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ジュプ・エ・ポァンタロン ちょっと長いエピローグ その2

 店長が
「カズエさんにも、このお店を手伝ってもらうことにしたんです」
 カズエが
「バイト先を探そうと思っていたところで、店長に声をかけてもらって。お店に連れてきてくれた孝子には感謝しないと」
 翔が
「三日前の土曜日のことだよね。駅から離れたところにこんな雰囲気のいいお店があるなんて」
 孝子のお母さんが
「翔くんはどうなの。ここでバイトはしないの?」
「ぼくはいいです。あまり洋服のことはわからないので。でも、ウェブのことで困ったら助けにくることになりました」
「へぇー。翔くんってすごいのね」

 翔が続けた。
「でも、孝子。あの熱血漢も取り込んだら。あいつ、社会問題に長けてるようだから何かあったら役にたつと思うよ。個人情報とかも詳しいようだし」
 カズエが
「そうよね。孝子に気があるみたいだから、付き合ってこのグループに取り込んじゃえば」
 お父さんがお母さんの耳元で
「熱血漢って誰のことだ?」
「わからない。ちょっと待って」
 孝子に耳元で聞いてみた。孝子がお母さんの耳元で答えると、お母さんはお父さんに小さい声で
「今日の入学式で総代を務めた男の子だって。りっぱなあいさつだったわよね。入学試験でトップの成績らしいわよ」
「そうか」
 お父さんとしては複雑な心境だった。
「だが、孝子と付き合うにはまだ…」
 お父さんがお母さんに話し終わる前に、店長が
「立ったままのおしゃべりは大変だから、座ってお茶にしませんか」
 お母さんが
「いえ。もう、戻らないと。入学式が朝からで、みんな疲れていると思うので。それに店長さんや裁縫のお母さん、マダムもいて、もう安心しました。孝子をよろしくお願いしますね。それにカズエちゃんと翔くんのこともね」
 店長が答えた。
「はい。三人をお預かりしますね」

 それでもマダムが思い出したようにお母さんに話しかけた。
「あなたのお母さん。孝子ちゃんのおばあちゃんは洋裁ができるんじゃなかったっけ」
 裁縫のお母さんが付け加えた。
「そうだったわね。あなたのおばあちゃん。孝子ちゃんのひいおばあちゃんは和裁だったはずよ」
 お母さんは
「そうですね。母親は若いころ既製の服は世の中にあまりなくて、生地を買って自分で作っていたと話していました。祖母は夏祭りの時に浴衣を作って、私にプレゼントしてくれたことがあります」
 マダムは
「だから、孝子ちゃんはそういうのが好きなのよ。このお店には来るべくして来たのよ」
 孝子がこのバイトにたどりついたのは運命だったかのような話しが続いた。

 おしゃべりがなかなか終わらないなかで、カズエは裁縫のお母さんに引っ張られて壁側に移動した。
「ねえ。カズエちゃん。孝子ちゃんがデッサンを描いていたのは知らなかったの?」
「ええ。さっき、初めて聞きました」
「裸婦のモデルを探しているようなのだけど、あなたやってあげたら」
「ら、裸婦ですか。ヌードの?」
「そう。私が若かったらやってあげるのだけど、もうシワシワだからね」
「…」
「えーっと。いまじゃないのよ。たぶん、二、三年後にそういう必然性が出てくるような予感がするのよ」
「はあ」
「それで、あなたスタイルがいいじゃない。それで、どうかと思って」
「はいー。ありがとうございます、と言っていいのかどうか」
「そうよね。ごめんなさいね。年寄りの冷や水というか、老人の変な気の回し方よね。忘れて。変なこと言っちゃったわね」
「…いえ」
「でも、あなた。食事には気をつけてね」
「はい」
「若い人って、体重を気にしてダイエットする人が多いけど、やりすぎる人が多いように見えるの。バランスよく食べてね」
「ええ」
「太り過ぎも良くないけど、太ももが細くなって鳥の足のようになったら、体がもたなくなって倒れちゃうから。ほんとうに気をつけてね」
 カズエは裁縫のお母さんが自分の健康のことを心配してアドバイスしているのだとわかった。でも、なぜ裸婦モデルの話しを持ちかけてきたのかは、よくわからなかった。気にしないことにしたけど。


