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エスカレーターGERO

★吐しゃ物の表現がありますので、ご注意ください。また、お仕事がつらい方は、ご遠慮ください。

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私が通勤に使う地下鉄の駅には、地上に向かう長いエスカレーターがある。今日も、地下鉄を降りると、いつものように、このエスカレーターに乗った。乗客はみな左側の手すりを持ちながら、お行儀よく並んでいる。前を見ると、先頭に学生がいて、じっとして歩こうとしない。右側を追い抜いていくものもあるが、なにせこのエスカレーターは長いので、みんな立ち止まったままだ。

「キャー。」叫び声が聞こえた。見ると、先頭の学生が、手すりの方に顔を向け、横のすき間に何かを吐き出している。私は、目をつむった。「やめてー。」、「なんだ、こいつ。」女子学生やサラリーマンの声が聞こえる。

でも、私は、目を開かない。つむったままじっとしてれば、いつかは、通り過ぎる。地上に着いたら、目を開けばいいじゃないか。

いったい、どのくらい時間がたったのだろう。私は、目を閉じたままじっとしていた。前に人がいるのか、後ろに人がいるのかさえも、わからない。妙に静かだった。学生は、つらかったんだろうな、何かを吐き出したかったんだろう、そう思うと、何かが、急に胸にこみ上げてきた。いかん、だめだ。

うぇー、

「キャー。」叫び声がした。エスカレーターの乗客が、上から順に、何かを吐き出し始めた。つらさ、せつなさ、やるせなさ、怒り、悲しみ、乗客の胸の中にしまい込まれていたものが、次々と吐き出され、手すりの横のすき間をつたって、地下に落ちていく。

後ろから「助けて。」の声が聞こえては、消えていった。エスカレーターは上に進んでいるはずなのに、いっこうに地上に着かない。先頭の学生は立ち止まったままだ。

しばらくすると、つま先に生あたたかいぬめりを感じた。ぬめりは、靴下を浸し、ひざ、ベルト、胸ポケットを飲み込んでいく、ついにネクタイの結び目までぬめりが迫ってきた。

私は、地上に向けて手を伸ばした。

「かっ、会社に遅れる。」

(続く)

この作品は、逆噴射小説大賞2019に応募するものです。

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