見出し画像

【特集】ソーシャルグッドを疑う!vol.01「SDGsって正直うさんくさい!?」

2011年頃からボランティア・NPO業界の一つのムーブメントとして「ソーシャルグッド」という言葉とその名前を冠した動きが盛り上がりました。色々な成果も上がっている一方で、名前そのものに「グッド」がついているけれど、果たして本当に良いことばかりなのかという思いもあります。揚げ足取りではなく、良い部分は認めながら、自分たちの態度の反省も踏まえ、批判的に検討を行っていきたいと考えています。企画の第一弾はSDGsをテーマに、そこに関わってこられた岡山県教育委員会高校魅力化推進室長の室先生、本センターのSDGs推進担当、小桐さんにお願いしました。
 室さんや小桐さんも関わっている山陽新聞社主催の連続シンポジウム「SDGs地域課題を探る」等では、あくまで推進を前提に語られるので、本質的な疑問などはほとんど取り上げられないそうです。世間では「SDGsはアヘンだ」と指摘している、斎藤幸平氏の「人新世の資本論」が大きな注目を集めました。また、実は推進を業務として担っているこのゆうあいセンターの職員自身が諸手をあげてSDGsを進めていくことに戸惑いや疑念を持っている現状があります。それらを踏まえての特集記事です。ぜひお読みください。
*当日の動画も記事一番下に掲載しています。

ゲスト:室 貴由輝 氏 /岡山県高校教育課高校魅力化推進室長
    巻尾 信一 /ゆうあいセンターセンター長
            小桐 登  /ゆうあいセンターSDGs推進担当  
聞き手・テキスト・編集:西村 洋己 /ゆうあいセンター副センター長

SDGsについて、それぞれの思い

―まず、それぞれにSDGsについて、どう思っているか?教えて下さい。

巻尾:ゆうあいセンター長として、県の公共施設の指定管理者でもあり、SDGsについての情報提供や講座を実施しています。SDGsは、誰もが反対できないような素晴らしい17の目標を2030 年度までに達成するものですよね。でも、そこに取り組んでいる人は本気なのか?そこに、うさんくささというか疑問があります。組織としては進めているけど、個人的には、飛び込んでいく気持ちになっていないですね。

画像1

―センター長自身がこういう疑問を投げかけるってとても大事だと思っています。では、センターでSDGs推進担当の小桐さんはいかがですか。

小桐:私は伝えていく立場ですので、講座では、SDGsについてわかりやすい事例も紹介しています。ただ、やっぱりまだまだみんなの意識は遠いし、他人事です。そこをどう本気になっていだたくかが課題です。2030年に達成することが一つの目標ですが、それで終わるわけではなく、その先があるし、若い世代がその延長でよい社会を作っていくために、自分に何ができるかなと考えています。

画像2

:一言でいうとSDGsは、毒にも薬にもなるものだと思っています。用法用量を間違えると毒で、「薬として正しく服用して下さい。」みたいな感じなのかなと思っています。私は以前からESD(*Education for Sustainable Developmentの略 訳:「持続可能な開発のための教育」)に関わってきたところから言うと、当時は学校現場にいて、ESDを広げたい、普及したいという思いもありましたが、なかなか浸透しなかったんです。でも、SDGsになったとたんにいろんな学校でやるんですね。ESDは、持続可能な開発のための教育で、狙っているところは一緒なんですけど、SDGsはゴールを細かく分けている。ESDは、そのものずばりがゴール。考えようによれば、アプローチしようとすると両立しないジレンマ、トリレンマがあって、正解がないし、なかなかゴールに近づけないので、教育現場で使われにくかったのだと思います。
SDGsは、ゴールが示されていて、ジレンマの部分はさておきということができるのかなというふうに思っていて、それはそれで一つのゴールに進んでいくことについて推進して行けるのでいいんだろうと思いますが、ある二つの目標を達成しようと思っても、同時には成立しない問題というのがあって、そこが一番重要な部分で、根本的なところですね。つまり、SDGsは根本的な解決に至らない可能性がある。なので、学校現場でやるときは、正しく伝わっているのか、そういうところはすごい疑問というか、気をつけていかなければならないと思っています。

画像3

―目標を同時に達成できない矛盾がある点は、SDGsの問題として指摘されていますね。(*先述の斎藤幸平氏は、「SDGsは、環境に配慮しながら経済成長できるという空気を醸成しているが、そもそも経済成長と二酸化炭素削減は、求められているペースでは両立しえないものなので、経済成長を追い求める資本主義に緊急ブレーキをかけない限り、気候変動は止まらないのに、SDGsはそこから人々の目をそらさせると指摘している」。

