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イジン伝~桃太朗の場合~XXXII

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【「コマンド:アポトーシス、最終フェーズに移行します。皆様の死が安らかなものになることを祈ります。同時展開、コマンド:ディスカード、準備フェーズに移行します。キャンバスは白くないと新しい絵は描けません」
 平板な女性の声が響き渡った。と机が前にせり出しその下に階段が現れた。薄かった薬品臭が一気に部屋中に広がる。
「鬼怒井研究員はただちにラボへ入室し、各コマンドの最終許可を認証して下さい。繰り返します。鬼怒井研究員はただちにラボへ入室し、各コマンドの最終許可を認証して下さい」
――ノデ、私だ。鬼怒井だ。なぜ起動した――
 猿野たちは以心伝心、出口へ駆け出した。モニター番号0には右耳に触れ眉間にしわを寄せた鬼怒井の姿が映し出されている。機械的な音声に答えているのは彼女の声だ。間もなく教室棟というところまで彼女は来ている。
「室内に微量の炭酸ガス発生を検知しました。ID認証は現在停止されています」
――まさか私の部屋に忍び込む者がいるとはな。すぐに部屋を閉鎖しろ――
 門を開け放ち渡り廊下を走る。けたたましい警告音が鳴る。視界が狭まっていくような感覚に襲われ猿野は手の甲で目元をこする。錯覚ではないらしい。
「まずいよ。このままだとつぶされちゃう」
 木地川は悲鳴を上げた。屋根が角度を縮小したたまれ始めたのだ。完全に閉じてしまえば二人は屋根に挟まれた押し花状態になる。スピードを上げる。短いと思っていた廊下が長く見える。渡り切るまではあと五メートルある。
「あ」
 気の抜けたような声が聞こえて振り返ると木地川が転倒していた。屋根の両翼はもう肩幅ほどまで閉じている。
「お前、ふざけんなよ」
 言いながら猿野は木地川に駆け寄っていた。立ち上がらせ少しでも屋根の動きを鈍らせようと手をかける。しかし押しても押しても屋根は止まらない。二人の断末魔とともに屋根は完全に閉じ、警告音も余韻を残して消えた。】

第三十二回

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「でも私、桃太くんが無事で本当に安心したわ。もしかしたら」
 犬村は感極まったようにそこで言葉をつまらせ朗の方を向いた。問い詰めるような険しい視線だが、胸の前で交差させた腕は小刻みに震えている。朗は目だけ彼女に向け皮肉っぽく口の端だけで笑った後、彼女を置いて歩を進めた。
「人を散々つけ回して安心もないだろう。オレはあんたから身を守るためにハッタリを仕掛けたんだ。まさかああも見事に騙されるとは思ってなかったけどな」
「それくらい心配してたってこと」
「誰かもおんなじこと言ってたよ」
「それって誰のこと」
「誰でもいいだろ」
 朗はスピードを速める。犬村が煩わしくて仕方がない。そしてあの女。肩に残った感触を思い出してパンパンとはたく。ごく細かい埃がヌルい空気に漂ってキラキラ光る。
「どうしてオレにつきまとうんだ。同情か。友達いない同士仲良くしようとかそういうことなのか」
 窓からは帰っていく父兄の集団が見えた。校庭を歩く彼らは塊を作るでもなく一様にバラけるのでもない、血管を巡る血球細胞のように近づいたり離れたりを秩序なく繰り返し流れていく。あの中には朗の両親もいるのだろう。
「人には変えられないことがいくつかある。そのうちの一つは自分の親が誰であるかということだ。子供に暴力を振るう親でも老人と言えるほど年をとっている親でもその人たちが自分の親であることは生まれた時から決定している。子供に選ぶ権利はない」
 親と聞いたときの犬村の表情はなんとも言えないものだった。ただそれまでの媚びる様子は明らかに引っ込んでしまった。彼女は朗の腕に自分の腕を絡め窓の前に体を滑り込ませた。
「じゃあ私になんて言わせたいの」
 冷たくて官能的な声色に朗は彼女を凝視する。光を背負ってその表情は影になって見えない。
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朝井リョウさんの『死にがいを求めて生きているの』、刺さります。“生きがい探し症候群”、胸が痛くなりました。

※こちらのマガジンにシリーズの過去記事をまとめています。七記事ずつをまとめて一つにしたものもありますので一記事ずつ読むのが面倒という場合はそちらをご利用下さい。

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