不登校変化グラフ

なぜ九十年代に不登校が激増したのか? 不登校の社会論 2

九十年代に社会に何が起きたのか?

 教育の世界からさらに視野を広げて、九十年代の日本に何があったのかを見ていきましょう。
 九十年代の大きなトピックにインターネットの席巻があります。新しいウィンドウズが発売された九十五年ごろから少しずつ日本でも広がっていったインターネットとパソコンですが、人々の生活に大きな変化を与えるのはゼロ年代に入ってからでしょう。
 逆にテレビゲームが小中学生に爆発的に流行ったのは八十年代でした。ファミコンの発売が八十三年で数年で一気に家庭用ゲーム機が子ども達の必需品になります。九十年代にはソニーがプレイステーションでゲーム業界に参入し、ゲーム業界のパイが一回り大きくなりましたが、テレビゲームの普及自体は不登校の増加と時期がズレているといえるでしょう。
 もう一つ携帯電話の普及も考えられそうですが、携帯電話の普及が五十%を超えたのはゼロ年代になってからです。
 こういったゲームやネットなどの電子機器による変化も九十年年代後半の不登校の急増をうまく説明できないように思えます。微妙に時期が合わないのです。

 九十五年の阪神大震災とオウム真理教の事件も大きな事件でしたが、九十年代に長く影響が生じた最も大きな出来事はバブル崩壊ではないでしょうか。バブル崩壊をいつと言い切ることはできませんが、九十一年から数年を指すでしょうか。九十一年前後を境に景気が急激に悪化し、九十年代後半まで就職氷河期や多くの会社の倒産など経済的な混乱が続きました。それは大きな将来不安を抱かせたはずです。九十七年を中心に山一證券の破綻など九十年代後半までバブルの後遺症は続きます。
 実は私は不登校の急増と最も関連のある社会現象はバブル崩壊だと考えています。

九十年代に急増したもう一つのもの

  実は九十年代後半に急増したものがもう一つあります。それは自殺です。
 次ページの警察庁発表のグラフから分かるように、九十年には二万人程度だった年間自殺者数は九十年代前半に増加を重ね、九十六年には二万五千人に近づきます。そして翌年の九十七年で一気に七千人増えて三万人二千人に達します。その後は二千十年まで三万人台を維持し、ここ数年で減少を重ねています。
 世界中で自殺者数と経済的な状況との関連が指摘されています。日本で九十年代後半に自殺者数が増えた一番の理由はバブル崩壊による経済不安とされています。特に自殺が急増した九十七年は山一證券の破綻があった年で、多くの会社が倒産しました。
 このように不登校と自殺者の数は同じタイミングで急増し、その後は横這いが続いていたのです。ただし、自殺については対策が功を奏したらしくここ数年は大きな減少を見せ、三万人を割り込んでいます(警察庁のデータより)。

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私が将来不安を不登校の原因と考える理由

 私は不登校も自殺と同じく経済不安が大きなきっかけとなって急増したのではないかと考えています。
 バブル崩壊を起点とする九十年代の日本社会を覆っていた不安が小中学生の将来不安を大きくし、それが不登校の急増に関係している。一見スッキリとした理屈ですが、ことはそう単純ではありません。
 まず、全体的な社会不安が本当に不登校を増やすのかという疑問があるでしょう。ここからは潜在的な意識の問題なので、なかなかはっきりした肯定も否定も難しいものです。あくまでモデルとしてお聞きください。
 この社会不安、将来不安と不登校の関係としては色々なモデルが考えられます。
 一つは将来不安が単純に小中学生の今の不安と結びついて不登校を増やすというモデルです。
 もう一つは、将来不安が学校に行く重要性を上げ、その結果学校に行くプレッシャーが上がって、不登校が増えるというモデルです。
 ここからは、現在の様々な社会問題とリンクしながら、経済不安における将来への不安と学校のストレス、不安増加の関係を考えていきます。

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