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愛くるしいペットたちの向こう側

ペットとの距離感

ペットとして、動物を「飼う」人が知り合いに多くいます。

犬や猫、亀、魚、鳥、、、飼っている種類は様々。


「動物が好きだから」

「癒されるから」

という理由で、飼っているようです。


殺処分になりそうだったところを保護した人もいました。



家族のような存在

その人たちと話すと、飼っているとは言えないくらい動物に愛情が注がれているのがわかります。

もはや、ペットではなく「家族」だな、と思わせられる人ばかりで、動物の方も幸せだろうなあ、と感じながら話を聞いています。


介護施設にボランティア活動にいく犬の話を聞いた時は、介護の場面や治療の場面でも動物たちの力は大きいのだなあ、感じました。

人間がどれだけ感情を込めて、または論理的に適切な(医療や介護の)行為を行っても敵わない、と思えるほどに。

高齢者たちは膝の上で犬や猫を撫でているだけで、明るく元気になるそうです。

もはやペットと呼ぶのは適さないのかもしれない、そんな役割を動物は人間にもたらしてくれているのかもしれません。


家族との距離がある、または家族を失った人は、ペットとの絆で自分を保っている部分もあることでしょう。

しかし、命の時間(寿命)については考えないといけません。


自分が先に死ぬのか、ペットが先に死ぬのか。

「一緒に暮らす」と決めた時点で、この問いは必ず付き纏います。


虚な目

核家族化が進んでいて、単身世帯や夫婦だけの世帯が増えているのを肌で感じます。

それと関係があるのかペットの「需要」が高まっているようです。先ほど触れた「癒し」を求める人が増えているのも関係しているかもしれません。


そうなると、そこに「ビジネス」が生まれます。


「子犬を生むためだけの犬」の存在を教えてもらった時は、言葉を失いました。。。(その役目だった犬を保護した方から聞きました)

子供を産むためだけの生涯、命、そんなことってあるの?と耳を疑いましたが、どうやら現実のようです。


保護されたその犬に実際会ったことがありますが、見知らぬ人間だった私とあったその犬は小刻みに震えていました。

なにかトラウマがあるのかもしれません。


ある日、用事があってホームセンターに行きました。

一緒についてきた娘が、「ペットのところ行ってくる」というので着いて行ってみると。。。


40cm四方くらいのショーケースみたいな空間(人間でいうとカプセルホテルみたいな感じ)に子犬子猫が1匹ずつ入れられていました。

こちらからは触れることはできません。


その子犬子猫たちは、何とも無気力な虚な目をしていました。


生まれてすぐに親と離れるのでしょうね。

世話はどうなっているのでしょう?

子犬を生むためだけの犬の存在を思い出し、憂鬱になってきました。


値札の持つ意味は?

そのショーケースの端に値札がついています。

6桁の数字でした。

この数字の意味は?

命に値段をつけた?

それとも、この数字を支払う覚悟がある人にだけ動物の命を預けるという意味?


動物を買う人がいれば、動物を売る人が成立します。

そういうものです。


何だか気分が悪くなり、娘をつれてその場を離れました。


愛情込めてペットを飼う人を見ていると、大変微笑ましい。

しかし、そのペットとの出会いは??と思うと複雑な気持ちになります。

殺処分になりそうだったところを保護したケース(飼い主)が、私の周りには多いのですが、中には「買ってきた」話も聞きます。


愛されて、幸せに過ごして、一生を終えられる動物ばかりならいいでしょうけど、中には酷い一生を過ごす動物もいて、憂鬱な気分になります。

ふと、思ったのですが、人間も変わらないですね。。。


私が「かわいそう」と思った動物たちも、その動物自身はそのように思っていないかもしれない。。。

それぞれの世界を生きる、それでいいのかもしれません。

でも、私はペットショップには近づけないなあ。。。あの虚な目を思い出す…

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