成長の定義がわかれば自分のやるべきことははっきりする
「成長とは何?」
という問いに対して、明確な答えを持っている人はどのくらいいるでしょう。
成長の定義について書きました。
子供が大きくなると「成長したね」と声かけますね。
この時は「身長や体重」の数字が増えたことを指しています。
「経済成長」という表現の時は国内総生産(GDP)で表されて、その時の数値は(日本であれば)円です。
これも数字が増えている時に成長した、とみなされます。
成長とはなにかしらの数字が増えることなのでしょうか?
身長はある時を境に増えなくなります。
成長が止まった、と表現されますけど、人間の成長が止まったわけではないですよね。
「人間の成長」ってなんだ?とした時に明確な定義がないと、「成長したor成長してない」が判断できなくなります。
「あいつは全然成長してない」っていうセリフが、何を指しているのか。
定義が明確じゃなければ、評価はできないはずです。
スポーツ選手は「より成長できる環境に身を置きたくて」とか「もっと成長できると思って」という表現を使います。
この場合は、自分の成績を言っているのでしょうから「数値化」できる何かを基準にしていると思います。
しかし、多くの場合、成績は「相対的な理由」で決まってきます。
例えば、自分の調子がイマイチでも、他の選手やチームの状況が酷すぎた時は成績が良くなる。
この時、「成績は上がった」と「成長した」はイコールになるのでしょうか?
成長とは
「自分がどのように所属する組織に貢献できるか、自ら考え、決定して、行動できること」
と、ドラッカーが定義していた気がします。
「人の成長」という意味では、この表現が一番しっくりきています。
心の成長が起きる人は、自分との違いを受け入れようとする人なのだろう。そう考えたら、成長のチャンスは誰にでも訪れる。
誰でも成長が可能。
いつでも成長が可能。
それでいて「成長を拒否する」こともできる。
世の中には成長を拒否する人が増えてきていないだろうか?
成長を求めないのだとしたら、人生を続ける理由はなんだろう?
成長から離れていく現象を「老いる」というのではないか?
成長は誰でもできるし、いつでも起こる出来事だと、今は思っています。
しかし、それは自然に起きることではなく、「自らの意思と選択」によって生まれるものなのだろうと思います。
自ら成長を拒否するように見える人もいるようですから。
私の知人は「面倒が増えるだけだから管理職になりたくない」と言っていた時がありました(今は知りません)。
成長を拒否しているってこのことかな、と思いました。
成長と似た現象に上達というものがあります。
成長との違いは「自分のことばかり考えている」点でしょうか。
自分のことだけを考えて努力していけば、上達はします。上手にはなる。
自分のことだけ、つまり利己的な言動は「自分の属する組織や集団に貢献する」ものでないという点で「成長」にはつながりませんよね。
人生は成長を実感する時間を喜びとして、過ごすもののように感じます。
貢献の大小は関係なく、「自分で考えて実行できる」ように努力していきたいものです。
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