私にとって12人の人格は○○な存在です
こんげー、わたげの本音です。
今回は、解離性同一性障害当事者の
私の中に存在する、
12人の人格は私にとってどんな存在か、
話していきます。
解離性同一性障害とは、
かつては多重人格障害といわれた
神経症です。
1人の人間の中に、
複数の人格が存在し、
私は12人存在します。
解離、人格交代すると、
私とは全く違う性格の人間が現れ、
話したり行動したりします。
例えば、
14歳の人格はギターにハマって
ギターを弾いたり、
5歳や9歳の人格は
私の恋人に甘えたり、
19歳の人格は、
私が普段飲まないブラックコーヒーを
好んで飲んだりします。
話し方、声のトーン、筆跡も違い、
なんとも不思議な精神障害です。
さて、私はこの障害を
どう受け止めているのか、
存在する人格たちのことを
どう思っているか、
本題を話していきます。
結論を話すと、
障害については厄介だなと思っており、
人格たちのことは大事に思っている、
矛盾が生じています。
障害を厄介だと思っている理由は、
いつ体調が悪くなるか予測できないから。
どういうことかというと、
私や人格が具合悪くなると、
運動していないのに動悸や息切れ、
めまい、頭痛を起こします。
それは生活に支障をきたし、
仕事どころか、
普段の生活もままらなくなり、
薬を飲んで寝るか、
人格交代してどうにか
生活するかしかありません。
また、人格交代する気がなくても、
どうしても人格が出たいときがあったとき。
我慢しているととても辛くて、
胸が苦しくて呼吸が浅くなってしまいます。
人格たちに交代しないよう
伝えることもできますが、
本人たちも交代しないと辛いときがあり、
それがとても厄介だと感じています。
続いて、人格たちのことを
大事に思っていることについて。
理由は、過去に頑張って生きた
私だと思っているから。
5歳から12歳の人格は、
親の虐待といじめを耐えて
生きました。
13歳から21歳の人格は、
親の虐待、いじめ、
男性からの性的暴行、
仕事ができないポンコツさに
耐えて生きました。
それまでの記憶は、
私にはほとんどありません。
人格が増えてからというもの、
あまり思い出せなくなったり、
記憶がぽっかり空いていて、
日記を読まないと何があったか
分からないくらいになっています。
日常生活でうっかり何かを
忘れることも多く、
少々困っています。
過去の苦しみは、
日常生活で役立つものではないので、
忘れていても問題はありません。
ただ、過去もまた自分の一部。
それを失っているのは、
なんだか寂しくて、
心にぽっかり穴が開いた気分です。
それを埋めているのが、
人格たちです。
人格たちは、
それぞれの時期の辛い記憶を
持っており、
私が負担に感じていた部分を
代わりに持っていてくれます。
その当時何があったかは、
彼らに聞けば教えてくれます。
1日の寝る前に筆談したり、
人格交代してビデオを撮って
それを見たりしています。
半年前くらいに
youtubeに動画をあげています。
ちゃんと顔は隠してあるので
安心です。
少しずつ登録してくれる人や
コメントをしてくれる人が
増えているようで、
彼らはとてもうれしそうです。
まとめると、
障害は厄介に思っているけど、
私にとって12人の人格は
過去に頑張って生きた大事な私の
一部です。
統合が治療のゴールといわれていますが、
私は統合を望んでいません。
12人と私でこれからも
人生を楽しく生きていきたいと
思っています。
今回はここまでです。
最後までお付き合いいただき
ありがとうございました。
それでは、おつげー。