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イジン伝~桃太朗の場合~まとめ(XXXVI~XXXXII)

 綺麗な女性が挑むような眼差しでまっすぐこちらを向いていた。見るものの目に飛び込んでくるように加工されたテロップが立体映像の周囲を回転している。“国家代表鬼怒井氏永眠”、“持病の肺炎が悪化か”、“緊急会見”、“鬼ヶ島国代表に鬼怒井氏の娘が就任”。
 女性は六十代後半だったという鬼怒井氏の娘らしいのだが、かなり若く見えた。というのも彼女は俗に言うセーラー服を着ていて大きなソファに腰掛け組まれている足は細く全体的に華奢な印象だったからだ。大人ではない未完成な体が威圧感すら漂わせているそのちぐはぐが彼女を見るもの全て惹きつけているのが察せられた。彼女はずっと黙ったままだ。緊張と期待があらゆる家庭のお茶の間で最高のボルテージに達しようとする今、次彼女が発する言葉は確実に人々を動かすだろうと思われた。
 漢字の読めない朗少年もまた雰囲気に飲まれていた。そして鬼怒井嬢に心奪われていた。現在まで変わらぬ凛とした視線ではなく太腿の上で組まれた指先にときめいていた。その人差し指は絶え間なく一定のリズムを刻んでいた。“好き”と“嫌い”を往復する無限の花占いのような二者択一のリズム。彼女はこのとき何かを選択していたのかもしれない。例えば自分の生きる意味をなぞるのは右なのか、左なのか。
「母さん、とうとうだな。私たちの役割がもうすぐ果たされる」
 キッチンにいたはずの母が父の肩に手を添えて立っていた。二人は同じ映像を見ていたがその表情は対照的だった。
「ええ、そうですね。もう、始まってしまうんですね」
 父は瞳に炎を宿し、母は鼻をすすりきゅっと目を細めていた。
 そして少女は動いた。くっと顎を引きしばし目を閉じてから下唇を軽く噛み一言。彼女の声は風の音に似ていた。晴れの日に吹く微風だ。弱く小さくややかすれていて木の葉とみんなの前髪を揺らす。
「違う」
 その途端画像にノイズが駆け巡る。無数の銀線が走って彼女の姿が見えなくなっていく。まるでノイズが見えているかのように線の軌跡を彼女は目で追っていた。血の気の抜けた顔、はっと目を大きく開いて。
“映像の乱れにより放送を一時中止します。ご迷惑をおかけして大変申し訳ございません”
 完全に映像が途切れてテロップが表示される。朗は心配になって両親をちらりとやったが二人はもう朗に気づく余裕を取り戻して彼に頷いてみせる。口の動きだけで「そのまま見ていろ」「大丈夫よ」と言ってテーブル上の映像ではなく横を向き指し示した。そちらには窓があり、銀色の線が走っていた。銀色の線。
 朗は訳が分からなくなって転がるように窓へ走り夢中で開け放った。ムッとする空気、甘ったるい絡みつく匂いが入ってきて彼は涙をにじませ軽くえづく。そしてあまりの眩しさに顔の前へ腕をかざした。細目で辺りを見渡しそこで見つけた。朗は信じられず目を逸らしもう一度確認し息を呑んだ。彼が見たのは銀色の巨人、いま世間が“鬼”と呼ぶ正体不明の自立運動体だった。
「父さん、母さん。あれは何」
 振り向くとテーブルモニターに白衣の女が表示されていた。長い髪を結って右肩に下ろし顕になった両耳には赤いピアスが光っている。右手を差し出し微笑む彼女に朗は手を伸ばしかけた。
「違う世界に皆さんをお連れしましょう。父が与えなかった皆さんの生きる意味を私が提供いたしましょう」
 それはさっきの少女だった。右か左か一つを選んだ彼女は映像が切り替わる短時間に迷いから覚め背負われる者から背負う者になっていた。彼女は続ける。
「生きる意味とは他でもない、この世界の存続に供することです。皆さんには世界の命運を背負っていただくのです。といってなにか特別なことをしてほしいというわけではありません。ただその生命を全うしてほしい。それは次の世代へのバトンになるのです。それから」
 両親が胸のあたりを押さえて静かに瞑目している。そこになにかが埋まっているように。生きる意味。朗は鬼怒井の言葉を繰り返す。埋め込まれるのか、この中に。
「驚かれた方もいらっしゃるでしょうが、今街を闊歩する鋼の人間は皆さんを守るガーディアンです。恐れる必要はありません。倫理を逸することがなければ決して我々を襲うことはないのですから。では、新世界へ」
 そう言って唐突に鬼怒井は消えた。外の眩しさも収まっていてあの銀の巨人もいつの間にか姿を消していた。ただ夢ではない証拠に道には無数の細い“足跡”が残っていた。
「さあ早く朝ご飯を食べて支度しなさい。学校に遅れるぞ」
 後ろから不機嫌な父の声が聞こえて朗はテーブルに戻る。モニターの電源は切られていて朗が座るのと入れ替わりに父は立ち上がる。席には彼が朝食を取りながら読んでいた電子科学雑誌が残される。今日分の記事を読み終えた雑誌は無地の白い紙の束に戻っている。父は「食べ物を食べる時は食べ物に集中しなさい」と言うくせに自分はほとんどいつも雑誌やテレビを見ながら食事する。
「お父さんは先に出発するからな。キビ、必ず飲むんだぞ。それじゃあ行ってくる」
「わかった。行ってらっしゃい、お父さん」
 朗はよほどもう一度窓から外を眺めてみようと思った。今度見たらあの引っ掻き傷はなくなっているかもしれない。あれは自分が寝ぼけていて見た明晰夢だったのかもしれない。そう思うほどにいつもと同じやり取りが繰り返された。父は何も変わらず今日も薬品の材料集めにでかけた。朗が急いでモニターを起動すると鬼怒井の会見が始めから終わりまで何度もリフレインしていた。
 各家庭の電子冷蔵庫で自動生成される完全栄養食を砕いて卵やウインナーに成形、野菜を添えたままごとじみた朝食を食べ終えた朗は片づけにきた母をつかまえて「今朝の出来事は本当にあったことなのか」尋ねてみるつもりだったのに口から出たのは違う言葉だった。
「ねえ、僕の生きる意味って何なの」
 母は食器を重ね空いた手で朗の頭を優しく撫でた。朗は頬にひやりとした感覚が走ったので手で払うとそれは涙だった。自分が泣いていたとは思わない朗はまごつきうつむいてしまった。
「可哀想に、びっくりしたのね。鬼怒井博士も困ったものだわ」
 母は微笑み食器を机に置くとあのときのように胸を押さえて目をつぶった。
「朗、あなたが今しなければいけないのは成長することよ。お母さんの生きる意味はあなたをきちんと育てること。鬼怒井博士が言っているのはそういうこと。みんながいつもどおり生きていくこと。それが世界を救うことになるの」
「そんなのありえないよ」
 朗には世界を救うということがよく分からなかった。自分の生きている街が世界だと言うならそれが失われてしまうことなど想像できなかった。それよりも今学校に行きたくないこの気持ちをなんとかしてほしかった。
「あなたには役割があるの。物語を後世に伝えていく“テラー”という役割が。お母さんは優秀な“テラー”を育てる役割が割り当てられている。それはあなたが考えているのよりももっと大きな世界を守るために必要なことなの」
 そして彼女は一編の昔話をした。桃から生まれた少年が村を襲う化け物を家来の動物たちと一緒に退治するという物語だった。後世とか役割とかの話はよく分からなかったが、その物語は不思議と懐かしく惹かれるものがあると朗は感じた。
「それが僕が伝えていかなきゃいけない物語なの」
「分からない。でもきっと違うと思うの。お母さんにも出来るお話ならあなたがその役割になった意味がないから。だからそれはたぶんあなたにしか出来ない物語」
 自分にしか出来ない物語を伝える役割。“テラー”。朗は自分がすごい人物になった気がしてわくわくした。からかう奴らは愚かで僕が特別なことを知らないんだ。胸が膨らみ彼らを見下ろしているような気分に朗はなった。
「すごいね。じゃあ僕はハカセに感謝しなきゃ。僕にその役割を与えてくれてありがとうって」
 母ははっと朗を見て何か言おうとしたけれどすぐに目を逸らし口をつぐんだ。そして再び微笑んで言った。
「そうね。朗が世の中に役立つ人になれるのだもの、ありがたいと思わないとね」
 朗はその言い方にすっきりしないものを感じたが、しわしわでひんやりしている母の手に撫でられてどうでもよくなった。冷たさの内側から温かさが滲み出てくるその手は他のどんな美しい女性の手よりも朗が好むものだった。
「奥様、どうして泣いておられるんですか。悲しいことでもあったのですか」
 それまで黙っていたサリーがそう言ってばたばたと腕を動かし始めた。
「元気の出る歌でも歌いましょう」
 朗は母の顔を見ようと上を向こうとした。けれど今や母の腕の中に抱きしめられてそれはかなわない。レトロミュージック、ジョン・レノンの『イマジン』をサリーが歌うのが朗に聞こえてくる。
「こんなに愛しいのに。この感情も与えられた役割だからなのかしら。朗、私は私の意志であなたを大切な息子だと思っていたいわ。あなたのために私が必要なんじゃないの。私のほうがあなたをどうしても必要としているのよ」
 やっとこさ母の腕の間から顔を抜け出させると圧迫されていた眼球が朗の視界に七色の靄を生じさせた。サリーはまだ歌っている。
「Imagine all the people Living for today...Aha...」