ー次に、皆さんが個人的に取り組んでいるところから教えて下さい。私は今日、唯一持っているフェアトレードシャツを着てきていますが、下は、ファストファッションのブランドです。なかなか全身コーデまでは難しい。そういう暮らしの身近なところからお話いただけたら。

小桐 自分でCO2を出さないようにしようとして、生ごみは20数年庭に埋めているし、玉野市の自宅から自転車通勤もしています。この半袖シャツはもともと、ユニクロの長袖シャツですけど、直しながら23年着続けています。あとは、再生可能エネルギーへの取り組みとして、近々自宅に蓄電池と太陽光パネルを導入する予定。あとは色々な人と森づくり、CO2を減らす取り組みなど、環境面については、色々とやっています。

巻尾 SDGsを意識して何かしているというよりは、普段からやれることはできる範囲でやっているという感じです。でも、うなぎ食ってるしな (会場笑) マグロも気にせず食べている。レジ袋は有料化になる前から、マイバッグ持っていたかな。昔は、森林伐採の問題で、紙袋をビニール袋にしょうという動きがあったのに、今はまた紙にしようという動きもあって、どっちなのと思うこともあります。

室 これといって意識はしていないんだけど、一つはSDGsを学校で扱うところが増えてきているのでそこのサポートに入る場面では、「本当にSDGsって良いと思うの?」と問いかけるようにしています。「こっちをたてて、こっちがたたないってこともあるから、そもそも何を目指しているのかっていうところ、先にあるのは何かっていうところをちゃんと理解しやらなきゃいけないよ。」というところは伝えるようにはしていますね。もちろん、これを使って、社会課題に気づいたり、そこに関わろうとする高校生を増やしていこうと思っています。今の私の立場はそこに関われるので、SDGsに向けてできることですね。
私生活で言うと、通勤はそっちが楽だからなんですけど、鉄道を使ってます。家庭菜園、生ごみ等、できることはやっています。子どもに対する水辺教室なども。あと、西村さんと知り合ったきっかけというのも、当時勤務していた建物が隣同士というのもあったんだけど、後楽館高校に福祉科があって、教育において福祉に対しての視点ってすごく大事で、そういう意味では後楽館で勤務して、社会福祉協議会と一緒に学ばせていただいたことは活きています。

2030年という目標は達成可能なのか

― SDGsを進めている側が、「本当にいいと思っているか。」という問いかけはすごく大事ですよね。あとは、教育と福祉のように、他分野とつながる考え方。そうしたSDGsが大事にしている精神を理解して進めているかどうかは重要ですね。ここにいるメンバーは、推進している立場ですが、2030年の目標達成については、どう考えているのでしょうか?国際的には、グレタ・トゥーンベリさんが全世界にその問いを投げかけたわけですけども、岡山においてはどうですか?

室 2030年というゴールは非常に厳しいと思っています。一個人、企業、団体がかなり本気でやったとしても達成できないものだと思っていて、やはり社会のシステムそのものが変わらないと成立しない。もっと言えば、今の生活を維持した上でなんとかしようというところがあるけれど、それ自体がすでにキャパを超えているわけなので。今の生活そのものをある意味で後退させるというか、違う方法、仕組みを本気で受け入れられるようなところまでいかないとゴールは難しい、そういう意味で個人的に厳しいと思っています。
SDGsは、ゴールを細かく分けたことによって、自分の生活はいったん脇に置いといて、このゴールから取り組もうというふうにできるので進めやすい。ESDは、目指す持続可能な社会と自分の生活を対比したときに、そこで止まってしまう。エコロジカルフットプリントによると、日本人と同じ生活を世界の人々が行うと地球が2個以上と必要と学んだ時に、じゃあ地球を維持させようと思うと、今の暮らしの半分にしなきゃいけないのか、それをあと10年以内にやれって言ったらきついよな、本当にできるかなっていうような不安であったり、別の悩みが出てくる。SDGsは、自分の暮らしを変えないままでも、森の保全活動などに取り組んでいれば、SDGsをやっていると言えてしまう。それでもやっていると思っている人が大勢いるので、だから難しいと思います。

―17の目標のどこから始めてもいい気軽さがある一方、自分の暮らしを変えずにすんでしまうという問題ですよね。本来は、全部やるんだよっていうもののはずなのに。これとこれをやるという風に選ぶことができてしまう。ここは大きな問題点ですね。

