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お金はコミュニケーションツールである

note初投稿である。皆さんどうぞよろしく。

さて本題に入るが、私は無料サービスというものが嫌いである。最近はサービス業という業種が浸透してきたので「サービス」を「無料」と解釈する人は20世紀の頃より減ってきてはいると思う。しかし昨今、「無料」というキーワードで集客し、プレミアムな機能やら優越感に浸れる特典やらが欲しければそこからは有料、というビジネスモデルが目につき、懸念している。

かくいう私はITサービス――ITの特定の分野のスペシャリストとして顧客に知見や労務を提供し、対価を得るビジネスモデル――で飯を食っており、サービスという単語には敏感である。

冒頭の話に戻ろう。私が無料サービスというものが嫌いなのは、世の中のお金の流れが枯渇するからである。本来、お金はその額を問わず、空気のように社会を行き交うべきものである。1円、10円といった少額であろうともサービスへの対価を払う習慣が社会に根付けば、人々はお金を払うことが当たり前になり、世の中にお金の流れが生まれ、景気回復につながる。ところが無料、0円は良くない。人々が「無料で施しを受けるのが当たり前」という認識に染まったら景気は回復しないのである。景気が回復しないとどうなるか。老後の年金が期待できないし突然失業するかもしれないから貯蓄しよう、という風潮が浸透し、ますますお金の流れが枯渇する。悪循環である。

そもそもお金は貯めることではその価値を持たない。保有するだけではただの金属片や紙や、口座上の数字の羅列に過ぎない。対価となる商品やサービスに支払ってはじめてその価値が生まれるのである。お金は使うことで価値が生まれるツールであり、お金を貯めることは人間の活動の最終目的とはならない。

お金は人と人とをつなぐコミュニケーションツールである。誰かと一緒に食事をして交際費という名目で使われることもあるし、店で商品を買うためにお金を払うことで、買い手と売り手、またその先にいる生産者や家族とのつながりが生まれるのである。人と人とがつながるときに、そこにはお金の流れが生まれ、景気回復へのきっかけが生まれるべきなのである。

さてここまで読んでくれた諸兄諸姉に朗報である。幸いこの文章をもう少し下に読み進めると「サポートをする」というnoteの画期的な機能がある。あなたが握りしめている金貨が世界を変えるツールとなる画期的な機能である。ぜひとも積極的にご活用いただきたい。

note初投稿である。皆さんどうぞよろしく。

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