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イジン伝~桃太朗の場合~まとめ(XXXXIII~XXXXIX)

「このあたりのはずなんだけど」
 教室に戻るのではなく、犬村は教室棟の端へと朗を導いた。まもなく授業が始まる頃合い、雑談しながら教室へ向かう生徒たちの中へ戻っていかずに済むことは朗にとって好都合だった。犬村と一緒にいれば彼らになんと冷やかされるかわかったものではない。あとで授業を二時間休んだことを報告に行かなければならない。
「それでその二人って誰なんだ」
「会ってからのお楽しみ。きっと気にいると思うわ」
 犬村の含みのある言い草が気になったものの、自分の選んだ道なのだと頷いた。「でもこの先って校長室じゃないのか。生徒は立入禁止のはずだろう」
 渡り廊下の入り口には大きくその旨が書かれていて、気づかなかった奴がもしいたとするならどうかしていると朗は思った。犬村は肩をすくめて呆れたように言った。
「大丈夫。私たちが入っていくわけではないから。それにしても、馬鹿な人たち」
 ガラス戸の向こうに何かが動いているのが見えた。磨りガラスでぼやけてよく見えない。そっと朗が近づくと突然戸が開け放たれた。
「ああ死ぬかと思った」
 大声でそう言って出てきたのは二人の少年だった。
 一人は背の低いやせっぽちの赤鼻少年で、もう一人はひょろひょろした眼鏡の少年。そして二人とも着ている制服はあちこち擦り切れて、そのボタンのいくつかが取れてしまっていた。ほつれた糸が淋しそうに生地から生えている。
 二人はまさかそこに誰かがいるとは思っていなかったので口を開けたままびくりと体を震わせた。反射的に胸の前で腕を交差させたときに辛うじて糸と繋がっていたボタンが外れて飛んで朗の前に転がる。
「お前かよ」
 心底うんざりだ、というのが丸裸な声色に赤鼻の少年はむっとしてそっちを睨んだ。眼鏡の方は朗を見て目を輝かせる。
「お前かよ、は失礼だろ。オレだよ、猿野だよ。悪いか桃太さんよ」
「わあ、桃太くんだ。僕たちずっと探してたんだよ。会えてよかったあ」
 ポケットに手を突っ込み詰め寄ろうとする猿野を押しのけ眼鏡くんは朗に駆け寄った。朗はその分数歩退いて人懐っこく笑う彼を手で示し、隣に立つ犬村に問うた。「この子は誰なんだ」
「知らないの。同じクラスの木地川くんじゃない。歌うのが得意で音楽の授業では目立ってたと思うけど」
 彼から自分に伸ばされた手をしげしげと見て朗も腕を伸ばした。細くて白い骨ばった手。握手を交わすと意外に温かで強い力に引き寄せられた。
「木地川だよ。よろしくね。こっちは猿野くん。とっても物語が上手いんだ。あ、聞いてたから分かるかな」
 よろしくとほとんど独り言のように呟いて朗は唾液を飲み込んだ。口が乾いて舌が引っかかる気がしたのだ。そっと視線を下げてゆっくりやってくる猿野を見た。口を尖らせそっぽを向いた彼は手の届かない位置で止まった。よく見ると顔色が悪いようだ。うっと口に手を持っていった猿野はその場に崩れて嘔吐した。
「大丈夫」
 木地川が振り返って四つん這いになった猿野に寄り添った。嘔吐の内容物はそれほど多くないようだ。各家庭で食される完全栄養食は消化吸収も早いので正午までにはほとんど胃の中に残っていないのだ。犬村はトイレットペーパーを取ってくると引き返し、朗はポケットに入れたちり紙を猿野に手渡しその背中をさすった。触れると猿野がぶるぶる震えているのがわかった。日が差し暖かいくらいなのにどうして。
「たく。情けねえなあオレは。これくらいでいっぱいいっぱいになってるんだからよ」
 猿野がちり紙で口元を拭きながら涙目でそうこぼした。歯を食いしばり嘔吐物をかき集める。
「仕方ないよ。本当に死ぬかもしれない目に遭ったんだから」と木地川。
「向こうで一体何をしていたんだ」
と朗が尋ねても猿野は嘔吐物から目を離さず黙ったままだった。それは少し赤みがかって血が混じっているようだった。
「見られた以上、黙っていても仕方ないよね。僕から話すよ」
 木地川がぽつりぽつり話し始めた頃に犬村が戻ってきた。彼女の持ってきたトイレットペーパーで吐いたものを集め近くのゴミ箱に捨てながら、彼は自分たちが朗を探し始めてから今に至るまでの経緯を語った。話すのを渋っていた猿野も時折口を挟んでは補足して、徐々にその顔へ生気が戻ってきた。そして部屋を出て無事にこの場所まで戻ってきた場面に入るとほとんど猿野が話をしているのだった。
――ハカセが校長室に向かって来てるのがわかってオレたちは急いで引き返そうとした。渡り廊下に躍り出たオレと木地川は急いで出口へ走ったんだが、驚いたことに屋根が閉じて左右から迫ってきたんだ。妙に庇の長い屋根だと思っていたけれどあれは侵入者対策のプレス機だったんだな。のんびりしてたら潰されて人間の平面標本の完成だ。焦ったオレたちは更にスピードを上げて走った。ところがどっこい、あともう少しってところで木地川がこけやがった。絶体絶命。閉じてくる屋根を押し戻そうとしたけどもちろんそれで止まるわけもない。オレは死を覚悟した。
 でも人間追い込まれれば知恵が浮かぶらしい。屋根は木造りで内側にはわずかだけど木組みの間にスペースがあった。大人なら無理だったんだろうけど、幸運なことにオレと木地川はその隙間に体を滑り込ませることが出来た。まるで自分が金型に流し込まれる鉄にでもなった気分だったよ。身動き一つ取れないし、全身が常に何かに触れているんだ。思い出すだけで吐き気がする。