小桐 SDGsは、環境問題、社会問題、経済問題の3つから成り立っていますが、言い換えれば私たちがつくってきた矛盾が169ある。それぞれができていないところを目標にして、そこを暮らしで意識できるか。おそらく、今のままでは達成できない。なので、そこに気づいた人から連携して変えていかないといけない。あなたは、どうやって自分の命をつないでいますか?その食べ物を食べることは、あなたにはいいけど、地球には毒だとしたら、食べ続けますか?というようなことを伝えながら、少しずつです。
地球は1個なのに、今、日本人は、2,9個の暮らしをしている。日本人が最後に、地球1個分の暮らしをしていたのは、 1960年(昭和35年)まで。SDGsは、地球1個の暮らしに戻ろうといっても、私より下の世代はその暮らしを知らない。それを知っているおじいさん、おばあさんに暮らしを学びながら、自分の命と未来を考えていく。岡山県下ではじまっている「地域学」は、地域の事だけでなく、昔のことを学ぶものでもあるかなと思っている。ボタン押して風呂に入れるんじゃない、水を汲んできて、薪を割って、そんなことしながら暮らしていた。そういうことも知りながら、未来を考えてもらうといいかなと。

巻尾 私は2030年という目標を達成しようと思ったら、罰則を設けて、法制化してやらないといけないのではと思うわけです。一人ひとりの生活を変えようと言っている人は、 本気で変えようと思っているの?というのが、これが一般的な見方だと思うんですよ。先ほどの話のとおり、ESDが広がらなかったのは、自分の生活が問われるからですよね。SDGs は、自分はガソリン車に乗って、うなぎやマグロ食っているけど、どっかでちょっと目標についてやっていれば、語れるわけですよね。企業も同じで、たくさんの企業が SDGsを掲げて目標達成のためにこういうことをやっていますと言っている一方で、とんでもないことやっているところもおそらくあって、そういう矛盾は、なかなかスッキリしないなと。そこはちょっと胡散臭いというか、そういう気持ちで、おそらく一般市民もそうでないかなと思っています。

小桐 世界は、脱炭素化に向かっている一方で、日本の金融機関が石炭産業への融資総額で世界第1位で、3メガバンクが2回連続でトップを独占しているんですね。その企業が一方で森づくりをしているんです。まさに言われるとおりです。

企業は、特に「SGDsをウォッシュ」が多いです。でもやっぱり今、環境に取り組んでないけども、ちょっとずつ取り組んでいただく。それを社員みんなで理解してもらって、こういう方向に行くんだから、やらないといけないよねと思ってもらう。一人の100歩も大事だけど、100人の一歩だと思うんです。確かに遅いんです、巻尾さんの言われる罰則、法律そのとおりだと思います。でも、抜け道はいくらでもあるので、罰則を作るより、みんなが本気になれるような、こっちの方が楽しいし、豊かだよねと思える、パラダイムシフトにどう持っていけるか、その場面を作るためのつながり、出会いとかかな。

巻尾 市民活動は、100人の1歩が大事という考え方が大事だとされていますが、本当に喫緊の課題であれば、そんな悠長にやっていられるの?という疑問があって、一人一人が生活やシステムを変えるまで待っていられるのかと。本気でやるのであれば、やはり法制化だと思うし、そういう考え方の方が一般的ではないかと思います。
あともう一つは多様な意見を尊重するということですし、だから僕も、こうした個人的な意見を言ってもいいと思って言っているんですけど、例えば、発展途上国での児童労働の問題。家の仕事の手伝いで勉強できない子どもたちはかわいそうだから、子供は教育を受けさせなきゃいけないというのは、先進国が勝手に価値観を押し付けるようにも見えるんです。SDGsも、価値観の平準化みたいなことをやっているんじゃないかとも思っています。

―こういう意見は、SDGsの会議や研修で話にでますか?

小桐 岡山ではほとんどないです。国際協力とか、海外支援の分野では、話題に出ますね。私が企業にいたころは、ACEというNGOと一緒に、児童労働があるところを、変えていこう、押し付けというよりは、親が借金をして、その返済に駆り出されるという現実があるので、それについては、社会で変えていこうという動きですね。

室 そうですね、問題は、学びたいけど学べない子供達ですよね。

小桐:児童労働の問題は、換金作物です。私たちが甘いチョコレートを食べる、安いファストファッションを着ている、それが前提なので、児童労働を止めるのには、消費者である私たちがその現実を知らないといけないという話です。

―消費者が変わるのか、企業が変わるのか、両方なんでしょうけど。そもそも、多くの人は昭和30年代の暮らしを考えている余裕がない。子育ての真っ最中の私からしても、風呂は巻き割りからなんか無理なわけですよね。そうしたSDGsを考える余裕のない方が置き去りにされているのか、岡山のSDGsを推進している人の中では、そのあたりはどうですか? 