「それで、何なんだ。その、オレへの用事っていうのは」
 そう答えてしまって朗はへどもどした。犬村はふっと顔を明るくしたがすぐにしかつめらしい表情を取り戻そうと口をもごもごと動かした。それでも足りず手で顔を覆ったまま
「聞き入れてくれるのね。ありがとう。感謝します。用事っていうのはね、お願いなんだけど」
 朗は犬村のまどろっこしい話し方にも文句をつけず少し困ったように彼女を見つめていた。手をどけた後もなんとなく正視できず犬村は唇を一度舌で湿らせて切り出した。
「私を朗くんの部下にしてほしい。朗くんはきっと特別なことをする人だって思うから。私、その手伝いをしたいの」
「部下だって」
 首を横に振る朗に犬村は畳み掛ける。朗はなにか考えるように目を閉じて額に手を当てる。
「他にも二人あてがいるわ。今から会いに行きましょう」
 犬村は階段を駆け登って朗の腕を取る。彼はこめかみに手を当て眉間にしわを寄せていた。手を引かれるまま犬村についていく。
「大丈夫。頭が痛いの」様子に気づいた犬村が尋ねる。
 朗は混乱していた。何かが始まろうとしている予感があった。そしてそれは自分の意志の外で動こうとしている。枠の中へ徐々に自分がはめ込まれていく。その感覚は甘美で自分がとろけていくようで気持ちが良かった。朗は慌てて自分の頬を強くつねった。

この混乱を越えて日本や世界がより優しく強く生まれ変わりますように。

※こちらのマガジンにシリーズの過去記事をまとめています。七記事ずつをまとめて一つにしたものもありますので一記事ずつ読むのが面倒という場合はそちらをご利用下さい。

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