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うめむら指圧さんのこと

うめむら指圧さんという感動

鍼灸院から指圧院へ

専門学校を卒業して、開業準備をしながら整形外科のリハビリ室でパート勤務をしていた私は、整形外科で行われるリハビリがいかなるものかを体験しながら、そこで希望される患者さんを個別に鍼灸治療や指圧マッサージ治療していました。

そこでの体験や知見はとても印象的で、自分がどんな治療院を開きたいと思っているのか、イメージを固めるのにとても役に立ち、有難い経験でした。

卒業したての私は、自分自身が指圧にとても心惹かれていたにも関わらず、疑いもなく鍼灸院を開くつもりでいました。

女性が安心してきて下さる場にしたいということが一番にあったので、女性専用鍼灸院というコンセプトは初めから決めていました。

保健所に届け出た名称は、「女性臨床鍼灸ならまち月燈」です。
臨床ということにこだわりたかったので、やたら長いそんな名称になりましたが、そのときには指圧という言葉にはこだわりがなかったのかと今にして思います。

当初の私の施術スタイルでいうと、

指圧5 鍼2 灸2 マッサージ1

ぐらいの感じだったので、指圧がメインだったのにも関わらず、名称に指圧を謳わなかったのは、巷に指圧院がなかったこともあって、イメージがわかなかったことが一番にあると思います。

国家資格⇔民間資格 東洋医学⇔西洋医学 鍼灸院⇔整骨院

というような対立構造でものごとをとらえていたということもあります。

せっかくお金と時間を費やして国家資格を取得したのだから、早く開業して、早く確実にたくさんの方に知ってもらい、着実にお越し頂くにはどうすればいいのか?というマーケットインの発想でもあったと思います。

当時、一番浸透しているように思っていた鍼灸整骨院の医療施設然とした佇まい、青を基調として白衣をきて、医師のようにふるまう治療院へのアンチテーゼとして、東洋医学の塔としての鍼灸院の在り方を模索していたのもありました。

その結果、有難いことにたくさんの鍼灸初めて・・という方がご来院くださいましたし、女性鍼灸師の仲間が増えて、色々な流派の鍼灸術が受けられる、私としては鍼灸の理想郷のような場ができたことは本当に嬉しいことだと思っています。

でも、私自身の施術スタイルはというと、鍼灸に費やす時間がどんどん減っていて、指圧だけということが圧倒的に多くなってきました。

そして同時に、それまでは自身の勉強のためにも鍼灸院で鍼灸を受けるようにしていたのが、全く鍼灸に足が向かなくなってしまったのです。

ならまち月燈には、優秀な鍼灸師の先生が他に三人いらっしゃるので、施術を受けようと思えば、いつでも受けられます。そして、誤解のないように申し上げると、どの先生の治療もとてもよく効きます。

その時に困っている症状は、治療してもらうときれいになくなっている。
本来、それで充分なはずなのです。

だけど私は心から指圧を愛していて、指圧だけを受けたい欲が年々おさえられなくなっていました。

指圧というワードで検索を重ね、遠方でも臆せず、あちこち指圧を受けに行くようになりました。

指圧に近い手技を整体院に求めて、行ってみたこともあります。リラクゼーションにも上手なセラピストさんはいらっしゃいます。

上手だなぁ…と思うことはあります。というより、事前調査をばっちりしていくので、昔のようにはずれだった…と思うことはほとんどありません。
むしろ皆さん上手で、勉強になることも多いです。

でも残念ながら、もう一度行こうと思える施術に出会うことはありませんでしたし、一生診て欲しいと思う施術師さんには、なおさら出会うことがありませんでした。

鍼灸院では当然のことながら、鍼灸師の先生が鍼灸で施術してくださる。

鍼灸マッサージ院は、あん摩マッサージ指圧師の資格もお持ちの先生がいらして、鍼灸以外の手技の施術を受けることはできましたが、指圧を標ぼうされていることは少なく、指圧院にもなかなか巡り合えずにいました。

