どうして私は指圧に夢中になるのか?
指圧に辿り着くまで
施術の受け手としてのわたし
初めて指圧と名の付くものを受けたのは、専門学校入学後ですが、リラクゼーションでのもみほぐしや、ホテルスパでのトリートメントは毎月受けていました。
それは私の心身の切実な事情にあります。
私は30代のほぼ10年間を心身の絶不調と共に過ごしました。
まぁとにかく、身体の調子が悪かった。
元々は、中肉中背のそこそこ健康優良児で、特に学生時代は自分の健康について考えたこともありませんでした。
ただ高校大学と、あまり自分が進んで選んだのではない環境で、不適応をおこし、典型的な心身症である十二指腸潰瘍は繰り返していましたから、思い悩むと胃腸を直撃するタイプであったと思います。
なにか自分自身がストレスを感じると、みぞおちのあたりが、しくしくする感じがありました。
30代は仕事、プライベートとも大変な激務で、26歳で出産したあとシングルマザーとして育てた息子の子育ても、とても自分が育てたとはいえないくらい、仕事に捧げる時間が多く、夜帰宅しても興奮して寝つけず、深酒で気を失うようにして眠ることの繰り返しでした。
そういった、生活習慣が一番の原因だと思いますが、歩けないほどの関節の痛み、40度以上の高熱といった劇症といわれるような派手な症状が頻繁に現れます。
何軒も病院を受診して、診断名は関節リウマチ。
いつも、当時治験が始まったばかりの、新薬治療を薦められ、今回はもう始めないといけないか・・・と覚悟を決めると、症状が嘘のように収まるという、今でもそういう診断名があるのかわかりませんが、回帰性関節リウマチということでした。
当時の医師の説明では、1/3が寛解し、1/3が継続し、1/3が悪化して悪性関節リウマチに移行するというものでした。
有難いことに、10年ほど私は継続した後に寛解したのですが、その渦中にあっては、もちろんそれを知る由もありません。
治ったかと思うと再燃する痛みに、絶望することもしばしばでした。
リウマチというと、寒いときに症状が出るイメージがありましたが、
私は梅雨時や、低気圧接近前が苦手で、今思えば、湿邪に弱いタイプだったんだと思います。
当時京都に住んでいて、盆地特有のねっとりとした湿気がまとわりつくようになると、身体が重くなり、朝、起き上がれない、重だるい、眠りが浅い・・が続き、そういう時に仕事を休めずに無理をすると、途端に発熱、関節の発痛が始まる…といった感じでした。
抗リウマチ薬の服用が怖かった私は鎮痛剤も効かず、手指の朝のこわばりを感じ始めると、マッサージに通いました。
まだ、当時治療院とリラクゼーションの違いもよくわからず、マッサージやもみほぐしが上手なセラピストさんを探し、口コミを検索しては結構遠いところにまで、東へ西へと探して通っていました。
その時代のことは、もちろん現在の職業の肥やしになっていますが、選球眼がなかったのか、2度重ねて通うところはありませんでした。
がっかりするようなこともありますが、大抵は値段に見合った施術で、高望みすることもありませんでしたが、神の手という評判でも、ふ~む・・・という感じで、一生おまかせしたくなるようなセラピストさんには出会いませんでした。
そして、こころの問題はこころの問題として、高校時代のスクールカウンセラーの神戸の先生の許へ、カウンセリングに通っていました。
からだの問題はからだの専門家へ、こころの問題はこころの専門家へと当時の私は思いこんでいたんですね。
うすうす、自分のからだの問題は、ストレスからきていて、心の問題なんだと気づいていたのに。
神の手というわけではなくても、それぞれのセラピストさんに施術してもらうと、滞っていたものが流れ、確実に楽にはなっていました。
色んな人が色んな施術をされるんだなぁ・・という印象。
同じ店の違う人に施術してもらっても、また全くの別物でした。
当時、私は自分自身が施術を業とするような将来が待っているとは全く思っていません。
どちらかというと、カウンセリングやコーチングを第二の人生の職業にすることを考え始めていた時期です。
入学後の受け手としてのわたし
専門学校入学後、一年半くらいはまだ前職についていました。
3年後には、退職することを宣言しての勤務だったこと、昼間は専門学校に通い、夜と週末だけの勤務になったこともあり、別のプレッシャーもあって、一旦寛解しかけていたリウマチも、何度も再燃していました。
一年生の時に、あん摩、マッサージ、指圧、鍼、灸とそれぞれの基本実技を習い、それはそれぞれに興味深いものでした。
実技は、生徒同士のペアで進めていくものですから、当然はじめは痛かったりくすぐったかったり、見様見真似でしていることですから、最初はろくなものではありません。
先生から受ける模範手技も、もちろん目的が手順を教えるためのものであったり、方法を教えるものであったりするためのものですから、気持ちよいわけがない。将来の技術習得のための実技でした。
でも、指圧だけは違いました。
指圧は、模範実技として押されるだけでも気持ちがいい。
ここからここまで…という、部分的な手技であっても気持ちがいい。
これはなんなんだろう…と不思議に思っていました。
今思えば、それが響きだったんですね。
どんな単発の刺激でも、響いて気持ちがいい。
私は、指圧の実技が楽しみで楽しみでしかたなくなりました。
生涯受けてきた授業の中で一番楽しみな授業でした。
というところで、次に続きます…。
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