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新海監督に殺された1人の女の話


昔々、あるところに1人の女の子がいました。


女の子は絵を描くことと本を読むことが大好き。


たくさんの絵本を読んでるうちに、女の子は自分でお話を考えることも大好きになりました。


どれくらい好きだったかというと、小学生の時に自分で作った絵本を2人の親友にプレゼントしたことがあるくらいです。


絵本の中身は、たまごっちのキャラクターであるしましまっちが主人公の冒険物語。


つまり齢6歳でたまごっちの同人誌を無料頒布していたくらいには、何かを表現することが彼女は大好きでした。




……時がたって、7年後。


女の子は中学生になりました。


彼女がすっかり成熟し、俗に言うオタクになっても、その創作心はずっと受け継がれていきました。


そして彼女は、たくさんのキャラクターを自身のキャンパスノートに生み出していきます。


それは彼女が高校生になっても、大学生になっても続きました。


キャンパスノートはペンタブになり、更にそこからiPadになり……


描くキャラクターには、年々自身の性癖がより濃く反映されていきました。


因みにBLEACHで育った彼女は、長髪の男しか描かなくなりました。



ある日彼女は、とある映画を見ます。


その映画の名前は、『天気の子』。


その映画を見た後、



彼女は死にました。





『天気の子』を見た時、私の身体に衝撃が走った。

異例の大ヒットとなり、その後のアニメーション映画に大きな影響を与えた『君の名は。』の次の新海作品。
メディアとファンは、それはそれはもうものすごい期待をしていた。

もちろん私もそのうちの1人。ファンとまではいかないものの、『秒速5センチメートル』はストーリーが個人的に凄く好きだったし、『君の名は。』も映画のすばらしさを感じるような描写とシーンと構成で、新海監督の作品は「新作公開されたら見るリスト」には入っていた。

私は映画「館」大好き人間で、『天気の子』に関してはかなり早い段階で予告を見まくった。
もう予告の時点で鳥肌が立った。やっべえ〜絵がめっちゃ綺麗、魅せ方やべえ、これは見るぞと。

 
そして見た。

そして死んだ。





新海監督作品の殺傷能力、それは「作品のエネルギー」にあると私は思っている。

新海作品を見た人なら分かるだろうが、彼の映画では「恋愛」とか「思春期」というワードが非常に強い存在感を発揮する。
「あの子が好きだ」「あの子のためなら、命を懸けて行動する」「あの子のためなら、世界ですらどうなってもいい」……、彼はバカデカいスケールの恋愛をいつも書く。



そう、この「バカデカいスケールの恋愛のエネルギー」がとにかくめちゃくちゃ大きいのである。

恋愛のスケールが大きいのはもちろん、なんたって映画ならではの、彼の作風が光った描写や表現というのが凄まじい。
それはもうギュンッと引き込まれる。私たちの目の前で、その膨大なエネルギーが炸裂する。

それが炸裂した時、視聴者へ確実に心に何かを残していく。
それが衝動的な感想や、意見を散りばめたくなる欲求や、人に何かを考えさせる力かは受け手によって違うのだが。

そのエネルギーこそが、彼女の……いや私の死因だった。




死因の根源となった、超個人的な話をしようと思う。
冒頭のおとぎ話(笑)にもあった通り、私は創作活動が好きだ。

社会人となった今でも好きだ。
創作と言うと、既にある作品の二次創作を楽しんでいる人たちが割と目立つが、私が好きなのは「一次創作」の方。

自分のキャラクターやストーリーを生み出して、独自の世界を無限に想像する方だ。
そっちの方が、自分の性癖やら好きな要素をてんこ盛りにできるからである。


「東大生100点は取り飽きたので人生最高得点を取る旅に出ます」-QuizKnock


めちゃくちゃ恥ずかしいのだが、自分の創作遍歴について少し触れたい。

匿名であるここですら言うのが恥ずかしいくらいなのだが、私は小学6年生(本気で漫画家になりたくて設定を生み出しまくっていたあの頃)で生み出したキャラクターが、今も心の中で生きている。10年以上生きている。ずーっと心の中にいて、私はその物語をいつも考えている。

恋愛漫画のような世界の創作は好まないが、作中の色恋沙汰を考えるのは大好きだ。しかも重い恋愛……恋愛が行動原理になるくらいの強い恋愛を考えがちである。自分で生み出したキャラクターを、自分の思い通りに動かすことで得られる栄養がある。自給自足、なんてサステナビリティ。

私は漫画家にも小説家にも同人作家にもなる気はないただのOLなので(なる気がないというかなれないに近いという言い訳をしておこう)、その自分が作り出した世界のイラストや小説を書き、どこに出すでもなく、何度もそれを見返しては満足している。これもかれこれ10年以上。

