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スクリュープロペラが好き

タイラ(99年生まれ 伊良部島出身)

 9年前、僕が島を出る前に日本で一番長い橋(料金なし)である「伊良部大橋」が出来た。

 伊良部島と宮古島を繋ぐ大橋は自動車はもちろん、バイク、自転車、ランナーまで誰でもいつでも通ることが出来る。この橋のおかげで、車を走らせればファミレスだってマックだって、ドン・キホーテだっていつでも行くことが可能だ。

 でも、この橋が出来る前は、そんな日が来るなんて思ってもいなかった。僕は生まれてから15年間、宮古島に行くために必ずフェリーに乗っていたからだ。客船だとおよそ15分、自動車を積む大きな船(カーフェリー)だと20分くらいだろうか。今では当たり前になっているあの大橋がなかった頃は、フェリーに乗って宮古島に渡っていた。

 沖縄本島や県外の若者たちが「終バス何時?」「終電何時?」と言っている間、僕たちは「最終(便)は何時かい〜?」と尋ねていたのである。東京の自宅で洗濯物を干している時にふと、「フェリー最後の運航」の日を思い出した。

 島民たちが自発的に集まったのか、「船の最後を見送ろう!」というイベントが催されていたのか定かではないけど、あの日の景色や雰囲気をなぜだか未だに思い出すことがある。きっと僕たちにとって、あのフェリーは生活の一部だったから。僕らより上の世代の先輩たちにとってはなおさらだろう。

 朝は6時頃から、夜は19時頃まで、島民たちや物資を佐良浜港から平良港まで、毎日運んでくれたフェリーたち。「宮古フェリー」と「はやて海運」の2つの会社がダブルトラックで運航し、「うぷゆう」「ゆがふ」「ゆうむつ」「はやて」……など、方言を冠した船たちがいて。色んな思い出が蘇ってくる。

 例えば、台風の時。高潮になると運航休止となり、僕らの学校は休みになる。伊良部島の学校には、島内に住んでいる先生も勤務しているが、宮古島からフェリーを使って通っている先生が大半だった。船が出ないと教師たちが学校に来れないので、休みになる。僕たちは、台風の日にいつもより早起きをして、宮古テレビから流れてくるフェリーの運行情報を視聴し、一喜一憂した。

 しかし、物資は届かないので島内で働く大人たちは大変な思いをしただろう。僕らは、せいぜい水曜日に発売される「週刊少年ジャンプ」が届かないかも、と心配するだけだった。

 僕はフェリーで働く大人たちの事が好きだった。冷静な現代っ子だったので、自分が船で働く事は一切考えていなかったけど。朝から晩まで海っぽい色の作業着を身にまとって、荷を降ろしたり、切符を切ったり、映画で足をかけてタバコを吸うのにぴったりな"あの柱"にロープを縛ったり。そういう姿を見るのが好きだった。

 それもあって、職場体験学習では友人を誘い「はやて海運(多分。どっちか忘れた)」を訪れた。数日間、上記のお仕事を手伝った。他にも、操縦を見せてもらったり、実際に舵を握らせてもらったり、海の男らしいジョークに混じってみたり。ひと仕事終えた後にみんなで食べる弁当の味や、背伸びして飲む缶コーヒーの美味しさを忘れることは無いだろう。

 そして、僕は実際に船を使って学校に通った事もある。母親の仕事の都合や、僕のプチ反抗期もあり、同居していた祖父母との関係が微妙だったので、母と2人で宮古島にアパートを借りて住んでいた期間があった。寒い冬の朝、大人たちに紛れてフェリーに乗り、祖父や、同じ学校に行く先生たちの車に同乗して学校へ通っていた。

 結局、僕は母の待つアパートに帰るのがめんどくさかったり、友人と遊びたい気持ちもあって伊良部島にある実家で寝泊まりすることが多かったけど、学校が終わると仲良くしていた保健室の先生の車に乗せてもらって、フェリーが待つ佐良浜港へ行くのだった。

 港近くの購買で食べ物を買って(ほぼ先生がおごってくれた)、フェリーに乗船。ちょうど僕の好きな幕内力士が出る時間帯にフェリーに乗るので、船内テレビで大相撲をウォッチした後に、甲板に出る。

 後方にベンチや自販機が置いてあるスペースがあって、その最後方、つまり一番海に近い場所に行き、風に吹かれながら海を見るのが好きだった。17時頃、沈み始めた夕日を背にして進むフェリー。広い海には、船底についているスクリュープロペラによって、かき回された水たちが、飛行機雲のようにラインを引いている。僕はその光景がたまらなく好きだった。

 そんな、フェリーが2015年1月31日の伊良部大橋開通に合わせて航路廃止となった。伊良部島発の文字通りの最終便が出港する19時頃、佐良浜港の船着き場には多くの島民が押し寄せて、写真を取ったり「ありがとう!」と船に感謝を伝えていた。

 思春期真っ只中で、みんなの輪に入るのが恥ずかしかった僕は後方でフェリーを見送った。街頭のない真っ暗な海の中に向かうフェリー。彼から発せられる白く力強いライトの光が眩しかった。でも、誰もそんな事は気にしていない。みな、目をつむること無くフェリーの後ろ姿を見つめていたと思う。潮や重油の匂い、ギシギシと鳴くロープの音、これを書いている今でも鮮明に思い出すことが出来る。

 僕は、その最後の光景と、夕日を背に海を切り裂いて進んでいく時に見える、あの景色を未だに思い出す。ちなみに、僕の妻はその最後のフェリーにお客さんとして乗っていたらしい。その頃は出会っていなかったけど。

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