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Rubber Soul/The Beatles

記念すべき一回めは「音楽」で、ビートルズの6枚目のスタジオ・アルバム「ラバー・ソウル」について書きたい。

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 1965年に発表された作品で、その成熟した内容と当時としては斬新だったインド楽器「シタール」の導入などはファンや世界中のミュージシャンを驚かせた(ビーチ・ボーイズのブライアン・ウィルソンがこの作品に衝撃を受け、対抗意識から名作「ペット・サウンズ」を生み出したことでも有名)。

 また、前作「ヘルプ!」がアイドルチックで他愛のない同名映画のサウンド・トラック的役割があったことと、カバー曲が数曲収録されていたことから、今作での作風のギャップや全てがオリジナル曲という成長ぶりも、当時の衝撃の要因の一つだっただろう。

 私がこの作品を選んだ理由は、音楽にのめり込むきっかけを与えてくれた一枚だったからだ。
 初めてこの「ラバー・ソウル」を聴いたのは小学校五年生の時で、背伸びをして読んでいた村上春樹の「ノルウェイの森」のタイトルが、このアルバムに収録されている楽曲に由来する、ということを知ったからだった。

 始めは何がいいんだかわからなかった。でも、音楽を日常的に聴くことに憧れがあって(憧れてばっかだな)、とにかく家に帰ったらそのCDを聴き続けた。
 そうしていくうちに生活の一部となり、他の作品も聞いてみたい、と思うようになったのだった。

 「ラバー・ソウル」が何も知らない小学生のガキの生活の一部となり得たのは、その音楽がある程度普遍的で、理解を必要としない、という点が大きかったのだと思う。

 ある程度普遍的というのは、耳障りがテレビなどで耳にする曲や現代の音楽とかけ離れすぎておらず、身近に感じる要素が垣間見える、ということを指す。
 例えば一曲目の「ドライヴ・マイ・カー」はロックなリフとキャチーなサビが含まれているし、「ミッシェル」のコード進行は日本人好みの、少し複雑で、甘い雰囲気は歌謡的と言ってもいい。

 理解を必要としない、という点は、少し失礼な言い方をしてしまえば「現代の耳を持ってして聴けば、そこまでの革新性はない」ということだ。
 ビートルズがその後の音楽に与えた影響は大きい、ということをよくビートルズ好きの評論家などはよく言う。
 私はあまりビートルズを崇め奉りすぎることはしたくはないが、この点においての根拠はこれでさほど間違いないだろう。
 それはつまり、ビートルズが新しく始めたことを他のアーティストがたどることによって、轍が踏みならされ、却ってその斬新さが薄れてしまった、と言うことだ。 
 逆に、今の耳で聞いてもちょっとびっくりするような音楽(複雑なプログレやデス・メタル、現代音楽など)は、ポピュラー性が「飽くまでも」日本では薄く、新鮮味を保っているものの、耳に馴染むには時間がかかる。

 これらが、小学生の耳にもビートルズが馴染んだことの理由として考察した二点なのだが、皆様はどうお考えだろうか(読み返してみると、二つとも似たような指摘だな)。

 長くつらつらと書いてしまったので、一番書きたかった、アルバムのお気に入り曲について。

 私がこのアルバムで一番好きなのは11曲目に収録されている「イン・マイ・ライフ」だ。

 
 曲を好きになるきっかけとして、個人的に、歌詞の内容よりも音や演奏に魅力を感じる方が多いのだが、この曲は例外で、とにかく歌詞がいい。

 ジョン・レノンが作詞・作曲しており、内容的にはラヴソングということでいいのだろうが、単なる恋人への愛だけではなく、故郷や古い友人への愛情も示している。
 また、その中には死別した知り合い・友人についても触れられており、それまでに元バンド・メンバーや実の母を亡くしてきたジョンの、彼らに対する思いを感じることができる。

 そう、少年時代や故郷、友人について思いをはせることができる点が、私がこの曲を好きな理由なのだ。
 この曲を聴くと、小学校四年生まで住んでいた岐阜の街と、同じくそこに住んでおり、三年前になくなった祖父を思い出す。
 曲の歌詞というのは、そこまでの具体性がないからこそ、それぞれで拡大解釈することが可能で、他の文化(小説や映画)より感情移入しやすい。そこが音楽の強みの一つだな、と私は常々思う。

 曲の雰囲気が伝わりやすいカバーを見つけたので、ぜひ。

良いお年を。

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