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老父のうつ病④ 薬について思うこと

老父のうつ病

老父のうつ病について、①②③と書いたのは、年末年始のことでした。
私自身、忙しくて取り紛れていて、その後のことを書いていませんでした。

③を書いたのが1月21日となっていますから、あれから2か月、発症してから3か月が経つのですね。

あっという間だったし、遠い昔だった気もするし…なのですが、そもそもがどなたかのお役に立てばの思いで書き始めたことなので、思い出しながら経過を記録しておきたいと思います。

老人性うつは治る!

父がうつ病と診断され、情報を集める過程で和田秀樹さんの著書において、認知症の薬は難しいが、老人性のうつ病は薬で治ること、認知症とうつが混同されて放置されることによっておこる弊害などを知り、私は西洋医学的治療と現代薬学に希望を見出しました。

でも一番の希望であった通院での治療で早期に回復し、孫の結婚式に参列することは叶わず、精神科単科の病院に入院させて、わたしたち家族だけで結婚式には参列しました。

そのときには、敗北感というか、不安のほうが大きく、入院加療してももとの父には戻らないであろうと予測していました。

入院先の担当医にも、ケースワーカーにも、「お年がお年ですのでね…」と、何度も言われました。

うつ病は薬が合えば、治る病気ではあるものの、父の86歳という年齢から、認知症にそのまま移行することもあり、入院して寝てばかりいることにより、足が衰え、QOLが下がってしまう、入院前にできていたことができなくなってしまう可能性は否定できず、それは認識しています…というような書類にサインもしました。

そして、入院させて次の日、公衆電話から電話をかけてきて、「部屋の向こうにいる男女の患者さんを見ていたら、えらい怒られて怒られて、ここにはいられへんようになった」と、取り乱し、泣きながら訴えるということがあり、ケースワーカーさんにお伺いすると、全くの妄想であることがわかり、暗澹たる思いになることもありました。

でもそれは、入院時のせん妄だったようで、日が経つにつれ、父は落ち着き、よく眠れるようになり、食事も完食するようになりました。

そして、おやつを差し入れしてもらうことに、楽しみを見つけ、電話であれこれ持ってきてほしいと要求するようになりました。

病院はまだコロナ、インフルエンザ対策の一環として、月一回のタブレット端末での面会しか許されていませんでしたが、1月4日に入院して、1月27日のはじめての面会では、涙あり、笑いありの発症前の父でした。

もともと感情表現が豊かな父でしたが、うつ病発症前後からまったく笑わないのは当然ですが、つらいのに泣くこともできなくなっていたので、泣いた・・感情が動いた・・というのは、とても喜ばしい変化でした。

ほとんど、発症前と変わらない様子でしたが、唯一気になるのは、孫のこと、結婚式のことを一切聞かないことでした。

悪い刺激になってはいけないので、主治医からこちらから結婚式の話はしないように言われていたので、私からはしませんでしたが、あれだけ楽しみにもし、気にもしていた結婚式の話をしないのは、なんらかの防衛本能のようなものだろうと思っていました。

一方で可愛がっていた私の飼い犬のはなしは、さかんに聞きたがり、犬の話ばかりしていました。

その後、犬の写真を着替えやお菓子と共に差し入れましたが、それが一番嬉しかったようです。

主治医からも差し入れをするときに伺う看護師さんからも、この第一回目の面会以降、急激に意欲的になり、快活になる、笑い声を響かせるようになったようです。

主治医との家族面談が月2回しかないので、日程的には先延ばしになりましたが、そのあとすぐに退院が決まりました。

ケースワーカーの方も驚くような回復ぶりでした。

2回目の面談が2月17日、退院は2月19日です。
1月4日に入院した時に、治療には3か月はかかると思ってくださいと言われていましたし、そのつもりでした。

1か月でいったんよくなったと思って、慌てて退院すると、悪化してまた戻ってこられることがよくありますが、自主判断で退院された場合には、お引き受けできません・・・と言われていたので、そういうものかと思い、こわごわの退院でもありました。

2か月足らずの入院、そして、更に自宅療養を1か月した父の様子・・・。

うつ病発症前の父とほぼ同じです。

いったいあれはなんだったのだろう???と首をひねるほどの普通の父です。

退院直後は、さすがに足が弱り、ちょっとふらふら足許がおぼつかない感じがありました。

そして、同居していない私にはわかりませんが、同居する母によると、記憶力が更に悪くなったとのことで、今言ったことを次の瞬間に忘れている、何度も何度も同じことを聞くということがあって、母は、ぼけたぼけたと嘆いていました。

