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毒親と離れて暮らして3年が経過した心境。

12月某日。
毒親と離れて生活してから3年が経過する。

私はいまだに毒親から解放されていない。

私が思う毒親からの解放とは、
彼らからの愛情を諦めて自分の人生を歩むこと。

私はまだ、彼らからの愛情を諦められていない。

ただ良いことはある。

毎日のように見ていた虐待の悪夢が、
0から週1に減少したのだ。

毎日苦しみ、叫んで起きていた生活が
なくなったのはとても大きいし
良いことだ。

そして悪いこともある。

それは、毒親に愛情を求めている自分の心。
甘えたい、愛されたいと思う気持ちが
日に日に強くなっていくのだ。

これではいつまで経っても諦められないだろうと
呆れてしまうほどに。

それと同時にあふれてくる、ぶつけようのない怒り。
どうして毒親は私を愛してくれなかったのか、と。

私はどうしても親に連絡して会ってしまう。

寂しくて仕方なくて、
顔を見たり声を聞いたりして
本当は愛されているという淡い期待を
叶えようとしているのだ。

毒親は老いて大人しくなっている。
まるで鬼のように私を怒鳴りつけていた人と
同一人物かと疑うくらい。

しかし、発言から鬼の影は見える。

「私は優しいお母さんなのに」

虐待の自覚がない毒親の言葉。
これほど恐ろしい言葉を聞いたことはない。

私が子供の頃から「優しい母」に
こだわっていた毒親。

きっと本気で自分は「優しいお母さん」と
思い込んでいるのだろう。

それは違うと指摘すれば、
みるみるうちに鬼へと変化するだろう。

私は怖くて言えない。
お前は毒親だ、なんて。

来年の抱負は、毒親に一切連絡しないこと。
毒親からの愛情を諦めること。

そのために自分を愛することを学ぼう。
どんなに願っても、期待しても、
私は毒親に愛されないと現実を見よう。

来年もまた苦しい生活を強いられるだろうが、
仕方ない。

私は毒親に愛されていない。
それが現実なのだから。

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