友人も同僚も家族も私が絵を描いていることは知っているが、設定や小説は一切言ったことがない。恥ずかしいので。
今ここで「恋愛させるのが好き~」とかなんとか言っている時点で結構凄いことなのだ。


余談だが私は黒髪長髪、特にポニーテールの男を描くのがめちゃくちゃ好きで、ここ最近(5年強)の絵はほぼ全て黒髪ポニーテールの男で埋め尽くされているのだが、それも私の心の中で生きているキャラクターの1人である。お気に入りすぎて、ソイツのパラレルワールドを作ってしまった。もう4パターンくらいできてしまった。

まあやっぱり、どんな親友にだって4つの世界の設定を1ミリたりとも話したことはないのだけど。


こういうことを言うと少し上の世代のオタクに「神田ユウ好きでしょ」って言われる
好き


そんな訳で、私は心の中には浅くて古くて広い世界がいまだに生きている。そんなんだったらTwitterの一次創作アカウントでも作れば、となるのだが私にその勇気は全くもってない。そもそも常に創作中心で生きてないからこそ、ここまで続いているまである。


もう非常に飽き性だし、才能も努力も中途半端だし、他人の目(具体的に言うといいね数とか)を気にするし、負けず嫌いだから他人と比較する。もう同じ土俵に立たないという選択を、私はずっと前に決めた。

あと、「うちの子」を可愛がりすぎて「よその子」が全く可愛く思えない。絶対一次創作好きと関わらん方がいい。


そんなこんなで、創作エンジョイ勢として生きていた私だったが。
新海監督の『天気の子』を見て。
自身の価値観をあんなにも上手く投影された「プロの作品」を見て、私の心が一瞬で燃えた。



闘志が燃えたのではない。

焼死したのだ。





ぱっと見ただけで「新海誠だ」と言われる世界観を作り出せる。描くことができる。

あの、「愛が絶対権力を持つ世界」を爽やかなRADWINPSの曲にのせて明快に表現するあの空気に辿り着き、何度も生み出すことが出来る。

「愛のためなら世界や自分の身がどうなっても構わない」という強い力を感じられる。

あと、日常にファンタジーを入れ込んでも違和感がない筋立てを作ることができる。


思ってしまった。
私の理想じゃん、と。


『君の名は。』も『秒速5センチメートル』のどちらも監督の軸である愛の物語だったけど、『天気の子』はそのベクトルが違った。

※ここから天気の子のネタバレ有


あの作品は、主人公である帆高が「陽菜と世界」を天秤にかけて「陽菜」を救う物語。陽菜を救ったことで、東京は曇り、二度と晴れることなく大半が水没し、人々の移動手段は船になった。将来は完全に水没するだろう、だが知ったこっちゃないという話。まさしく「あの子のためなら世界がどうなってもいい」という話である。

『君の名は。』でも命をかけて三葉を救う話だったけど、それは「あの子を救うために世界を変える」だった。それで他の人も助かった。他人なんてどうでもいい、世界もどうなったっていい、ただ陽菜がいればいい、とは全く違う。



その世界観は見事に私の理想だった。小学6年生、漫画家になりたかった私の初々しい欲求が蘇った。そして、あんなに莫大なエネルギーで表現した新海監督に酷く嫉妬した。嫉妬に燃え上がった私の心は、あっという間に焦げ付いて死んだ。



ふざけんな。
もうこれでいいじゃん。
「これでいい」が何なのか自分でも分からないけど、とにかく苦しい。
私の表現したいものが詰まってる。
羨ましい。
そんな才能を持ってて羨ましすぎる。
多分努力とか凄いしてることは間違いないんだけどこれはこれで羨ましい。
というか設定で満足せず作品を完成させられる時点でもう天才だ。


「プロと比較すんな逆に失礼だぞ」と頭では分かっていつつも、私の心の中の世界がちっぽけなものにしか見えなくなった。



私はあの一般人のコミュニティですら逃げようと決めてそれに満足してたのに。というかプロだから同じ土俵ですらないのに。

自分の作った設定の骨だけをベロベロ舐めて満足していたのに、こんな感情になってしまった自分に本当に驚いた。


この世界観を表現できない自分の才能の低さ、努力のできない甘えた性格、絵や文章を書かない人より表現できるにも関わらず理想を突き詰めきれない自分の小ささ、それらが無性に憎くなった。


ちなみに、私と同じように絵を描く親友もこんなことを言った。

『君の名は』よりも『天気の子』が好き。なんだか絵を描きたくなるよね、と。





さてここからが本題です。

『すずめの戸締まり』について。


察しの良い方は何となく気付いていると思うが、この作品には黒髪ロング泣き黒子男こと宗像草太さんが登場する。


予告時点で、主人公の女の子が命をかけて救ってる(と思われる)男、つまり愛の物語……


待って!!!!

