオタク文化の変遷を辿ってきたが、原点に立ち返るとオタク文化は非常にクローズな空間で繰り広げられていたものである。
オタクたちもそれをオタクではない人間にひけらかすことはせず、細々と自分の好きを追求していた。

今とは真逆の文化である。

それに付随して、最近ではオタクがキモイという言説に対して、オタクは恥ずかしくない!素敵だ!という層が存在する。


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オタクは恥ずかしくない...?

他人の作品の登場人物を勝手に動かして非公式に物語を創作したり、限定グッズを買うために何万もお金をかけてみたり、絵に異常に興奮してみたり、勝手に自分の恋人にしてみたり、それらが恥ずかしくない...?

かつてのオタク文化を知っていれば、そんな感想は生まれないはずだ。

私は女性だが、ゼロの使い魔のルイズのエッチな抱き枕を持っている。そんなものを他人に紹介できるわけがない。
同人誌だって読むし、なんなら書いたこともあるが、それを仮に職場の人にバレでもしたら恥ずかしくて泣けてくる。
漫画を何千冊と持っているのもおかしいし、毎期毎期アニメを観ているのもおかしい。
アニソンもキャラソンも聴くけど、何を聴いているかを聞かれたら無難なアーティストを答える。
初対面の人に「私、オタクなんだよね」と言われたらどの程度のオタクかをまず測るところから始める。
BL好きの友人は当たり前だが絶対にバレないように生活している。

オタクとはそういうものだと思っていた。

そして気付いた。

オタクは恥ずかしくない立派なことだ、と言う層は恐らくオタク文化がオープンになった2010年代後半頃に、SNSでオタク文化に触れた層なのだろうと。

それなら納得できる。
そもそもオープンな状態で触れた情報を隠す必要がないからだ。

個人サイトを探してパスワードを入力して秘密の物語を読んだりしたことがないのだ。

今の主流はSNSで情報を摂取し、自らもオープンに発信する時代である。

私がぎゃあぎゃあ言っている文化はとうに化石化していることに、最近ようやく気付いた。
遅すぎる気付きである。

昔読んでいた個人サイトが次々と閉鎖されたり、そもそもサイトのサービスが終了し強制的に閲覧不可になり始めている。

私の青春が、終わりを迎えていた。

ただ、どうしても老害としてひとつ言いたいことがある。

オタク文化をオープンにしすぎるのは辞めよう、ということだ。

オタクは文化もさることながら、自身の性癖や感想も曝け出すことが多々ある。

自分の性癖や感想が誰かの不快に繋がる、はたまた公式に届いてしまうこともある。

非公式が公式に見つかるなど、あってはならないことだ。

他人の褌を借りて好き勝手しているのは普通良しとされないだろう。

その意識だけは忘れずに、楽しく「オタ活」「推し活」に励んでもらいたい。

私もその意識だけは忘れずに、楽しくアイドルを追いかけ回そうと思う。

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