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【理想の先生像】どんな先生が好きだった?

【要約すると…】
「世のため人のため」「子どもたちの未来のために」という志の高い人に対して、尊敬すると同時にコンプレックスを感じてしまいましたが、「そうじゃない先生がいること」にも意味はあるよなぁという話です。

というのも、私は「明るくて楽しい、みんなの人気者先生」にも「親身になって話を聞いてくれる優しい先生」にも「時に厳しく、しかし深い愛で導いてくれる先生」にも惹かれた記憶がありません。(中学以降は特に)(今回は小学校の先生には当てはまらない話かも)

もちろん、そういう方に話を聞いてもらって助けていただいたことも何度かありますしもちろん感謝もしていますが、「惹かれた」のはそういう部分ではありませんでした。

自分が好きになったり影響を受けた先生は、大概「自分の好きなことを追求していたらいつの間にかその道の入口にいる人をガイドできるくらいに知見が深まっていて、たまたまその人に教師としての適性があって、たまたまその道が学問として成立していたから教壇に立っているだけで、一歩間違えればただのその道の変態」みたいな際物教師ばかりでした。あと一番影響を受けたのは「プロの世界で飯を食っていくのは大変だけど演劇部の顧問になれば毎年新作を書いて上演することができる」という理由で国語教員になったO先生です。

だからなのか、高い志で理想を語り合う若手教員や教員志望の学生さんに対して、素直に「立派だ!」「尊敬する!」「素晴らしい!」とリスペクトしたり、「その考えはなかった!」「面白いなあ!」「私ならこうしたいなぁ」とワクワクしたりする一方で、「根っこのレベルで自分は同じ志を持ちえないなぁ…」と申し訳なさも感じます。

そもそも教育の世界に身を投じたのも最初から「子どもと関わる仕事がしたい!」「教育界を変えたい!」というような立派な志があったというよりは、「演劇を追求する人生がいいな」という欲望を叶えるための手段としての教育という下心が入口なので、多くの同業者の方とは良くも悪くも違う文脈です。(子どもや教育に関心があったのは事実ですよ。念のため。)

そんなこんなで、最初の1~2年は「演劇教育・表現教育の道を拡大していくことでしか自分の存在価値を維持できない!」とある種の強迫観念に囚われ、演劇教育依存症のような状態になっていました。

しかし、活動を続けていくうちに大きな軸は変わらずとも、自分の「やりたいこと」が増えていき、「進むべき道の選択肢」が増えてきました。そして、私の聖人君子とは程遠い教育者としてのスタンスや在り方を肯定してくださる同業者や保護者の方々との出会いがあり、かつての自分がコンプレックスと強迫観念で摩耗していたことにあとから気付きました。

結論、まだまだ私は私のやりたいことに時間を費やしたい欲にまみれていて、そのやりたいことは今のところ「世のため人のため」というよりは、「自分自身と縁あって出会った人々のため」の割合が強いということに気付いたという近況報告でした。

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