でもいつか出会えると思い、出会えると信じれば出現します。

出現したのは、去年の秋でした。

それが名古屋のうめむら指圧院さんです。

名古屋 うめむら指圧


うめむら指圧さんとの出会い

はじめての出会いは、Instagramの梅村先生のご投稿です。



たぶん始めたばかりのInstagramで、指圧で検索したか、増永静人師の名前で検索したか。いずれにせよ、ご投稿のすべてが心に迫りました。
うんうん。そうそう。勝手に代弁者に巡り合ったかのようにうなづいていました。

そうか、こんな風にInstagramって表現できるんだ…というお手本でもありましたが、なにより人となりが優しく柔らかく穏やかなご様子が感じ取れて、
絶対に施術を受けに行きたいと、チャンスを伺っていました。

少し話が逸れますが、食べ物には原材料表示というものがあります。
たぶん、市販されているものには義務づけられているものです。

私の永らくの患者さんで、洋菓子を焼いて来て下さる方がいらっしゃいます。ご本人は謙遜されるのですが、全くのプロはだしの素晴らしい出来栄えです。頂くたびに、大げさではなく衝撃的な美味しさなのです。

その方が、原材料表示のペーパーをつけてくださっていたことがありました。厳選された、良質高品質の粉であり、バターであり、リキュールであることが、素人の私にも一目瞭然でした。

シンプルな最高品質のものでできていて、その上にその方の優しい柔らかな氣が乗っているからこんなに美味しいんだ…としみじみ思いました。

ただ美味しいと思っていたものが、原材料表示を見たことで、私の中で腑に落ちるというか、ああ、だから美味しいのだと裏付けされて納得する感じがあり、その体験は忘れられません。

鍼灸師や指圧師、セラピストの中身は、見ただけではわかりません。

今では綺麗なホームページを持っている院も多いですが、どんな考えで運営されているかを伺い知ることは難しいです。

でも、SNSという便利なものができたおかげで、施術者自身の思想や哲学が前面に出てくるような発信も多くなり、今まで見えていなかったものが見えるようになってきました。

本当に有難い時代ですが、発信によっては、表面的にコーティングされているだけで、中身を伴っていないことも白日にさらされるようになっています。

院によって、運動器系、筋肉や神経に着目して施術しているのか、もっと目に見えないものに着目しているのかがまずあります。

圧倒的に目に見えるものにアプローチされる院が多い中で、私自身は、こころとからだの継ぎ目のようなところに関心があるので、そういう発言をされている投稿をフォローしています。

自分がどんなことを感じているか?
自分がどんな体験をしてきて、それが今の施術にどんな風に生きているか?

それが、施術における原材料表記であると私は思っています。

私が自分の身体を診てもらいたいと思うのは、偉い先生でも、経験豊かな先生でも博識な先生でもなく、優しく温かく、自分に寄り添ってくれるような先生であるということは、よくわかっていました。

梅村先生のInstagramでのご投稿には、その中身がはっきりと示されていました。

良質、高品質、温かく、優しく、断定しない、慎み深い、表面的でない、人の痛みをくみ寄り添うことができる。

そして約半年。ようやく夢が叶う日がきました。

奈良から名古屋まで2時間くらいでしょうか。
あまり今までゆかりのない土地でしたが、あっという間の遠足。

そして梅村先生との出会いは、はじめての氣がしない・・というものでした。Instagramでのご投稿そのものの方でした。

大きくみせようとしない、気負わない、自然体の方でした。
そして、やはり柔らかい優しい温かいお氣遣いの方でした。

同じ開業鍼灸マッサージ師の友人と一緒に訪問させていただいて、彼女が施術を受けている時間は、彼女のものなので、黙って施術を見学させて頂いていましたが、自分が施術を受けている間は、ず~っとしゃべっていたと思います。

非常識かな?という思いはちらりとよぎりましたが、もうそんなこと言ってられない!ぐらい、興奮していた…というより、自分が思うような指圧を体現している先生に出会えた喜びという氣が、この方ならわかってもらえると思ったとたんに、溜めていた分、氣が開いて噴出したんですね、たぶん。

