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僕とオジーとタバコの話

仲宗根優介(96年生まれ 沖縄市泡瀬出身)

 「ウルマから首里城復興への想いを込めて」

 このキャッチコピーを見聞きしたことはあるだろうか。
 このコピーは沖縄県産のタバコの「ウルマ」が今年の春から始めた首里城復興支援の広告だ。
 JTの公式ホームページを見てみると

 「ウルマは、1960年に琉球煙草株式会社より発売し、1972年から日本専売公社(現JT)が受け継いだ歴史ある商品」

と記載されていた。沖縄がアメリカから日本に主権が返還された年だ。沖縄が日本に帰属することで、沖縄独自のタバコが日本のシステムに取り込まれた物だと感じた。

 琉球煙草社は「ウルマ」の他にも「バイオレット」を生産販売していたのだが、僕が「バイオレット」を知ったのは幼少期。祖父がまだ元気だったときに吸っていたこともあり、パッケージのデザインは見覚えがあった。紫がベースのデザインで、中央にアルファベットで「Violet」と書いてある。何度も祖父に「これなんて読むの?」と聞いた記憶が懐かしい。おそらく初めて読めた英単語は「Violet」じゃないか。

 祖父との幼少期の思い出にはタバコが印象に残っている。祖父母の自宅裏にマチャーグワァー(商店)があり、祖母と買い物に行くと、アイスやお菓子に加えて「バイオレット」を1カートン買うのが日常だった。一日数箱吸う祖父だったので、祖母は毎月数カートン買っていた。
 祖父は孫たちの前では吸わなかったが、吸って戻ってきたあとの残り香は今でも懐かしい。

 そんな祖父も晩年は体調を崩し、ドクターストップがかかるとタバコをすっぱり辞めてしまった。そして裏のマチャーグワァーも店主の都合で閉じてしまった。

 2018年、東京で大学生だったころ「バイオレット」が生産中止とのニュースを知った。いとこのお姉とお兄に「バイオレット、カートンで買ってからトートーメーにお供えしよう」と連絡したら、「せっかく止めれたのにグソー(あの世)でヘビースモーカーになったらどうするのか! ウチカビの量増えるさ」とうちなージョークで返された。

 そんないとこのお姉とお兄は喫煙者で、親族の集まりがあると灰皿を囲んで祖父の話をする。その風景が僕は好きだ。

 オジーへ。僕の前ではタバコを吸わなかったけど、26歳の僕はタバコを吸うようになったよ。オジーが吸っていた「バイオレット」はもう吸えなくてあの時嗅いだ香りはもう嗅げないけど、オジーとの思い出はずっと染みついているよ。

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