 カズエが少し遅れてお店を出てきたのを待って、五人は坂を下って駅に向かった。お母さんが
「ちょっと早いけど夕食を食べていこうか。カズエちゃんも翔くんもいまのうちに食事して、家に帰ったらすぐ寝ちゃえばいいから。今日は入学式の準備で早かったんでしょ。疲れているだろうから、そうしない?」
「僕たちもいいんですか?」「お邪魔ではないのですか?」
 孝子が
「遠慮しないで。いっしょに行こうよ」
 お父さんも
「これから孝子が長く付き合ってもらうことになるから。みんなへの入学祝いだよ」

 駅を通り越し、ガードの横の道路をしばらく歩いた。線路とは反対側のビルの階段を上って二階のドアを開いた。焼き肉店だった。お母さんが知っていたお店らしい。
 お店の人に窓側のテーブルを二つくっつけてもらった。その席からは、さっき歩いた通りを上から眺めることができた。カルビにロース、タンに野菜。若い三人のために多めに注文した。お父さんはビールを注文しようとしたが、お母さんに止められウーロン茶で我慢した。みんなも飲み物はウーロン茶かジンジャエールか乳酸菌飲料にした。

 講座は何を取るかとか、お店のバイトはいつにするとかを話していると時間はすぐ経ってしまう。
 ふと、カズエが
「裁縫のお母さんが、あなたが裸婦モデルを探しているって言ってたけど」
「そんなことを言ってたの?」
「私にどうかって」
「デッサン画のA4ノートの中に裸婦があって、高校の美術室にあった模型を使ったって言ったら、本物のモデルさんで描かせてあげたいって。裁縫のお母さんもデッサンを描いたことがあるみたいで、私にアドバイスしてくれただけかと思ってたけど」
 翔が
「僕も描いてあげるよ。イラストレーターで処理すれば白黒もすぐできるし」
「それって、カメラの画像処理のことでしょ。ぜーったいにイヤ」
とカズエは翔に向かってアッカンベーをした。
 お母さんと孝子は笑っていたけど、お父さんは顔に出して笑っていいかに困り、ウーロン茶を飲み続けた。
 最後の締めはクッパにした。子供たち三人は一・五人分、孝子の両親はミニサイズにしてもらった。

 お店を出て駅の改札口までやってきた。カズエと翔は
「ぼくたちはここで失礼します。ごちそうさまでした」
「ほんとうにありがとうございました」
 と挨拶して改札に入っていった。

 孝子が
「今日も私のところに来るんでしょ」
 お父さんが
「いや、今日はホテルに泊まるよ。毎日だと孝子も準備と片付けで大変だろう」
 次の瞬間、お母さんが孝子を引き寄せ、抱きしめた。
 お母さんは泣いていた。
「孝子。お母さん、本当に心配したんだから。東京に行ってすぐに、大学をやめたいって言ってくるんだもの。一人で寂しい思いをしているのではないかって。あなたを手元から離さなければよかったって。孝子、一人にしてごめんね。お母さん、胸が締め付けられそうだったのよ。お父さんに話したら怒られそうで、しまい込んで、毎日泣いていたんだから」
「お母さん」
 お母さんはやわらかくて、あたたかかった。

 孝子を離すとお母さんは目の周りにあふれた涙を指で拭いた。
「でも、大丈夫よね。この一週間で孝子はしっかりしてきたと思うわ」
「ごめんね。お母さん。もう、心配かけないようにする」
「いいの。これからもちゃんと連絡して。連絡が無いことのほうが心配だから」

 三人は改札に入った。お父さんはお母さんを気づかうように横に並んで歩いた。
 孝子の部屋とお母さんたちが泊まるホテルは別のルートだった。お母さんたちは上の階のホームに向かう階段に足をかけた。
 お母さんは上るのをとめて
「孝子、今日のお洋服はベランダに掛けておきなさい。一晩、風にさらしておけば焼き肉の匂いは消えるはずだから。洗濯ばさみは洋服の裏側の目立たないところで止めておきなさい」
 お母さんはお父さんと一緒に階段を上っていった

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