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イジン伝~桃太朗の場合~XXXXI

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【 母は微笑み食器を机に置くとあのときのように胸を押さえて目をつぶった。
「朗、あなたが今しなければいけないのは成長することよ。お母さんの生きる意味はあなたをきちんと育てること。鬼怒井博士が言っているのはそういうこと。みんながいつもどおり生きていくこと。それが世界を救うことになるの」
「そんなのありえないよ」
 朗には世界を救うということがよく分からなかった。自分の生きている街が世界だと言うならそれが失われてしまうことなど想像できなかった。それよりも今学校に行きたくないこの気持ちをなんとかしてほしかった。
「あなたには役割があるの。物語を後世に伝えていく“テラー”という役割が。お母さんは優秀な“テラー”を育てる役割が割り当てられている。それはあなたが考えているのよりももっと大きな世界を守るために必要なことなの」
 そして彼女は一編の昔話をした。桃から生まれた少年が村を襲う化け物を家来の動物たちと一緒に退治するという物語だった。後世とか役割とかの話はよく分からなかったが、その物語は不思議と懐かしく惹かれるものがあると朗は感じた。
「それが僕が伝えていかなきゃいけない物語なの」
「分からない。でもきっと違うと思うの。お母さんにも出来るお話ならあなたがその役割になった意味がないから。だからそれはたぶんあなたにしか出来ない物語」
 自分にしか出来ない物語を伝える役割。“テラー”。朗は自分がすごい人物になった気がしてわくわくした。からかう奴らは愚かで僕が特別なことを知らないんだ。胸が膨らみ彼らを見下ろしているような気分に朗はなった。】

第四十一回

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「すごいね。じゃあ僕はハカセに感謝しなきゃ。僕にその役割を与えてくれてありがとうって」
 母ははっと朗を見て何か言おうとしたけれどすぐに目を逸らし口をつぐんだ。そして再び微笑んで言った。
「そうね。朗が世の中に役立つ人になれるのだもの、ありがたいと思わないとね」
 朗はその言い方にすっきりしないものを感じたが、しわしわでひんやりしている母の手に撫でられてどうでもよくなった。冷たさの内側から温かさが滲み出てくるその手は他のどんな美しい女性の手よりも朗が好むものだった。
「奥様、どうして泣いておられるんですか。悲しいことでもあったのですか」
 それまで黙っていたサリーがそう言ってばたばたと腕を動かし始めた。
「元気の出る歌でも歌いましょう」
 朗は母の顔を見ようと上を向こうとした。けれど今や母の腕の中に抱きしめられてそれはかなわない。レトロミュージック、ジョン・レノンの『イマジン』をサリーが歌うのが朗に聞こえてくる。
「こんなに愛しいのに。この感情も与えられた役割だからなのかしら。朗、私は私の意志であなたを大切な息子だと思っていたいわ。あなたのために私が必要なんじゃないの。私のほうがあなたをどうしても必要としているのよ」
 やっとこさ母の腕の間から顔を抜け出させると圧迫されていた眼球が朗の視界に七色の靄を生じさせた。サリーはまだ歌っている。
「Imagine all the people Living for today...Aha...」
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風が強い。春がやってきてます。

※こちらのマガジンにシリーズの過去記事をまとめています。七記事ずつをまとめて一つにしたものもありますので一記事ずつ読むのが面倒という場合はそちらをご利用下さい。

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