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背伸びしていたロックフェス

タイラ(99年生まれ 伊良部島出身)

 今年10月14日に、「宮古島ロックフェス」が開催された。2005年から始まった音楽フェスで、コロナ禍を経て4年ぶりに開催される今年で15回目を迎える。地元を離れているので参加したわけではないが、「盛り上がりを見せていた」というネットニュースがSNSで回ってきた。

 チケットは完売した模様で、「かりゆし58」、「湘南乃風」、「ELLEGARDEN」、「新しい学校のリーダーズ」などなど、本フェスおなじみのアーティストから流行のアーティストまで、9組が参戦している。会場や開催期間など他のフェスとくらべると規模は小さいものの、宮古島という小さな島の催しの中では、注目度の高いイベントで、島の音楽ファンや中高生にとってはフェス・ライブを体験できる数少ない貴重な場所となっている。

 実際に私も子供の頃に何度も参加して、未だに忘れられない思い出になっている。

 テレビやラジオ、ウォークマンで聞いていた曲たちが目の前で演奏され、「宮古ってこんなに人いたのか?!」と驚いてしまうくらい沢山の人間たちが熱狂している光景を、ニュース記事を見ながら思い出してしまった。

 僕が参加していたのは、大体2006〜2011年頃だったと思う。毎年参加していたわけではない(どの年に行っていたのか覚えてない)が、ライブが好きな母に手を引かれて会場を訪れたのを覚えている。

 広い砂浜の上にある特設ステージでは、常に誰かが歌っていた。小学校低学年だった僕は、一体どんなアーティストが、何の曲を歌っているのかわからないけど、観客たちが歓声をあげたり、合唱したり、音に合わせて体を動かしている姿を見て、小さいながらに興奮したのを覚えている。

 高学年になると、CDプレイヤーで音楽を聞くようになり、好きな曲を目当てにフェスに行った。全く知らなかったアーティストの曲を好きになったり、「この曲ってこのバンドの曲だったんだ!」と気づいてテンションが上ったり、フェスのあるあるも体験できた。

 好きなアーティストのステージは、出来る限り前列で楽しみたいのがファン心理。一緒に来ていた母親や、中学生の従兄と「かりゆし58」を最前列で見る約束をしていた。

 しかし、みな考えることは同じで、ステージの前列はかなり混み合う。それに加えて、前列に構えているファンほど熱量が高いので、ノリ方も激しい。なので、前列は小学生以下の入場が禁止されていた。

 その残酷な現実を知らなかった僕は、かなり落ち込んでしまい、砂浜にうずくまった。すると従兄が僕に「俺の帽子を貸してあげるからそれを浅めに被って、少し背伸びしたら中学生に見えるよ!」と言った。

 そのバカバカしい提案に家族たちが爆笑する中、僕は「神だ」と思った。僕は立ち上がり、おしりに付いた砂を払って、従兄の帽子を受け取った。当時、宮古島のちょっとやんちゃなお兄ちゃんたちの間で流行っていた、サンエーのメッシュキャップ。硬いつばに折り目をつけるアレンジがかっこよかった。彼はいつも僕を助けてくれる存在だった。

 身長を稼ぐために、不自然にならない程度の背伸びとメッシュキャップを乗っけ帽として着用した僕は、ドキドキしながらステージ前列へ向かった。大人にバレて怒られるんじゃないかと心配していたが、あっさり入ることができた。

 最前列には行けなかったものの「かりゆし58」のステージは最高で、中学生以上の観客たちと共に合唱。これが人生で初めての”熱狂”だった。歳上に混じってステージからあふれる熱気をじかに浴びた僕は、少し大人になれた気がした。

 宮古島ロックフェスは「島の子供たちに本物の音楽を聞かせたい」という思いから始まった催しだそうだ。ロックフェスのような文化的な娯楽・催しは本当に貴重で、このイベントで人生が変わった子供たちがたくさんいるだろう。

 現に、僕もあの体験が無かったら映画や音楽などのカルチャーを好きになることはなかった。このコラムを書くに当たって、歴代の宮古ロックフェス出演アーティストを調べていたが、どれも島の若者たちの間で流行っていた音楽だった。

 当時、かっこいい音楽は、先輩や兄弟、年上の従兄たちから回ってきたものを聞くのが主流で、ロックやレゲエなどジャンルも広く、どれもかっこよかった。大人になった今考えると、なぜ島の子どもたちがこんなに感度の良い音楽を聞けていたんだろうかと、疑問に思うことがあったが、その流行の根源は宮古ロックフェスだったかもしれない。

 あの場所で、沢山の子どもたちが、味わったことのない体験をして、ちょっと大人になっていく。インターネットやスマートフォンが普及して、いつでもどこでも、どんな音楽も芸術も画面で楽しむことができる時代になったけど、音楽を生身で感じるあの感覚を多くの子供達に体感してほしい。

 宮古ロックフェスが長く続くことを願いつつ、いつか僕も島へ何かを伝えることができたら、と思う。


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