自分の患者さんにも、施術中におしゃべりがとまらない方がいますが、そういう時はとめてはいけないんだと、自分の経験上も思います。

身体の中には、色々な想いが行き場もなく眠っています。その想いはわかってくれると思う人と場に遭遇すると、立ち上がってきて、想いが言葉というかたちを描くようになるのです。

その過程にこそ治癒につながる道筋があります。

人は言葉にならない想いを抱えて生きています。言葉にならなければ、意識には上ってこないけれども、潜在意識に深く沈み、別の表現方法をとることがあります。

無意識のうちにその表現方法のひとつとして身体症状を選んで表出することは、臨床上よく経験することです。

私はその時、特別に身体的な症状があるわけではありませんでした。

ただ単にどんな指圧をされるのか体験してみたかっただけであり、梅村先生の実物にお会いしたい一心でした。

だけど、梅村先生の指圧を受けているうちに、身体が緩み、潜在意識が活性化され、自分でも思ってもみないような、未来へのヴィジョンが拓かれたのです。

それは、梅村先生にもたらされたものか?
梅村先生の指圧にもたらされたものか?

もし梅村先生とお出会いして、お話しただけなら、間違いなく初回であんな風に回路が活性化することはなかったでしょう。

間違いなく指圧を受け、手掌をあてるという行為が、呼び覚ましたものであったと思います。

では、梅村先生のメソッドを学んだ人の指圧を受ければ、必ずそんな風になるのか?といえば、それもたぶん違うでしょう。

梅村先生の人格とその指圧は分かちがたく一体のもので、その指圧方法だけを学んだからといって、同じことがおこるわけではないと思います。

その時に、再び指圧の面白さと可能性に目を見開かされたのです。

母と子

母性あふれる指圧

梅村先生は、40代男性です。

でも、先生にあてていただいた手掌から伝わるのは、あふれる母性愛でした。許されている、認めてもらえているという感じ。

陰陽でいうと、滋味あふれる陰分をひたひたと補っていただいた感じ。

それは、母性社会といわれてきた日本の現代社会が最近失いつつあるもののような気がします。

効率よく、早く、強く…という男性原理は、陽にあたります。

施術においても、唯一の正しい絶対法則があって、それを早く確実に行うような方向性、トリガーポイントとか、頭痛には合谷とか、一対一で適応する理論は男性原理の強い陽の施術と私は思います。

宗教における一神教のようなものかもしれません。
あれもこれもという優柔不断なことは許されず、教祖の唱える絶対真理を一方向に目指すイメージです。

日本は多神教がもともと根ざしている文化でした。

神も仏も共存し、山川草木にも神宿り、唯一絶対のものなどなく、盛者必衰の人生観。

施術においても、こうかもしれないしああかもしれない。
患者さんの状態、身体の声に耳を澄ましながらので施術は母性の施術、陰の施術であると思います。

赤ちゃんが泣いたとき、「おなかが空いてるのかな?おむつかな?」と赤ちゃんが発する信号を、注意深く愛情深く聴き取ろうとするときの態度。

それを、私は梅村先生の施術から感じるのです。

この人ならわかってくれる…と思ったときに、人はわかってほしい情報を無意識のうちに一斉に発すると思います。

開いた身体に施術することは、とても楽なことであると、私自身の施術者としての体験から思います。

どうせわかってもらえないと思っている身体は、閉じています。
閉じた身体にどんな素晴らしいテクニックの指圧を施しても届かないのです。

梅村先生が名古屋伝統指圧普及会を立ち上げられて、その名を『ははのて
』とされていることを知ったときに、ああ、先生はわかっていらっしゃるんだなぁと思いました。

そして、私はそのははのてに惹かれて、足繁く通うことになるのですが、その話はまたに。


最後まで読んでくださって有難うございます。読んでくださる方がいらっしゃる方がいることが大変励みになります。また時々読みに来ていただけて、なにかのお役に立てることを見つけて頂けたら、これ以上の喜びはありません。