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イジン伝~桃太朗の場合~まとめ(XXXXX~XXXXXVI)

 屋上からは世界のすべてが見える。朗たちが住んでいる世界は真っ二つにした団子みたいな半球で、円周部で天と地が交わりその先はない。閉じられたドームの中にいるようなものだ。この学校が世界で最も高い建築物だから見晴らしは格別なのだが、屋上にはめったに生徒がやってこない。
 というのも、天球上に配置された九つの太陽が日没までじりじりと照り輝くからで、日陰を探そうにも一つの太陽から隠れれば残り八つの太陽に晒される有様なのだ。朗は脱いだ学生服を羽織るようにして日差しを遮ってはいるものの、やはり暑い。人目に晒されるか、日差しに晒されるかを天秤にかけて彼はこちらを選んだ。
 考え込んでいる彼が屋上への扉を開けたとき、光はいつもの数倍にいや増しているように思えて、朗は思わず顔を上げた。“下”からも日光が差している。彼はあまりの眩さに腕で影を作ってフェンスの施された縁まで進み、細目を開けて下を見下ろした。恐ろしい光景がそこには広がっている。あの“鬼”がその鋼の体躯に太陽を映して世界の端からここへ寄り集まろうとしているのだった。
朗はもと来た道を駆けに駆けた。鬼怒井がこの国の最高権力者に就いたとき以来、“鬼”は世界の周縁部にひっそりと立ち尽くすのみだった。その“鬼”が今突然に動き出して他でもないここに集まろうとしている。猿野たちの話とどこまで関係があるのかはわからないけれど、鬼怒井が何か大きな変化をこの世界に起こそうとしているのはたしかだと朗は思った。そして冷ややかで美しい彼女の鋭利な眼差しを思い出し寒気を感じていた。
 彼とすれ違う生徒たちは何事かと振り返った。目立つことを恐れて一人になるあまり余計に目立つ存在になっている朗が人目もはばからず息せき切って走ることは珍しい。彼は注目を集め、調子のいい連中の一人が駆け去る朗に呼びかけた。
――どうしたんだ桃太。おふくろの大きな桃でも迎えに来たのかい――
 彼らの嘲り笑いを気にしている場合ではなかった。朗はいっそう集まった視線を全身に受けながら教室へ向かった。
 教室は朗が出てきたときとほとんど変わらず雑然としていた。西向きの窓は薄い白地のカーテンで覆われていて外の様子はわからない。異変に誰も気づいていないのだ。駆け込み肩で息をする朗にみんなの訝しげな、あるいは驚いた眼差しが向けられる。
「一体どうしたっていうのよ。そんな怖い顔をして」
 突然猿野の隣の女子が声を震わせて桃田に問うた。彼女は思わず自分が立ち上がり声を荒げたことに気づいてすたんと腰を下ろした。唇を噛み握った拳を見つめて真っ赤になった彼女の呼吸は浅く、こらえきれないように脚が貧乏揺すりを続けている。猿野は話していた友人たちから離れ席に戻って彼女と桃太を見比べる。
 静かになった教室にぎいいと響いたのは犬村の椅子が引かれたからで、彼女はすっくと立ち上がり、誰に見向きすることもなく教室を出ていった。木地川があたふたと荷物をまとめ彼女に続くと、桃太は
「お前はどうすんだよ」
と猿野に投げかけ彼を真っ直ぐに見て待った。犬猿の仲だと思われている二人が言葉を交わすことに皆驚いた。注目が自分たちに向いていることに嫌気が差して桃太は不機嫌に目を泳がせて舌打ちした。そして彼もまた教室を出ていく。すすり泣きが残る。猿野はちょっと気になっていたその女の子、今朝自分を傷つけた女の子が泣いていることに気を惹かれて青い顔のまま不敵に笑った。あの古典映画のガンマンのように。彼がその後死んだかどうか、猿野は覚えていなかった。
「俺ら、ちょっと長い間学校休むかもだから、先生に、そうだ、鬼怒井校長に伝えといて。そんで帰ってきたらめちゃくちゃ面白い話するから聞いてくれよ。今度はオレしか知らないオリジナルの話するからさ」
 猿野が手の平に親指の爪を立てて裏腹にへらへらと教室を出た直後、隣の教室から悲鳴が聞こえた。
「鬼が、ここに向かっているぞ」
 連鎖するように自分の教室も騒がしくなり、あの女子が金切り声を上げた。
「私気づいてたわ。嫌な予感がして、怖くて震えが止まらなかった。あいつらのせい、きっとそうよ、猿野くんたちが悪いんだわ」
 猿野は肩をすくめて
「それでも惚れたもんは仕方ない」
と呟いた。教室に戻る理由もなくなった。彼は階段を下り、昇降口で待つ桃太たちに腕を振る。なんとなく、やっと自分が物語の中心人物になったような気持ちがして猿野はぱちんと両頬を叩いた。