室 もともと、関心が持てないのか、情報に触れる機会ないのか分かりませんが。そういう意味で教育っていうのが重要だと思います。日本の場合、均等には情報が伝えられるシステムにはなっているので、その中でいかにこういうことに対して、正しく伝えることができるかは大事だと考えています。
もう一つは、行動を起こす、自分が何か働きかけることによって、社会が変わるというふうに思っている日本人って世界で見てもかなり低いとか。その意識を変えていけることに取り組んでいかないと、いろんな面においてこれから先の課題しか残っていないような世の中で変わっていかないんじゃないのかなと思っていますね。

企業の関わり方を問う

―動けば変わるんだよっていう実感の持てる社会というのは重要だと思います。先ほどの1人の100歩より、100人に一歩の考え方は大事ですが。そうはいっても、影響力を考えれば、企業の一歩は大きいですよね。岡山の企業の本気度は、どう考えていますか?

小桐 私は、中小企業出身だし、そこしか付き合いがないんだけど、これからは地方の時代と言われているし。幸せの価値観というのは、現場がある地方であって、ものを作らない、権力志向の人が集まっていたり、利権を争うためにやっている企業と大分違う。地元企業でかつ100歳超えて存続している企業のやり方には学ぶところがある。もう一つは、信念をもって、自社の理念を実行している企業、例えば、マスカット薬局さんは「薬を売らない薬局」なんです。薬漬けの医療をしていたら、社会保障制度は成り立たないから若い世代にツケを残す。そうじゃなくて自分たちのお店のある地域の人のために、かかりつけ薬局になって、薬を売るだけじゃない健康相談とか運動指導とかを進めています。長寿企業であったり、企業年齢が若くても、自分達の会社が何のためにあるのか、何のために仕事をするのか、わかった企業はいいのかなと。そういうところは、パラダイムシフトしています。そういうところは社員教育をすごくやっている。社会課題をどれだけ自分たちの事業の範囲に取り組むか、他人事をどれだけ自分事にできるかということを経営者が考えているところは、続いていくと思います。

―ローカルの可能性、教育が大事なところも分かります。都会に出て大企業に就職という流れはまだまだ強い一方で、都会と地方のステークホルダー(*組織の利害関係者)は違いますし、都会と地方は異なる価値観でつながっていると感じています。

室 そこはまさにそうです。大企業と中小企業かっていうところはあるかもしれないけど、経済同友会さんは、委員会をもって、勉強会も取り組んでいる。個々の企業さんの想いは当然あるけれど、中核になってやろうとしている方は、個々のことも、岡山全体としても考えているし、今のまま続けていたら、危ういことも分かっている。その辺り、企業からもアクションを起こしていることを考えると、岡山はまだまだ可能性があると感じています。
高校の立場からすると、色々な想いを持った高校生が大学進学で外に出て、大企業に入って帰ってこないことはあるんだけど、SDGsという切り口を通して、高校生が県内の企業と連携したり、高校のうちに企業と関わりを持ったりするようなことを進めていて、同友会でもそれに取り組む企業の紹介を冊子にして、県内の高校に配っています。
高校生が今の社会課題を解決するPBL(*Project Based Learning 訳:「問題解決型学習」「課題解決型学習」)を進めていく中で、解決しようとしている課題と関連するような活動をやっていたり、CSR(*Corporate Social Responsibility 訳:企業の社会的責任)を進めたりしている企業に聞きに行きやすい環境をつくっています。ここから企業と高校生につながって、何か起こっていくこともあるだろうし、高校生も、何か社会が変わると思って、地元の企業に入るようになる。そういう可能性は 信じています。

―そこは就職に近い世代の教育、価値感へのアプローチは、高校の大きな役割ですよね。

小桐 企業は比較的目がいきやすいけど、気になっているのは一次産業の従事者です。高齢化でどんどん少なくなっている。1960年(昭和35年)は100%国産の食べ物で9000万人が暮らしていたのに、今は、食料自給率は40%で60%を輸入している。一次産業という、自分たちが生きていくために必要な糧をどうしていくか。そこに、全然関係のない企業が農業を始めることはあっていい。岡山は、水産業の衰退が激しい。ダムができて、そこで栄養分と砂がとまって、これまでに1500ヘクタールの「アマモ場」がほとんど消失して、今残っているのは倉敷の下津井、漁師さん達が復興に取り組んでいる日生。そうでない地区は、どんどん減っています。