でも、それは退院してしばらく経つうちに少しづつマシになってきたらしく、もともと、忘れがちの天然ボケの父に戻ったようです。

入院中は、孫のことや孫の結婚式のことを一切聞かなかった父ですが、退院後、私が聞くと、自分が入院したせいで、孫の結婚が破談になったと思っていたそうです。

わりと、辻褄の合う話なので、へぇ、そうか・・と思っていましたが、最近聞くと、「そんなこと言うたか?」と覚えていないようだったので、色々な想いが浮いたり消えたりしているのでしょう。

年末年始に、首をつろうとしたことも、漢方薬局に行ったことも、精神科に行ったことも、入院するときのことも、すべて覚えていないと言います。

覚えていたくないことを選択的に忘れているのかもしれませんし、薬の作用で忘れているのかもしれません。

でも忘れていられることは、とても幸せなことのように思います。

息子夫婦も結婚式のDVDを携えて帰ってきてくれて、一緒に鑑賞しました。

行きたかった、その場で見たかった…なんで行かれへんかったんやろ?と、本人は、悔しそうでした。

ほんと、なんで行かれへんかったんやろね・・・と言いながら、この騒動でわたしが得た気づきは・・・。

医療保険の対象となるものは対象としない


てあて

今回の父を元の父に戻してくれたのは、間違いなく西洋医学の標準治療と現代薬学による抗うつ剤治療でした。

私自身は、何度も書いてきたように、東洋医学陣営にいることもあり、西洋医学には懐疑的な部分も多く、処方薬は極力服用したくなく、漢方が選べるのであれば、漢方で・・という考えでした。

とくに、こころの病気といったときに、精神安定剤、抗うつ剤、睡眠導入剤は、神経伝達物質の受容体を変えてしまうために、絶対にのみたくないし、家族にも服用させたくないと考えていました。

時間がかかっても、カウンセリングでうつ状態は解消できるのではないかと思っていたし、発達障害、適応障害、パニック障害といった自分の臨床でよくお出会いするような患者さんにも、東洋医学的なアプローチが一番害がなく、効果的だと思っていました。

でも、今回の父の一連のことに巻き込まれながら、受けた体感としては、保険治療、すごい。有難い。という一言でした。

父の発病じたいに、多剤投与になっていた薬剤性のものがあったのではないかという疑いはあります。

でも、入院して、薬の交通整理をしていただき、適切な投薬をしていただいたことで、父は完全に回復しました。

体調を回復したと同時に人間性も回復したのです。

指圧も鍼灸も漢方も、たぶんカウンセリングも無力でした。

あのときの父への最適解は西洋医学であり、現代薬学だったのです。

エビデンスのある標準治療の素晴らしさを私は実感しました。

東洋医学の界隈にいると、西洋医学で治せなかった難病を鍼で治したとか、指圧はこころに効くとか、そういうことにとても憧れを感じますし、実際にそういう例は枚挙にいとまがありません。

でも、それとこれとをごっちゃにしてはいけない。

ごっちゃにしていたのは、私だけなのかもしれませんが、保険治療の対象になるようなこころやからだの症状を私は対象としない・・と改めて思いました。

では、改めてどういうことを対象とするかと考えたときに、浮かぶ言葉があります。

コーチングとカウンセリングの比較としてよく使われる言葉なのですが、

カウンセリングは、マイナスをゼロにすることを目指す。

コーチングは、ゼロをプラスに、プラスを更なるプラスにすること。

もちろん、そこには豊かなグラデーションが存在していて、それぞれのカウンセラーやコーチの個性によっても、クライアントとの組み合わせによっても違うと思いますが、わたしは、マイナスをゼロに・・のところは、他の医療機関にまかせて、ゼロをプラスにする方向、コーチのようにクライアントと共にプラスを重ねる方向にこれからどんどん舵をきっていきたいと思っています。

それは、はからずも自分の施術を治療と呼ぶことへの抵抗感と一致します。

マイナスをゼロにすることを、一般的には治療といいます。

もともと治療している認識ではありませんでしたが、治してほしいと思って来られる方がいらっしゃる以上、治して差し上げたいと思い、施術より治療というものののほうが、高等なものという認識がわたしにはありました。

でも、わたしがこれから目指すのは、ますます治療ではないという認識がはっきりしました。

老父のうつ病は、家族として本当に大変な出来事ではありましたが、貴重な気づきをたくさん与えてもらいました。

ご心配くださっていた皆さまにも、本当にありがとうございました・・ということで、一応事後談としての父のうつ病の話は終えたいと思います。


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 ならまち月燈/こころとからだをつなぐあかり
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