 しばらくすると外から声が聞こえた。苛立った声だ。
「また誤作動でもしたのかしら」
 舌打ちをしてぶつぶつと文句を言いながら何かしている気配があった。この装置を解除するには複雑な手順みたいなものがあるんだろう。その間にオレは必死で考えた。人間標本にはならなかったが、もし見つかってしまえばどんな酷い目に遭うかしれたもんじゃない。開いていく屋根にしがみつきながら懐を探った。目当ての物は見つからない。乱れる呼吸を意志の力で抑え込んでオレは木地川に目をやった。木地川はオレの取り付いている屋根の向かい側に貼り付いていた。顔を真赤にして、話す余裕はなさそうだった。
何しろオレたちはもうすぐこの廊下を渡りきるところだったから、ハカセはほとんど真下にいる。声を漏らしたり大きな動きをとれば確実に見つかってしまうだろう。オレは片手を離しその手を木地川の方へ伸ばした。ぎりぎり触れる。が、それでは木地川の懐を探ることは出来ない。必死に手を伸ばし外れずに残っていたボタンを引きちぎる。ふと気づき下を見たが失くしたボタンは廊下には残っていない。ほっと息をつく。もうだめかと思ったぜ。
 そうしている間に屋根は元の傾き、直角くらいに開いていた。もしハカセがこの装置が誤作動したのかどうか疑っているのなら、このタイミングで上を見て獲物がかかっているかどうか確認するだろう。つまりここが天王山だった。
 オレは梁の一本に足を掛けて宙ぶらりんになった状態からその勢いのまま木地川に両腕を伸ばしてその制服のポケットに手を入れ目当ての物を掴み取ったんだ。そして逆さまのまま校長室の方に丸めたそいつをぶん投げた。オレはその結果を見極める暇もなく元の体勢に戻って息を潜めた。梁に掛けていた膝の裏がひりひりしたよ。
 この作戦は上手くいった。これは想像でしかないけど、オレが投げた“ハンカチ”は渡り廊下の奥の方でふわっと広がって、まるで屋根が開いた拍子に落ちてきたように見えたに違いない。ハカセが歩いていく足音がして
「誰のハンカチかしら。まったくこんなものが装置を作動させるなんて。もしかしたら入り口から誰かが投げ込んだのかもしれないわね。後でカメラを確認しなければならないわ。いたずら坊主には制裁を加えなくてはね。でもまずはあの報告書を仕上げないと」
と言っていた。そしてハカセが部屋に入った瞬間にオレたちは廊下に降りてここへ戻ってきたってわけさ――
話し終えた猿野はぶるっと体を震わせ次いで朗と犬村を交互に見た。
「ハカセはきっと今はまだその報告書とやらを書いている途中だろう。だがそれが済み次第一体ここで何が起きたのか知ることになる。そうしたら、言いたいことはわかるよな」
 朗はいろんなことが一気に氷解して、ありとあらゆる具材を入れごちゃまぜになった寸胴鍋に投げ込まれたような気がした。人並み以上に物事を知っていると思っていたのは勘違いで、実は何一つ実情には触れていなかったのだ。そしてこの寸胴鍋は一体本当に鍋なのかはたまた大きな湖か何かなのかもわかっていない。
「まったく信じられないわ。あの鬼怒井先生がそんなことしているだなんて。あなた古典映画の見過ぎじゃないの。何でもかんでも陰謀とか言って騒ぎ立てたり、そういえば桃太くんの話だって」
 犬村はそう言って猿野を睨んだ。一瞬怯んだ猿野もふんと鼻で笑って言い返す。
「なんとでも言うがいいさ。だけどクラスの中で生き残っていくにはああいうスキルがどうしても必要だってお前らにはわからないんだろうな。どんな話題だっていいからとにかく自分の存在をああやってアピールしていかなきゃオレはあの場からいなくなったも同然になるんだよ。お前らはさ、きっとわかんないよ。初めから『私は一人でも大丈夫なんです。私には関わらないでください』って澄まし顔してるお前らにはさ」
「もうやめなよ。まずはここから離れよう、ね。ハカセが来たらそれでもうみんなおしまいなんだから」
 木地川が二人の間に入って諌めると犬村は
「こっちの気持ちだってわからないくせに」
と言い捨て、猿野は憎々しげに地面を睨んで
「あれがオレの妄想だっていうのかよ。冗談じゃないぜ。今にオレの言ったことが真実だって思い知ることになるさ」
とぶつぶつ言った。だらだらと廊下を教室に戻り、昼食後昇降口へ集合することを決め、四人は別れた。
 同じ教室に戻ったとしてもそれは“別れた”と言っていい様子だった。猿野はめちゃくちゃになった姿をからかわれ、彼もまたおどけて「ちょっと狼人間に変身しちゃったもんでさあ」なんて言っているし、木地川はひっそりと自分の席に戻って隣の女子に「どうしたの」と聞かれ顔を赤らめている。犬村は何事もなかったようにつんと澄まして鞄から完全栄養食スティックを取り出しかじり始める。そして朗は机に戻ると中身を鞄に詰めて教室から出た。賑やかな教室棟を出て屋上に向かうのである。混乱した頭を整理するためだった。
――もし、もう学校に来なくていいのなら――
 階段を登っている彼の頭の中では一つのプランが出来上がりつつあった。

淡々と、粛々と。それが結構難しい。

※こちらのマガジンにシリーズの過去記事をまとめています。七記事ずつをまとめて一つにしたものもありますので一記事ずつ読むのが面倒という場合はそちらをご利用下さい。

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