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我々の美しき言葉

フランスのブルターニュは、ケルト文化を継承する地域として知られているが、長く同地で活動するギタリストにダン・ア・ブラース(Dan Ar Braz)という人物がいる。(カタカナではダン・アル・ブラと表記されている書籍もある。)

彼が、アイルランド音楽リヴァイヴァルの大家ドーナル・ラニーの監修のもと制作したアルバムに「ケルトの遺産」(94年)というものがある。(ESCA 6166 廃盤だが、入手は難しくないと思う。)フランス・ブルターニュ、スコットランド、アイルランドから、これらの地域のルーツである「ケルト民族音楽」に携わるミュージシャン達が集まり、作り上げた音絵巻のような作品だった。

その中にムルド・マクファーレン(Murdo Macfarlene)という人物が作詞作曲した「我々の美しき言葉」という曲がある。ここにゲストとして、スコットランド(或いは、アイルランド)の著名なバンドであるカパーケリーの歌姫カレン・マティソンが参加、ヴォーカルを担当していた。

これはアルバムの三曲目に置かれていたが、始まった瞬間から引き込まれるようなドラマチックな曲調を持っていた。アイルランド音楽は儚さと瑞々しさ、そこに力強さが同居する独特の魅力があって、筆者は長く愛好してきた。この曲「我々の美しき言葉」はとくに翳り濃く、終始静かに歌われていく旋律に深い哀感が湛えられている。ゲール語のためこの「言葉」の内容が直接にはどうしても伝わらないのだが、マティソンの歌唱は、それ自体で美しかった。

「※こちらから視聴ができます。ページ中にはゲール語原詩、また英訳詩も掲載されてあります。youtubeより」

アイルランド音楽の著名な研究者として知られる大島豊氏の解説(「ザ・ブラッド・イズ・ストロング」カパーケリー MSIF 3767)によると、“ハイランダー”(直訳すると“高地人”か)と称ばれるスコットランド北西部(山岳地帯)は、アイルランドとの結びつきが強い歴史性がある。

北からの雪でもなく霜でもなく
東からの身を切るような風でもなく
西からの雨、嵐でもなく
それは南から届いた災いに他ならない
我々の美しい言語の根も茎も葉も
そして花までも枯らしてしまう

高橋美佐訳  (ESCA 6166解説文から)


私はスコットランドの歴史に決して明るくないのだが、ムルド・マクファーレンによるこの曲の詩を読むと、先ずここに込められてあるのは、怒り、傷、深い悲しみ、であることが伝わるのだが、それを裏打ちにした誇り、気高さ、矜持(pride)をも感得されるのだ。ここで、「南から届いた災い」によって「根も茎も葉も、そして花まで」も枯らされ、根こそぎにされてしまうその対象が「我々の美しき“言葉”」であると書かれているところに注意してみたい。マクファーレンがここに歌い上げているのはゲール語という民族の“言語”(言葉)の誇りであり、それが侵され、失われてしまう事の悲嘆を描き出している事になる。

歌詞後半にはこう出てくる。

“ここに俺達のために金の燭台を置け
そして白い蝋燭を据えろ
この悲しみの部屋にその火を点せ
これは古びたゲールの言葉の通夜なのだから”
嘗ての敵達はこのように言った
だが、我々ゲールの言葉は今も生き続けている

私訳 (原盤記載ゲール語英訳詩からの重訳)

掲載した詩冒頭部の「南から届いた災い」とは、文脈でイングランドと受け取れる。ここに同国家の地域を「分断」してきたところの歴史性が窺われる。イングランド、ウェールズ、アイルランドそしてスコットランド…だ。

マティソンによって歌われる「我々の美しき言葉」は、同地の軋轢の歴史を民族的に共有していない私たちの心をも突くものがある。ひとこと「ブルース」…と片づけるわけにはいかない。この感情は、世界中のあらゆる地域に持ち込まれて存在している「分断」と、それによって惹き起こされる紛争(殺戮)を考えるとき、実は人間にとって「普遍的なもの」である事に気づかされる。

「我々の美しき言葉」は決して有名な歌ではないが、名曲だ。詩と旋律は一つになって作者の心情や思想を歌手を通じて伝え、人種や民族の違いを越え人の心に響く。