 彼らが昇降口から出ると不気味な音が聞こえた。かすかな、それでも確かな一音の連なり。コツン、コツン。すべての鬼がずれることなく同じリズムで刻む足音。姿は見えない。だが確実に近づいている。
――生徒の呼び出しです。これから名前を挙げる生徒は速やかに職員室に集まって下さい。桃太朗くん、犬村涼菓さん、猿野徹信くん、木地川詩羽くん。以上四名は至急職員室に集まって下さい。繰り返します……――
 そこに校内放送が加わる。いつもと変わらないトーンで人工の感情が平板な電子音声が昇降口から手をこちらに伸ばすように聞こえてくる。
「こりゃあオレら急に指名手配犯だな。人気者も楽じゃないぜ」
 猿野がぐっと伸びをして大あくびをついた。朗も上から下ろしてくるたくさんの視線を感じて吐きそうになっていた。関心の方向を決めかねた凪の視線。朗たちを今まで通り自分たちの一員(とはいえ四人は少しづつずれたところのある生徒と以前から思われていたのだが)とするのか、それとも異物として非難するべきなのか。潮目はまもなく片方に決してしまうだろう。
「あんまりいい気分じゃないよ。それに僕、昼ごはん食べ損ねた」
 木地川がうんざりしたというように肩を落とし腹をさすった。犬村は挑むように教室の方を睨んでいる。
「それはオレもさ。だからまずは、オレの家に行こう。団子の一つ二つはきっとあるはずだ」
 朗は他の四人を引き連れて校庭を走り外へ抜け出した。猿野がぼそっと呟く。
「まさかこんな形で不登校になるなんてな」
 朗の家は学校からさほど離れていない郊外にあった。この表現に矛盾があると猿野に噛みつかれた朗も
「でもそう言うしかないんだ」
と素っ気なく言うしかなかった。しかし、だからこそ朗は隠れ家として自分の家が適当だと考えたのであった。“鬼”の包囲網が到達しておらず、比較的国の統制システムが緩いから安全だろうと朗が説明すると、走るのに疲れて既にほうほうの体になった木地川が息も切れ切れ尋ねた。一呼吸ついては話すといった具合だったので聞いている朗たちは頭を働かせて彼の言葉を再構成しなければならなかった。要は「朗の家では心地よく生活できるか」ということだったのだが、朗はにべもなくそれは無理だと答えた。“イシス”の禁断症状者のように脚を震わせる木地川の手を引いて続ける。
「だから安全なのさ。ほとんどすべての社会保障システムをオレの家では使っていないんだ。唯一利用しているのはニュース通信と全自動食事生成機くらいだ」
「じゃ、じゃあ、音楽もバーチャルダイブもないってこと」
「木地川、諦めろ。きっと桃太の家じゃ洗濯物だって手洗いだろうぜ。おばあさんは川に洗濯へ、ってな」
「猿野くん、あなたそれ以上桃太くんを侮辱すると、許さないから」
 桃太は周囲で交わされる会話に困惑していた。自分の一言が部屋の壁に反響して返ってくることはあっても、違う言葉になって、他人の声になって響くことを経験したのは初めてだったからだ。その違和感に彼は腿をつまんだ。それは痛く、朗は夢じゃないこの光景を少し涙目になってもう一度見つめた。
 彼らは校門を出ると敷地を囲うフェンスに沿うようにして走った。街は校舎を中心にした放射状に道を持ち、その道々の両側には所狭しと数階建ての建物が建ち並んでいる。その用途はほとんどが人々の居住地で、同じ間取りの部屋に様々な人々が暮らしている。
