【音楽】🥁高橋幸宏の一言から始まった!「トノバン 音楽家加藤和彦とその時代」のいったい「その時代」とは?
映画「トノバン 音楽家 加藤和彦とその時代」の公開にあたって改めて「帰って来たヨッパライ」を聞いてみた。
酔っ払い運転で事故死した東北弁の主人公が長い雲の階段を上って天国へ行く。そこでも酒と美女に浮かれていたら、関西弁の神様から天国を追い出されて生き返る。
ラストに般若心経が読経され、ビートルズの「ハード・デイズ・ナイト」の歌詞が一言読まれた後、ベートーベンの「エリーゼのために」のピアノ演奏でフェードアウトする。
風刺仕立てのストーリーと、テープを高速回転した甲高い声がコミカルで、今聞いても新鮮だ。
当時、京都の大学生だった加藤和彦、北山修、はしだのりひこの3人で結成したザ・フォーク・クルセダーズによるこの曲がヒットしたのは1968年のこと。
このカレッジバンドは結成1年後、大学卒業を機に解散。北山は医学、加藤とはしだは音楽の道へ進むことになる。
ビートルズが好きだった加藤はその後、大好きなロンドンに出向き、本場のロックを肌で感じ取りながら、「向こうに負けない音楽を作りたい」という思いにかられていった。
盛んだった学生運動は、70年代に入るとやがて終焉(しゅうえん)する。若者たちの挫折した姿を描く「神田川」や「赤ちょうちん」といった「四畳半フォーク」がはやり出し、小さな幸せが歌われ始めたその時に、加藤はギンギンのロックバンド「サディスティック・ミカ・バンド」を結成する。
メンバーは高中正義、小原礼、高橋幸宏、妻の加藤ミカ、そして加藤和彦。
ファーストアルバムは売れなかったが、セカンドアルバムの「黒船」がヒットした。
ちんまりした四畳半フォークがはやる時代に、名曲「タイムマシンにおねがい」が歌われる。
ジュラ紀の世界に飛べば、散歩中のティラノザウルスやお昼寝するアンモナイトに、そして鹿鳴館の時代へ行けば、ワルツを楽しむ人たちに出会える。
そんなピカピカでイキイキしたぶっ飛んだ内容の歌詞とガツンとしたギターサウンドが日本の音楽界に強烈なインパクトを与えた。
その後、彼らはイギリスでロキシー・ミュージックのツアーのフロントアクトを務めるが、やがて加藤とミカとの離婚を機にバンドは解散する。
2000年代に入ると、世界は多様性と個の時代へと変化していく。
情報はあふれ返り、誰もが情報の発信者になれるようになる。
03年にヤマハから歌声合成技術ボーカロイドが登場すると、人間では不可能な高速で高音域の歌声を自由に生み出せるようになり、レコード会社を通さずに多くのヒット曲が誕生していった。
音楽界に新風が吹き始めた09年、加藤和彦は自ら人生の幕を閉じることを選択する。愛読した作家アーネスト・ヘミングウェイのように。
60年代に忽然(こつぜん)と現れ、イギリスのフォークシンガー、ドノバンをカバーしたことから「トノバン」という愛称で親しまれ、ダントツの神的位置で時代を生きた加藤和彦。
この映画は、「彼はもっとフューチャーされるべきだ」という高橋幸宏の一言から始まったという。
この提案に応じたのが相原裕美監督だったことは偶然ではなさそうだ。
相原は、「黒船」やYMOのアルバムジャケット、デビッド・ボウイ、マーク・ボラン、イギー・ポップなどを撮り続ける写真家、鋤田正義のドキュメント映画「SUKITA 刻まれたアーティストたちの一瞬」の監督でもある。
この映画には加藤和彦と親しかったミュージシャンやディレクターなどが次々に登場し、生前の彼を語る。
その多くの言葉から60年代から2000年代初頭まで激変する時代を一流の音楽と料理とファッションを愛しながら、洒脱(しゃだつ)に生きた加藤和彦の実像が鮮明に浮かび上がってくる。
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