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〈インタビュー〉 文京区・成澤廣修区長

 明治時代には東京大学をはじめとする多くの大学が創立され、“文教の地”として発展し、数多くの文人たちが作品に描いた場所としても知られる文京区。国政などでも比較的投票率が高く、政治や教育への関心度の高さが目立ちます。そんな中、文京区で区議会議員時代から文京区政に携わり続ける成澤区長(現在5期目)にお話を伺いました!(取材者・大西、牧野、岡本、舘崎)

――成澤区長は、学生時代どのように政治に対して関心を持たれたのでしょうか。

 私が政治に漠然とした関心を持ったのは、中学校2年生ぐらいのときでした。その頃、私は本郷三丁目に住んでいましたが、その一帯は、明治の時から東大の医学部周辺で商売をする医療機械を販売する店がたくさんありました。今でも「医療機械の街」なんです。
 医療機械店は職住近接(※自宅と職場の距離が近い)で、1階がお店で奥が居間で2階が住まいになっているような家がたくさんありました。しかし、ビルを建てて建物を高度化・集約化していく流れが進み、職住近接の医療機械の町工場みたいな形でやってきた人が地上げに遭い、結果として人口がどんどん文京区から出ていきました。
 こういう町づくりというか、町が壊れていく状況に対して、漠然とした怒りのようなものを覚えて、どうやったらこの町が住み続けられるような町になるのかなということを考えました。
 そのあと、大学時代に国会議員の学生秘書を経験したり、都議会議員の方の選挙応援をする中で、出馬できる機会があったのが25歳と2ヶ月の時の区議会議員の選挙でした。今思えば無謀な話ですけど、チャレンジしてみたところ、結果として当時、全国最年少で25歳2ヶ月当選することができて、区議会議員としてのその活動が始まったわけですね。

――若者が主体的に政治家になっていくことは重要でしょうか。

 そう思います。もうこの国では、今までの人たちがイメージしていたような終身雇用などは崩壊が始まってると思います。また、大学受験も本当に様変わりしてきています。指定校推薦やAO入試など、12月には大学受験が終わってる人たちもいてーー。
 「ライフシフト」というアメリカ発の言葉があります。例えば、僕自身のライフシフトでいえば、25歳までがいろいろな準備をした時で、25歳から16年間区議会議員をやって、そこで次の転機があって、41から20年は少なくとも区長をやる。人生100年時代からすると、まだ僕の人生はあと1回か2回は転機があると思います。
 恐らく、皆さんたちはそのサイクルがもっと早いんだろうと。そういう発想に立てば、皆さんたちも別に政治を志したからといって、一生政治をやり続ける必要もないし、取り組んで解決しなきゃならない問題が皆さんたちの地域であるなら、その課題を解決するためだけにチャレンジして、その課題が解決したら、元々なりたかった仕事に移ったっていいんだろうと思います。そのぐらいフレキシブルな政治参加ができるよう、この国は変わっていかなければならないと思います。そうでなければ、持続可能な成長戦略を描けないんじゃないのかなと思います。

――文京区として、学生や若者に向けた政策をどのように取り組まれているのでしょうか。

 一般に子育て支援というと、中学生ぐらいまでの子どもたちへの支援をイメージしているんですが、今年から文京区では、高校生に対する支援を始めることを決めました。
 国が児童手当を来年(2024年)10月から高校生世代まで拡大をするのと、児童手当に対する所得制限を撤廃しますが、それに先駆けて、この秋から文京区では取り組んでいきます。今までの児童手当は、中学校3年生までしか補助がされていなくて、今実際に教育費の負担が一番大きいのはどこかというと、高校生世代だといわれています。今では一人が1台スマホを持つことが当たり前で、その費用が最低でも月5,000円かかるし、大学受験しようと思えば、予備校等に費用や受験料もかかるでしょう。
 こうした形ですごい負担が高校生世代にかかっているため、その世代に対する支援、子育て支援の幅を拡大をしましょうと動いていて、今年からそれに取り組むことにしました。
 さらには、大学生の生活をどう支えていくのかということも考えていかなければならないと思っています。高校生までの支援は、中学校までの支援を拡大する形できると思います。一方、大学生への支援は、その課題を抱えている若者世代をどう支えてあげるのかというところに特化します。成人が18歳だからといって、自分の稼ぎだけでは大学に行き続けることができないような人たちがいると思うので、そういう人たちに特化した支援、もしくは当たり前のように進んでいると思っているところからドロップアウトしてしまった人たちをどう救っていくのかということは、若者支援のテーマとして残るんだろうと思います。