 人々は全自動食事生成機を始めとする社会保障システムの恩恵を受け、生きたいように生きる。ある人は家の中に閉じこもり誰とも交流することなく一生を終えるし、ある人は音楽を街の広場で奏で踊り明かす。またある人は本を読み本を書き人々に配り歩くし、大昔のベストセラーをどこかから引っ張り出してきて「汝敵を愛せ」などと人々に宗教を説く者もいる。
「だからけっこう変わってるよね、桃太くんのご両親。洗濯は手洗いだし、この時代に働いているし」
 洗濯は機械を使っている、と訂正するのも煩わしく、木地川の不満と疑問を聞き流しながら朗はそういえばどうして父と母は毎日あの丸薬を作り、そしてそれはどこに流れているのだろうと不思議に思った。さらに言えばどうしてあれほどシステムを拒否するのかということも、ただ父の信念だからと一言で片付けるのはいささか強引である気もしたのであった。結局彼は両親についてほとんど何も知らなかったのである。
「学校の真裏ってこんな感じだったんだな」
 朗は猿野の一言で我に返った。道の幅がこれまでより明らかに広く、その分建物の戸数は少なくその一棟一棟も高さがない。物寂しさは隠しようがなくそれを強調するのは一棟ごとに設えられた塀である。高さは二メートルもあるだろう。三本の道のうち、左の道入って二番目の一軒家が朗の家だった。わらで覆われた屋根だけが見える。その異様に他の三人は尻込みしつつ、塀に一箇所だけ設置された小さな潜り戸の中へ朗に続いて入った。
 潜り戸からは階段を降りる必要があった。それは螺旋式で下りるほどに大きな円を描く階段になった。“地下”に行くほど大きなスペースを作ることが出来るからだ。一階部分まで下りきると地上に見えていた藁葺き屋根はこの建物のごく一部に過ぎないことが分かった。
「お前んち、すげえんだな。謝るよ。洗濯は手洗いだとか言ってしまってさ。オレの家の一万倍は大きいぜ、こりゃ」
「いや、オレも、僕も驚いてるんだ。いつもはもっと普通で。藁屋根の古臭い家なんだ。中はもうちょっとましなんだけどね。どういうことなのか、父さんに聞いてみるよ」
 朗は玄関前で腰を曲げて待ち構える父を見つけ襟を正した。対する父は口を真一文字にして朗を見据えている。周りにいる仲間たちにはほとんど注意を払っていないようだった。父が不機嫌なことを察して朗が目の前まで近づくと、彼はしわだらけの顔をしかめ息を詰まらせて言った。
「なんてことをしてくれた」
 玄関の扉が開いて母が姿を現した。朗を認めると倒れ込むように近づこうとしたが、それは父に押し止められる。もう一度向けられる視線。朗は怯んで一歩後退った。猿野たちは彼から少し離れたところから動くことが出来なかった。
「自分が何をしたのかお前は分かっているのか」
 感情を抑え込み発せられた言葉は不自然に平面的で、耳に届いたときはなおいっそう強く振動する。朗は声を出すことが出来ずただ頭を振った。再び口を開いた父を揺さぶり母が言う。
「お父さん、いつかはこうなる、分かっていたことではないですか」
「お前は黙っていなさい。……朗、鬼怒井博士が『人にはそれぞれの役割がある』と言っていたことを覚えているだろう。それはな、正しいことだがもう一つの条件を満たさなければ実を結ばんのだ。お前は時期を見誤った。早過ぎたのだ。私たちはまた、お前を失うことになる」

今、嬉しすぎて内臓が痛いです。

※こちらのマガジンにシリーズの過去記事をまとめています。七記事ずつをまとめて一つにしたものもありますので一記事ずつ読むのが面倒という場合はそちらをご利用下さい。

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