「アマモ場」の再生のような、循環可能な漁業を考えた海の環境の再生は、単純に栄養分が落ちているから海底耕耘すればいいという問題ではなく、全体のつながりを見て取り組まないといけないことです。企業は、そういったことを理解して入ってきてほしいし、今はそういう総合的な教育の場がないと思っています。

 私が矢掛町で環境教育を始めるときに、スーパーバイザーをしていただいた岡山大学の先生に「環境教育をするんだったら、ESDをやらないといけない。」と言われました。表面的な生き物の保護活動や自然体験活動じゃあ意味がないと。最初は全然わからなかったんだけど、確かその繋がりなんですよね。1か所だけを対処療法的に行っても効果ない。やればやるほど、もう矛盾だらけというか、ここもあそこもやらなきゃいけないと気づいてくる。でもそれが本質に繋がっていくので、掘り進んでいくというのはすごく大事だと思います。

小桐 第一次産業と私たちの暮らしを今後、どういう風にやっていくか。家庭菜園も一つの方法ですし、友達と田んぼをやるとか、畑やるとか、社会が生きていくために必要な生活の糧をどう得るか、地域ごとに考えて、企業を巻き込んでやっていく必要があるかなだと思います。

教育の可能性、大人から若者たちへ

 やはり効率化を進めると、弱くなっていく、効率化の見直しは必要だと思います。学校でいうと、どうしても町に人は集まっていって、大きな学校がより魅力的なものを発信できるけど、周辺地域の学校に人が少なくなると、学校は統廃合しましょうとなります。学校がなくなると、人が住めなくなってくる。一次産業の従事者って、岡山県で見てみても周辺地域に住んでいますよね。高齢化が進んで、後継ぎがいないなら、そこに次の世代が入っていかなきゃいけないんだけど、次の世代は、これから子育てをする世代です。そういう人が学校がない地域に進んで住んでいけるかって言うと難しい。だから、単純に小学校の人数だけで統合するのではなくて、地域バランスであったり、職業バランスであったりとかを考えていかないと。食べ物がきちんと自給できることと、学校の統廃合は、こうやって関連していて、単純に人数が少なくなったからと効率化するだけではいけないと思っています。

―それはすごくわかりやすい事例です。効率化による弊害は大きいですね。

小桐   昔は、百姓という言葉通り、なんでも自分でやっていたんですよね。

―今回、本質的なことを考えて、ヒントを得たいという思いでしたが、もう一点、教育の問題も話題になりましたが、私たちの世代のツケを子供たちに負わせるという一面があるという話になりましたが、それを踏まえて、子供たちに伝えるときに、大事にしていることはありますか?

室 そうですね、「我々が解決できなかったことを解決しないといけない君たちは大変だよ。」と。だから、今までと同じ学び方じゃあだめなんだと。今までは、たくさん知識を持ってれば、いい大学に入れて、いい会社に入ったら、定年まで行ってそれが成功パターンですよね、教育も含めて。もうそうではなくなっているけど、教育って、いまだそれのリピートを繰り返しているところがあって。もちろん、だいぶ変わってきているけど、いきなり大きい街中の普通科の進学校が、進学実績にこだわってませんということにはならないと思う。
本当に必要な力は何なのかっていうことを、一緒に考えていかないと。自分たちができなかったことを次の世代に渡すことになるので。解決するためには、この子達は、どんな力をつけておかなければならないのかはすごく考えます。だから知識をいくら持っていても、使えなきゃ意味がないし、その使い方、実際に問題をみつける。課題解決型の学習(PBL)。どう人とつながるのか、そういう経験をどんどんやっていこうという動きにはなっています。
岡山県は、他県と比較しても、地域とつながった「地域学」であったり、地域と連携した課題解決型の学習というのは、大規模な普通科の高校も含めて、かなり早い段階から取り組んでいるので、可能性はあると感じています。
我々、大人にできなかったことを何も考えずに渡すのではなく、どうやったらよいか一緒に考えて、じゃあどうやったらできるのか、力のつけ方、そこに協力して一緒に考えていかないといけないなと感じました。大人はそこにしっかり協力していくというか。

―センター長は、一般人代表として、抱えていた疑問が少しは解消されましたか? 

