沖縄”有権者”バトルロイヤル
ゴクツブシ(92年生まれ 神奈川県出身)
沖縄に住んで6年余り。選挙が近づくと感じるのが、本土出身の私から見たら異様に映る政治と日常との距離の近さである。候補者やその支持者による路上での「お手振り」運動や、歩道や私有地、公有地、電柱に至るまであちこちに張り巡らされる、候補者応援のノボリやポスター。自分の地元だと、ターミナル駅ぐらいでしか見られないであろう、国会を賑わせる県外大物政治家が、自宅近所の見慣れたスーパーや交差点で演説しているという非日常的な風景。神奈川と沖縄にしか住んだことのない身で言うのもなんだが、「政治は生活」、一見当たり前であるはずの格言が、これほどまでに非情に切実に県民一人一人にのしかかってくる地域は他にあるのだろうか。しばしば「公選法特区」と揶揄される沖縄であるが、安易なトーンポリシングに走るのではなく、背後にある問題を常に考えたい。沖縄における様々な問題を作り出してしまっている「内地」「本土」「ヤマト」「県外」出身の自分が言うのは本当におこがましいのだが、政治への意識で言えばむしろ、県外が沖縄を見習うべきだとすら思っている。
さてそんな空気の中にいると、ちょうど4年前の前回県知事選前夜を思い出す。今思えばあれは…、学生というある種の「建前」の世界から出て沖縄で働き始めた自分への、いわば洗礼だったのかもしれない。
2018年——。貧しい大学院生活から出獄した僕は、沖縄にも支店を持つ、県外資本のとある民間会社に就職した。一応、業界としては建設系ということになる。学生時代の専攻を生かしての入社となったわけだが、同僚には僕などとは全くカラーの違う土木や測量系の資格を持ち、これまで建設業界を渡り歩いてきたという先輩もいた。
知事選告示も近づいたある日、先輩が、社内で何やらカードのようなものを配っている。カードに刷られているのはとある人物の顔写真と、カタカナ漢字交じりの大きな字。どうやら政治家の名刺のようだ。僕にも名刺を手渡すと、先輩は言った。
「ゴクツブシ君も〇〇さん、お願いします!」
「…っ…。」
なんて返したか正確には覚えていないが、声にならない相槌と、無言の会釈でその場をしのいだ記憶がある。そのほかにも、あまり近くはないが、「親戚だ」との話もされていた。いきなりのことに戸惑ったが、一方で何かが繋がった気もした。
思えば、「伏線」はあった。その年8月に当時の翁長雄志知事が亡くなった直後のこと。僕も含めた同僚計4人が同乗して仕事の現場へ向かう車中での、そのことを伝えるラジオニュースを受けてのやりとりである。
「翁長さん、慰霊の日のあいさつに出てきたときに、もう危ないな~って思ったよ。オール沖縄が悪いよ。」
先輩が後部座席からぼやく。隣には、これまた建設業界出身の、再雇用で働くおじーがいたのだが、彼も呼応するように、
「俺は仲井眞知事を支持してたんだけど、途中までは業界に仕事が全然なかったよ~。でも、あの(辺野古)埋め立て承認のあと、もう、ばんない(たくさん)入ってきたよ~(大意)。」
何て反応していいのかわからない。これは大変だ。たしかに県民の、生粋のうちなーんちゅの方々から漏れ聞こえる心の声がそこにはあった。車内の空気が凍り付くのを感じた。
このおじーの仲間たちもまた「いい正月」を迎えたのかもしれない。
さて、当の僕はというと、前稿「証言者になれるのか」で述べたような経緯もあり、沖縄への基地集中を是とする国策には反対する立場を取っていた。外から移り住んだ自分が、この現状に対して何も言わないのは無責任であると、大学院時代に受けた授業などを通じて学んだからである。また、このとき車を運転していた別の先輩は、職場に古新聞として「しんぶん赤旗」を持ってくるほどの反権力志向であり、沖縄の歴史や基地問題などにも造詣が深く、彼からもまた多くのことを学んでいた。
あくまで個人の人権の尊重と民主主義の公正な履行を求める前部座席の我々と、目の前の生活や「経済の安定」を求める後部座席の彼ら。話には聞いていた、長年にわたり県民同士が対立させられる沖縄社会の縮図を、このとき初めて目の当たりにしたのである。
やがて、あのさまざまな面で盛り上がった知事選も終わり、約3ヶ月を経たその年の暮れ。会社の忘年会の席で、どのような経緯だったかは忘れたが、沖縄と基地の関係について熱弁をふるう高齢男性がいた。他でもない、「仲井眞知事支持」を公言した、あのおじーである。
彼は、戦後、昭和天皇が米国による琉球列島統治を要望したという「天皇メッセージ」に批判的に言及しながら、僕に問いかけた。
「なあゴクツブシ。嘉手納(基地)を、皇居に持ってくか!?」
「それがいいと思います(笑)!」
「ははははは!お前もそう思うクチか(笑)。」
彼はいわゆる団塊世代。その人生は、沖縄の戦後史そのものと言える。「経済に貢献してくれれば」基地はあってもいいと言う彼が、ふともらした、保守や革新などといった党派性では理解できない、いちうちなーんちゅとしての苦悩を見た思いがした。
「対立より対話」を謳う候補がいた。その言葉は本来、誰に向けられるべきものか。言うまでもなく僕のような県外人にこそ、課せられた課題である。真に「誇りある豊かな沖縄」を築いてゆくために…。
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