『月を映すあなたの一日』を読んで。
こんにちは、youmeiです。
最近、自然や自衛隊関連の本を読んでいるのですが、なぜかネイティブ・インディアンに辿り着きました。
以前、インディアンの本をよく読んでいましたが、また再会するとは思っておりませんでした。
例に倣って、直観にて本を探すと見つけたのが”月を映すあなたの一日”でした。
最近は、月🌙にも関心が向いているので、なおさら興味が湧いて読んでみました。
たくさんのインディアンの方の言葉が綴られており、その中で気になったもの(=今の自分に必要な言葉)を書き出してみました。
書けるものには、私なりの解釈を書いてみようと思います。
自然が法であり、動物も魚も植物も自然に従う。ひとり罪づくりなのは人間のみ
自然の法則にあらゆる生き物は従うが、人は逸脱している部分もある。
高い知能や知識で病気や寿命を延ばす反面、自然破壊や文明の構築で自然に反することをしている。
ただ、これにも良い面・悪い面がある。
存在が許されるということは、容認されているということであり、過ぎれば滅ぼされることと同義であると思う。
人なんて自然の猛威には、なす術がないのだから。
自然の声に耳を傾ける。自然はあなたのために宝をしまっている。
自然に耳を傾けられる時というのは、こちらの準備が整ったということだ。
自然は準備が整った人のために、叡智や気づきをくれる。
それが代えのきかない宝であると思う。
なにせ、一生物のものだから。
腹の満たされた鳥は、腹を空かせた鳥とは一緒に飛べない
満たされている人と乾きを覚えている人では、相容れることはできない。
そもそもの目的や価値観が違う人とは一緒に行動するのは難しい。
満たされているものと乾きを覚えているものでは、行動の優先順位が違う。
不思議な力とヴィジョンは、常に準備のできた人間を探し求めている
器ができた人間でないと、難しい課題はこなせない。
与えられた能力や才能を使いこなせない。
だからこそ、いつ来てもいいように準備をしておくのがこちらの礼儀だと思う。
誰ひとり助けようともしない人間を、助ける必要は全くない
自分のためだけに生きる人間を、自己中心的な人を助ける義理も心もない。
生きるにはお互いが助け合う必要があるし、人は1人では生きられない。
祈りとは自然との対話のこと
自然と自分自身の前に、内側の自分自身を経由して自然と対話する。
そうやって今後人生の行き先や方針を決めた方がいい。
あらゆるものの中に中庸と均衡を見つけ出せ
例えば、資本社会と自然は相反するもの。
しかし、現代人にとってはどちらも必要なもの。
自分に合った落とし所を見つけ出し、その理想が叶うように行動していった方がいい。
スピリチュアルな人間は常に戦いの最前線にいる
スピリチュアルな人間は両極端。
己の欲望のために使う人間もいれば、本当に世の中のために使う人もいる。
前者は論外だが、後者の場合は、常に試練やその与えられた能力を正しく使うための課題が多くある。
時代を先取りしたり、時代の準備をしたりと常に逆風が伴う。
そのため孤独であることが多い。
また肉眼で見ることができないため、”本当に正しいのか”という悩みを抱えることも多いが、それの試練のうち。
全ての世界にあるものは2つの顔を持つ
物事には複数の面を持つことが多い。
だからこそ、ものの一面だけでなく多角的に見ることも大切。
いいものも悪いものも、両方あることでその存在が許されるのかもしれない。
欲しいものに満足を求める代わりに、必要なもので満足せよ
欲しいもの(欲望)には限りがないし、本当の意味で心は満たされない。
本当に必要なものは、一握りであって大半が余分なもの。
自分の時間(命)を切り出して稼いだお金をそんな余分なものを買うのは勿体無い。
自分にとって”最低限なものは何か”という問いを出して、それにあった必要なものを捻出すること。
必要なもので周囲を満たせば、それほど物は必要ない。
教えは外側からではなく、内側からもたらされるもの。
教えとは、自分が求めてこそ血肉になる。
他者から与えられるのも、強制的に学ばされるのも無意味に等しい。
自分から学びたいと思ったり、教えをこわない限り血肉にはならない。
嘘つきに人間とみなすほどの価値はない。
嘘をつく人間は、他人にもそうだが自分自身にも嘘をついている。
目の前の物質的なことに目を奪われ、本当に大切なものを忘れてしまっている。
動物ですら自分に周囲に嘘はつかない。
高い知能を持つ人間が嘘をつくというのは、それだけで動物以下に思う。
信用足らぬ人間を人間扱いすることはない。
最後に
とネイティブ・インディアンの方の言葉に、私なりの解釈を書き出してみました。
いかがでしたでしょうか?
この記事が少しでもお役に立てれば幸いです。
ここまでお読みくださりありがとうございました。