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「わたしが沖縄を発信するワケ」イベントレポート

1990年代生まれの世代が沖縄について発信する理由・想いを語り合うトークイベント「わたしが沖縄を発信するワケ」が3月25日、那覇市のライブハウス「Output」で開かれました。「あなたの沖縄|コラムプロジェクト」では初めてのリアルイベントで、トークには主宰の西由良さんに加え、ラッパーのRude-αさん、映画監督の仲村颯悟さん、モデルの前田エマさんが参加。それぞれの経験をもとに話された語りは、多様性に満ちたものとなりました。会場で参加したメンバー個人の思いも交えながら、イベントの様子を紹介します。(執筆・豊島鉄博)

 「いつかイベントがしたい」。2021年の夏に始まった「あなたの沖縄 コラムプロジェクト」で、主宰を務める西さんは、毎週のコラムの更新を始めた当初から、そんな話をしていた。世代や考えを越えて、いろんな人たちがいろんなことを話せる「語り場」のようなコミュニティー。そういう空間を沖縄で作りたいんだと、目を輝かせながら話していた彼女の表情は今でも印象に残っている。

 ただ、イベント開催までの道のりは、決して平坦なものではなかった。チケットが思うように売れず、LINEのグループ通話で「本当やばいんですよ!」と、西さんが不安を吐露する場面もあった。私自身、西さんの「語り場を作りたい」という思いに共感していたし、今回のイベント1回きりでなく、同様の催しを継続させたいと感じた。そんな思いから、YouTube配信での告知を西さんたちと一緒にした。沖縄県内のカフェや居酒屋などを回り、ポスターやフライヤーを置いてもらう地道な取り組みをしているメンバーもいた。

 そんな西さんをはじめとした1人ひとりの動きもあり、チケットはだんだん売れていった。イベント当日は、70ほどの客席のほとんどが埋まっていてほっとした。私たちと同世代の20~30代に加え、40~50代ぐらいの人たちの姿も少なくなかった。このイベントを通して、きっと多くの人たちの多様な思いに触れられる。なにより、別々のフィールドで活躍する登壇者4人が、沖縄についてどんな思いを語るのか。より期待が高まった。

 イベント冒頭、西さんが今回のイベントの趣旨についてこう説明した。「90年代生まれの、同世代で活躍している人を呼んで話をして、『あなたの沖縄』の活動が、少しずつ社会に広がっていければいいなと思い、初めてリアルイベントを開催しました」
 「みんなともっと気軽に沖縄についてしゃべりたい、(沖縄に関しての)お互いの気持ちを知りたい、そういう場所を作りたくて活動しています。沖縄に対する思いを誰かに伝えてみようと思ったり、『沖縄のことを考えているのは自分だけじゃないんだ』と知ってもらえたりしたら嬉しいです」
 西さんと私は、高校の同級生でもある。高校時代、どちらかといえば少しおとなしい印象だった西さんが、堂々と自分の言葉で、観客の前で話をしている姿を見ただけでも、すでに冒頭からグッとくるものがあった。

慰霊の日と映画

 あなたの沖縄の活動について、仲村さんは「突如としてSNSに現れて、気になって読んでみたらすごく面白い文章ばかり。同世代でやっているということでとても興味深く見ていました」と話した。イベント登壇者のなかで唯一の沖縄県外出身の前田さんは「同じ年代の、今を生きている人たちが、結論が出ないような、複雑な気持ちも含めて正直に書いている。すごく大事なものがたくさんあるのではないかと思いました」と感想をくれた。

 イベントのタイトルである「沖縄を発信する」ことについても、登壇者それぞれの思いが語られた。

 小学生から映画を撮影していたという仲村さんは、大学進学で上京した際には「映画は遊びで始めたもので、もう映画はいいや、新しいものを探しに行こう」と考えていたという。
 そんな自身の考えを変えたのが、慰霊の日だった。
 「大学1年の時に、初めて東京で迎えた慰霊の日は普通に授業もあって。友達も慰霊の日について知らない。すごく衝撃でした。沖縄だけじゃなくて世界中の人が祈りを捧げる日だと思っていたのに、祈っていたのは沖縄の人だけじゃんって。そのときに、慰霊の日を分からない人を責めるのではなく、伝えられなかった僕ら沖縄の人にも責任があるんじゃないかと思った。沖縄に戻って、沖縄の映画を撮ろうと思ったのはその時でした」
 基地問題についても触れた映画「人魚に会える日。」(2016年公開)を東京で上映した際、福島出身の大学の同級生が涙を流して「私も同じ」と語ったという。「福島の原発や、北海道のアイヌの問題など、解決できていないことは各地にある。受け取った側が自分事として置き換えてくれたのがすごく嬉しかったです。そういう風に感じてもらえるのが映画や音楽の強みなのかな」と話した。