>「恋愛漫画のような世界の創作ではないが、その中の色恋沙汰を考えるのが好きだ。しかも重い恋愛が好き」

>「ちなみに私は黒髪長髪、特にポニーテールの男を描くのがめちゃくちゃ好きで、ここ最近の絵は全て黒髪ポニーテールの男で埋め尽くされているのだが、それも私の心の中で生きているキャラクターの1人」……


終わったー!!!

もう死ぬ。予告で分かる、「黒髪ロング泣き黒子男と主人公の生命規模恋愛」の時点でぶっちゃけ致命傷を受けている。ちなみに言わなかったけど、私はゲームでキャラメイクをする際は必ず目の下に黒子を入れるほどの泣き黒子好きである。


私のモンハンライズ
女性装備が好きなので女性&声男性にしている


今まで帆高と瀧が「普通の学生」みたいな雰囲気だったから特に執着しなかったけど、私好みの男が出てくるとなるとまた話は別だ。自分好みの他人のキャラクターが理想的なバカ強い恋愛をするなんて、もう概念だけで死にそうだ。

まだロングだから致命傷で済んでるけど、本編で髪なんか結んでしまったら確実に死ぬ。高い位置で結んでたら確実にオーバーキルされる。焼け死んだけどギリギリ復活してきた私の心が、また新海誠に埋め尽くされて死ぬ。




そう思って迎えた、『すずめの戸締まり』。



私はめちゃくちゃ生き返っていた。





私はずっと恐怖していた。

私にとって最高の表現者である新海監督が、私の好みである黒髪ロング泣き黒子男を出して、恋愛感情も混ぜて映画を作る。
理想形が理想形を携えて私の元に来る、それがずっとずっと怖かった。


でも映画を見終わってふと思った。
私、顔の良い黒髪ロング泣き黒子男を椅子にする趣味はないよな、と……



この記事で『すずめの戸締まり』のネタバレ感想をする気は一切ないので、多く語るつもりはない。
でも公開初日、映画を見終わってひどく安心した。

あぁ、私の性癖が新海監督とまるきり一緒な訳ないじゃん……

何で忘れてたんだろう。
性癖は自分の価値観の歴史、細かいところに宿る抗えない自分の美意識。
例え新海監督に嫉妬していたとしても、私の性癖は私だけのものだった。
完全に忘れてた。新海監督がどんな男を引き連れて来ようが、それは新海監督による性癖の表現方法になる。
細かいところまで、自分の理想になるわけがないのだ。


一応言っておくと、映画として駄作だったから心が死ななかったという訳では決してない。

映画自体はとても良かったと思っているし、「これは良くないのではないか」と言う人の気持ちも分かる。でも今見ることに意味があるし、私は良かったと思っている。そんな映画だった。

というか正直映画のメッセージ性が強すぎて性癖どころではなかったのもある。やっぱり新海監督のエネルギーの使い方は本当に上手い。
(あと椅子になってたはなってたで可愛かった)


ネタバレしたくないから具体的な話はしたくないけど、私の性癖にぶっ刺さったシーンだって色々ある。
特にあらすじに関係なさそうなのでこれは大丈夫だと思うが、正直草太さんが長い髪を耳にかけたところで私の身体からグゥッという声が出そうになった。恐れで。

そのまま髪を束ねてたら……いや、考えるのはやめておこう。そこで束ねないのが新海監督だし、高い位置でポニーテールにするのが私だ。それ以上のことはない。





私はすずめの戸締まりを見て帰った後、スマホに一次創作応援アプリと言われるプロット作成アプリをインストールした。 
「描かない月もあるだろう」と思って月払いにしていたクリスタを年払いに変更した。コスパが良くなった。
私の心の中のキャラクターたちに思いを馳せた(みんな髪が長い)。
久しぶりにiPadを机の上に置いた。

正直死ににいったはずなのに、めちゃくちゃ元気になっていた。
私の理想を……正確に言うと私の理想の性癖を表現できるのはやっぱり私だけじゃん、ってね。

多分これからも一次創作で交流するなんてことはないと思うけど、何とかなる気がする。どんな私の上位互換がいて、嫉妬に狂いそうになっても、私の性癖は私のものだ。


草太さんが髪を束ねる絵を描きながら私はそう思った。


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