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【訃報】ロニー・スペクター、78歳で逝く。

朝からショックなニュースが入ってきました。1960年代のアメリカンポップス、とくにガールグループというジャンルのクイーンであった「ロネッツ」のリーダー、ロニー・スペクターさんがガンのため78歳でお亡くなりになりました。非常に残念です。数年前、日本公演を予定しておきながら中止になったことが悔やまれます。

60年代に活躍したニューヨーク出身の女性歌手グループ「ザ・ロネッツ」のリーダーで、「Be My Baby」「Walking in the Rain(邦題:恋の雨音)」といった不朽の名曲を歌ったロニー・スペクター(本名:ヴェロニカ・ベネット)が、ガンとの短い闘病生活の末、1月12日に亡くなった。享年78。
「ロニーは目を輝かせ、快活で、ユーモアのセンスに富み、笑顔を絶やすことなく人生を送りました」と、彼女の家族は声明で述べている。「彼女は愛と感謝の気持ちでいっぱいでした。彼女の喜びに満ちたサウンド、遊び心、不思議な存在感は、彼女を知る人、聞く人、見る人の中に生き続けるでしょう」
1943年生まれのロニーは、実姉と年下のいとこを誘って1958年に3人編成のグループを結成する。当初は「ダーリン・シスターズ」を名乗っていたが、のちにロネッツへと改名。ロニーの柔らかさと鋭さの入り混じった歌声は、ガールズグループ黄金時代の象徴というべきロネッツの楽曲に力を与えていた。1963年の夏に発表された「Be My Baby」は、プロデューサーのフィル・スペクターによるウォール・オブ・サウンドの傑作として高い評価を受け、のちの音楽シーンに多大な影響を与えた。同曲は米ローリングストーン誌による「歴代最高の500曲」ランキングで第22位に選ばれている。
その後もロネッツは、「Baby, I Love You」「Walking in the Rain」などヒット曲を連発。1964年には渡英してローリング・ストーンズとツアーを行ったが、60年代半ばには活動休止。1966年、ビートルズ最後のコンサートツアーの前座として北米を周ったのを最後に解散。ロネッツは2007年にロックの殿堂入りを果たした。
1963年、ロネッツと契約した直後にフィル・スペクターはロニーと関係を持つ。二人は1968年に結婚し、1972年に離婚。1990年の回顧録『Be My Baby: How I Survived Mascara, Miniskirts, and Madness, or My Life as a Fabulous Ronette』で、ロニーはフィルとの関係について、何年にもわたる暴力と虐待に苦しめられていたと綴っている。
「Rolling Srone」1/13(木) 9:10配信より引用

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今回は、ロニー・スペクターが在籍していた「ロネッツ」を、「スペクター以前」「フィル・スペクター期」「スペクター脱退期」と、3つに分けてご紹介します。

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【1.フィレス以前】

コルピックス時代のロネッツにも、名曲はあります。以下の2曲は、個人的に大好きな曲です。よく風呂に入りながら歌ったりします。

He did it」。作詞・作曲は、Jackie DeShannon(ジャッキー・デ・シャノン), Sharon Sheeley。ジャッキーお嬢さんは、「When You Walk In The Room」など、良い曲をクリエイトしていますね。

あと、フィレス以前のロネッツといえばこの曲。


I want a boy」。ボーイ・ミーツ・ガールの世界。屈託のないベトナム戦争以前の良き日のアメリカの青春応援歌です。

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【2.フィレス時代】

フィル・スペクターのもとでの活躍は、ポップスファンの間では有名なので、私ごときがアレヤコレヤ言うことは無いと思います。

とりあえず、有名なものを3曲ばかし、ご紹介。

Be my baby」。作詞・作曲は、ティン・パン・アレイの有名クリエイターチーム、エリー・グリニッチジェフ・バリー42回レコーディングをやり直したことでも有名です。ハル・ブレインはひたすら、バスドラムを打ち続けたと言われています。

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日本では弘田三枝子さんが「あたしのベイビー」というタイトルでカバーしています。「わたし」ではなく「あたし」というところが、制作ディレクターが江戸っ子だったんだなぁ、と想像したりします。

次は、山下達郎も大好きな、この曲。

I wonder」。イントロの「ハル・ブレイン」のドラムは素晴らしい。ファンタスティック!

このコーナーの最後は、「Walking In The Rain」。冒頭の雨のSEはいろんな曲に使い回されているそうで、カスケーズの「悲しき雨音」も同じ音源だという噂が。大滝詠一師匠の「バチェラー・ガール」の雨音のSEも同じ音源を使っているのではないでしょうか。

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【3.フィレス以降】

フィル・スペクターのDVに耐えかねたロニーは、彼と離婚して、新たな道を歩み始めます。

1977年には、ザ・E・ストリートバンドと一緒に、「Say Goodbye to Hollywood」(1977年)を発表しています。


1999年には、「You Can’t Put Your Arms Around a Memory」を発表。


1986年には、エディー・マネーの「Take Me Home Tonight」の中に、ゲストシンガーとして登場して「Be my baby」の一節を歌い上げます。エディーのロニーへのオマージュでしょうか。

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【おまけ】

最後に私のもっとも好きなロネッツの曲、いろいろと曰くのあるスペクターの「クリスマスアルバム」に収録されている「ママがサンタにキッスした」。これもイントロのハル・ブレインのドラムが素晴らしすぎます。

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(ちなみに、ピンク映画に「ママがサンタとファックした」という作品があるとかないとか・・・)

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心より、ご冥福をお祈りいたします。

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