「勉強会」を通して沖縄を深める

 前田さんは、自身が企画している「わたしのために、世界を学びはじめる勉強会」で昨年7月、音楽家の宮沢和史さんを招き、沖縄について取り上げた。その勉強会で、第一回目には韓国の人気グループBTSをきっかけに韓国の社会を学んだり、第二回目には難民受け入れや人種・民族差別の問題について学んだりしてきた。そんな中で「日本のなかに、すごくまだ大きな問題を抱えている場所が沖縄」だと感じたことから、第三回目で沖縄を取り上げたという。
 「私は小さい頃、エイサーを少し習っていて、そのイベントがきっかけで小学3年生のころに沖縄を訪れました。基地やジュゴンのこと、沖縄戦のことをそのとき知りました。でも私の地元の川崎の友達たちは、当時、この問題をほとんど知りませんし、知るきっかけもなかなかない。そういう体験もあって、次は沖縄の勉強会をしようと思いました」
 そのうえで、「あなたの沖縄は、なかなかいい悪いと結論が出ない問題にも、隣の人に『私はこう思うんだよね』と、自分の温度感で語りかける取り組み。それは重要だと思う」と話した。

祖母の沖縄戦の体験

 Rude-αさんは、沖縄戦で父親を亡くした祖母が、平和の礎の前で泣いていたという、自身の幼い記憶をもとに、「うむい」という楽曲を制作。昨年6月の慰霊の日にリリースした。
 「自分のおばあちゃんのために作ったという思いが強かったですが、県外の人でも歌うことによって何か考えるきっかけを作り、少しでも伝える役割を担えているのかなと」

 ストレートに自分の経験や感情を伝えていたRude-αさん。今回のイベントでは、Rudeさんが一番のムードメーカーになっていたと思う。イベント冒頭、自身の地元でもある沖縄市について「コザと泡瀬は違う。泡瀬は沖縄の中でも国を作っている」という超ローカルな話に会場が沸いていた。
 後半の会場からの質問コーナーで、「沖縄の若者イメージを意識したことはあるか」と尋ねられたRudeさんはこう返していた。
「沖縄の若者って、免許取り立ての時に、行くとこないからとりあえず北上するんですよ。でも辺戸岬に行く道の東村あたりで、『やばい、この森永遠に続くのしんどいな』と思って引き返す。沖縄の若者イメージはそんな感じですね」
筆者は那覇市の小禄出身で、瀬長島によく行っていたから、どちらかと言えば南下していたかな…と思いつつ、確かに恩納村の「シーサイドドライブイン」まで深夜ドライブしたこともあったな~と懐かしく笑った。シリアスなテーマにも触れながら、こういう沖縄の同世代のやわらかい記憶も共有できるのは、まさに「あなたの沖縄」の醍醐味だと思う。

 そんなRudeさんだが、イベント後半が始まる前に、うむいを歌う前の真剣な表情や、歌唱中の熱い表情には、私自身、心を動かされた。Rudeさんは、歌唱前のMCでこう話していた。
 「戦争を体験した人たちから声を聞けるのは、自分たちが最後の世代。そういう思いで歌詞を書きました。沖縄を次の世代につなげていくことが僕たちの使命。争うことではなく、平和を思う心が続いてほしいです」。そう語り、力強く歌い上げた後には、観客から割れんばかりの拍手が送られていた。

個人の体験をじっくり聞くこと

 オフラインで開かれた初のイベントとなった「わたしが沖縄を発信するワケ」。イベント後半の質問コーナーも盛り上がり、休憩も含め計約3時間の長丁場となった。だが、観客席には疲労感や停滞感は漂っておらず、それぞれが沖縄についての思いをめぐらせる豊かな時間が広がっていた。
 イベント終盤に、西さんは「きょうこの場で、同世代で集まって沖縄について話せることは、とても平和なこと」という話をしていた。確かにそうだと思う。
 あまり主語が大きな話は書きたくないが、きな臭い時代になってくると、個人の声が軽んじられるということは歴史的にも繰り返されてきた。だからこそ、「あなたの沖縄」の取り組みはとても大切なものなのではないか。まだまだ形が見えない未完成な部分も多いけど、今後も個人の体験に根ざした、広く開かれた「語り場」として発展してほしい。そんな思いが強まった一夜になった。

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