――文京区は区内にある大学の数が多いことが特徴ですよね。

 大学連携は私たちにとってとても大きなテーマですね。例えば東京大学の松尾豊先生という有名なAIの先生がいらっしゃいます。その人たちの研究室から生まれてきたスタートアップ企業が、今、本郷三丁目周辺に何十社もできています。
 そうした企業と大学との連携で、街づくりとスタートアップを組み合わせる取り組みが必要ではないかということで、徐々に取り組みを始めています。
 ソフト面でいうと東洋大学や跡見学園女子大学には観光学科がありまして、文京区では「花の五大祭」を中心としたいろんな地域のイベントがあるんですが、どうしても高齢化が進んでしまい、サービスを提供する側に回ってくれる人がいない、増えないというのが、地域の人たちの悩みです。そこに大学生たちに手伝ってもらうというような、ソフト面での解決の仕方もすごく大事だし、そのようなことを区内の大学と連携しながら進めていて、区政と大学は非常に密接な関係にあると思います。

――成澤区長からご覧になって、大学生の政治への問題意識で、感じることはありますか。

 18歳になってすぐにある選挙の投票率って高くなるんですけど。2度目からは、がくんと落ちる。分からなくもないけど、やはり皆さんたちの選択は、自分の生活に必ず良い意味でも悪い意味でも、影響を与える選択なんだということを理解をしてほしいです。
 投票行動が一番の政治参加だと思いますけど、それ以外にも、地域の課題解決のために学生だからこそできることっていうのはあるはずなので、ボランティアでのいろんな行事への参加だとか、勉強会等で積極的にそういった活動をしてもらうなど、投票率を上げるための大学生が始めたNPOみたいなのもあるし、いろんな活動を通して、地域の課題にも関心をもってほしいなと思います。

――若者に期待することやメッセージをお願いします。

 僕も25歳で区議会議員になって、その頃、その年代の仲間の人って皆無だったんですよ。他の自治体に行ってもいなかった。そして、僕が区長になったら、41歳から9年間、区長会のなかでずっと年下でした。そのぐらい、この世界の平均年齢は高いんです。なので、そういう意味では私も元若者代表だったわけなんです。子どもができたのが44歳の時で、不妊治療なども経験しながら、やっと子どもを授かって、育児休暇をこの国の市長や知事のなかで初めて取りました。育休取得第1号です。その頃はそれなりにニュースにもなったんです。
 今でこそサラリーマンの人たちでも当たり前のような世の中で、どんどんこう取得勧奨がされていますけど、当時はいろいろな意見をいただきました。私はその後、ベストマザー賞をいただきますが、ベストファーザーじゃなくて(笑)。それは、その主催しているNPOが日本で初めて首長で育休を取るから、「もうママの仲間として認めてあげる」と、「ベストマザー賞特別賞」というのを頂きました。
 そういった意味のファーストペンギンとして、区議会出た時も最年少だったし、首長になった時もほとんど周りに高齢の人しかいなかったですし、育休取得などを通して、時代を切り開いてきました。
 そして、その世代その世代には、もう今僕らがやってきたことは当たり前のようになっているけど、皆さんたちが社会に出たりする時にも必ず何か自分で切り開く側に回るのか、それとも、その時にある状況を仕方ないと受け止めてしまうのかによって、それからの生き方って絶対違うはずです。いろんな障壁が人生には必ずありますけど、常に切り開く側でいてほしいな。若者であればあるほど、そういう風に思います。

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