巻尾 そうですね、変わってきている若者もいるとは思います。経済の方にどうしても視点がいくんですが、多くの若者は、偏差値の高い大学に入りたいし、東大に行けるなら行きたい、給料をたくさんもらいたいと思っていると思う。本当に大切なことはこうだよって教育をやっているとしても、そう考えている若者の割合は、ムーブメントを起こすような割合じゃない気がするんですよ。ある大学の先生が「市民活動家になるような素養があった学生が、いたけど、都銀に行ったと」そんなもんだと思います。学生に、「月10万の給料で社会貢献できる企業と、月50万だけど、SDGsを無視した企業、どっちがいいと聞いたら、僕は後者をとる子が多いと思っています。

室 数でいったら多いでしょうね。

巻尾 SDGsを進めている人は、食いっぱぐれたことがない方が多い気がするんです。生きるために環境が破壊されようが、寒かったら森を伐って燃やすしかない。SDGsを語っているような人って、公務員に近いような、大企業とか収入が安定した場所に居て年金もらっていて、正論を語っていれば生きていける不安がないような人が多いんだろうなって感覚ですね。
   もう一つは、高校でSDGsを教える際に、自分たちで考えていけるような情報提供をしているかという不安があります。例えば、本当に地球温暖化は、CO2が原因で、人為的なのか。そうじゃないって言う専門家もいるし、そういう本もある。教える側の大人が一方だけの情報を押し付けるのではなく、本人が考えていくスタンスをとっていかないと怖いと思っています。

室 そういう意味では、ESDって良かったんです。常に反対側、裏側から、違う角度から見るという話しはしていましたね。まさに、SDGsの危惧するとこは、視点が一つになってしまうところはありますね。

巻尾 やはり、SDGsが価値観の平準化に向かっているんじゃないかという危惧はあります。

 先ほどの進学の話ですが、学習指導要領も、偏差値重視ではないと言おうとしている。社会全体、まずは保護者、地域の人、受験をこれからする中学校の先生、その辺も含めて変わっていかないと、モノサシを増やしても、はかられるものが一緒だったら、結局ダメだっていうところがあって。そういう意味で、例えば、保護者の方が高度経済成長期だったり、氷河期だったりで、もっと勉強しなきゃいけないという家庭だと、いくら今は学歴とかじゃないんだって言っても、「体験や課題解決型学習はいいですから、もっと試験問題をたくさん解かせて下さい」という話も当然あるわけです。
その人が持っているモノサシをとりあげて、変えるというのは難しいと思いますが、このモノサシで、はかった方がいい場合もあると、モノサシをたくさん持てるような、社会全体でたくさんモノサシがあるって理解されるような地域、社会全体にしていかないといけないと考えています。どうやったら学校がやっていることをきちんと評価できる複数のモノサシを持てるかなというのは、今、私たちのいる部署、高校魅力化推進室の課題でもあります。色々な魅力を発信しているんだけど、偏差値という一つのモノサシだけで測られたら、魅力的に映らないという、悩ましい問題ですね。

巻尾 それで言えば、例えそれぞれの学校が色々な魅力をアナウンスしていたとしても、現役の中学3年生に、朝日高校に行きたいって人が80%いたら教育の負けですよね。ざっくりな例えですが。

―だいぶざっくりですね(笑) これまでの話を聞いて、ゆうあいセンターとしては、SDGsを進めようという世の中のモノサシに対して、常に別のモノサシを示し続ける必要がある、伝えていく役割にあると思います。

巻尾 お二人の話を聞いて、自分をあえて部外的な立場において、言うんですけど、

―センター長ですけどね。(一同大笑)

巻尾 SDGsは、喫緊の課題があるという背景から広がったと思いますが、本来であれば、そこに行く前にやっておかないといけない社会の仕組み、考え方、伝え方が必要だなっていうことを感じました。今の時点では、当然、SDGsを平行しながら、やっていかないといけないと思いますが。

室 教育でいうと、SDGs は教材の一つでしかない。そういう意味では、今までの知識だけじゃ、生き抜いていけないというのは見えているので、どうやったら取り組んだことのない課題に向かっていける人を育てていくのか、それは大きい課題だと思います。

― このテーマは、まだまだ語ることがありますね。本日はありがとうございました。

当日の動画はこちらより

*当日の動画です。上記記事はこの対談を編集した内容になります。聞き手として、ゆうあいセンターで働く大学生スタッフも同席していました。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?