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作家の損益分岐点

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この記事ではKindle Direct Publishingを題材に、出版とお金にまつわる話を取り上げる。まずは「ベストセラー作家は遊んで暮らせるか?」という疑問に対する1つの見解を示し、続いて「作家自身が書籍の値段を決められるなら、いくらが妥当なのか」という疑問に対する1つの見解を示す。

ベストセラーの印税を推測する

私は本屋に行くのが好きだ。ただし読書が趣味というわけでもない。腰を据えて本文を隅々までじっくり読むような本は、年に1冊あるかどうかだ。私が注目するのは、「本の帯でアピールする発行部数」「裏表紙に記載された価格」「本のページ数」だ。本文を熟読することなく得られるこれらの情報(本文をデータと定義するならば、メタデータに相当する情報)が、私にとっては興味深いのだ。

たとえば、2020年のベストセラーにFACTFULNESS(ファクトフルネス)という書籍がある。

2020年9月18日に仙台市の丸善でこの書籍を見かけたとき、帯には「80万部突破」という記載があった。発行部数80万部という前提で、この先の話を進めてみよう。

続いて裏表紙に目を通す。この書籍は定価1,980円(税込)だそうだ。

そしてこの本のページ数。今回は正確なページ数を本屋で数えてこなかったのでAmazonに頼ることにする。Amazonに掲載されているページ数は400ページである。

ここまで判明している情報から、この書籍の印税(著者の収益)がどれくらいの金額になるのか推測してみる。ここからは想像になるが、1部あたりの印税は「税抜価格に印税率を掛けた値」になるだろう。印税率も出版社や著者のネームバリューによって異なるだろうが、紙の書籍であれば概ね6~10%程度が相場だろう。仮に印税率10%として計算すると、2020年9月現在は消費税率10%で、1部あたりの印税は
 税込価格1,980円÷1.1×0.1=180円
となり、発行部数80万部であれば
 180円×80万部=1億4千4百万円
という金額になる。実際には所得税がかかるので著者が手にする金額はこの値より少なくなると思うが、本記事冒頭の「ベストセラー作家は遊んで暮らせるか?」という疑問に対する見解としては、遊んで暮らせるとまではいかないかもしれないが、億万長者になるのは夢物語ではない、といったところだ。

本の価格はどう決める?

さてベストセラー作家を目指す意欲が湧いたところで、続いて本の価格にまつわる話を取り上げる。

残念ながら私には出版社に知り合いはいないのだが、日本国内の出版社を通じて紙の本を出版する場合、本の価格は出版社が過去の実績をもとに決定しているものと推察する。おそらくは出版社から作家に「文庫本で200ページ、執筆期間は3ヶ月でお願いします。弊社ではこの形態の書籍は伝統的に税抜800円としています。印税率は8%です。」というような注文が日常的に行われているのではと推察する。この注文に出てくる各種数値は「この作家であれば発行部数は○万部くらいが見込めて、製本や運搬や広告など各種業者に支払う費用は△円で、作家に8%の印税を支払っても出版社に利益が出る」という計算をした上で決めているはずである。発行部数が伸びるほど赤字になるようであれば出版社の経営が成り立たない。すなわち出版社が決める本の価格は、出版社を取り巻く事情によって決まってくる出版社の損益分岐点に基づくものであるだろう。

では1冊800円の文庫本の原稿を執筆する立場になった作家自身ははたして儲かるのか、という話である。原稿執筆に要するコスト(時間や労力、執筆作業中に食べるお菓子の費用など)と比べて、本が売れることで得られる利益の方が上回るのか、という作家の損益分岐点が、出版社の損益分岐点とは別に存在するはずである。

作家の損益分岐点

作家の損益分岐点を考えるにあたり、注目すべき要素を以下に示す。
作家の1時間あたりのコストを見積もる。これは、作家が1時間執筆活動に費やしたら、時給としていくらもらいたいか(執筆作業中に食べるお菓子の費用などを払うための財源としていくらもらいたいか)を考える、ということである。私はこのコストは1時間あたり2,000円という値をよく使うようにしている。2,000円という値に明確な根拠はないが、世の中のアルバイト代や、都道府県ごとの最低賃金よりは上回ってないとやってられない、という思いから2,000円ならば妥当だろう、と考えている。より厳密に見積もりたければ、あなた自身の1ヶ月あたりの生活費を、あなた自身が1ヶ月あたりの執筆活動に割ける時間で割り算すればいい。月給をもらう仕事に就いたことがあるのであれば、月給を1ヶ月あたりの勤務時間で割り算するという手もあるだろう。
書籍1ページを執筆するのに要する時間を見積もる。これは執筆活動の経験を重ねていけば、ある程度ざっくりとした時間が割り出せるようになるだろう。筆が早ければ数分か数十分レベル、じっくり考える傾向であれば数時間レベル、という見積もりになるだろう。
出版する書籍の見込み部数を見積もる。プロの作家であれば過去に出版した書籍の発行部数から「自分は本を出せば数万部は見込める」「自分は数千部は確実」といった感じで数万部レベル、数千部レベルというおおまかな見当がつくだろう。私のようなアマチュアで無名であれば、Kindle Direct Publishingを利用してAmazonに電子書籍を出版したところで「10部売れれば上出来、100部なんてありえない」といった感じだ。

たとえば下記の値を前提にする。
 今度執筆する書籍の総ページ数:200ページ
 今度執筆する書籍の印税率:8%
 作家の1時間あたりのコスト:2,000円
 書籍1ページを執筆するのに要する時間:1時間
 出版する書籍の見込み部数:10部

上記の前提の場合、200ページの書籍を執筆するのに要する時間は
 200ページ×1時間=200時間
そして作家の1時間あたりのコストが2,000円なので書籍を執筆することで生じるコストは
 200時間×2,000円=40万円
出版する書籍の見込み部数が10部なので1部あたりのコストは
 40万円÷10部=4万円
上記が書籍1部あたりの作家の損益分岐点であり、1部あたりの印税が4万円を下回ると作家としては損をしたことになる、というわけだ。印税率8%とすると書籍の税抜価格は
 4万円÷8%=50万円
となり、本屋でお目にかかることがないような高額な書籍となってしまう。価格を下げたいのであれば以下のいずれかの調整が必要だ。
・作家の1時間あたりのコストを下げる。ただし自分自身を安売りしてはいけない。低賃金で働くと顧客にアピールして身を滅ぼすのは世の常である。
・書籍1ページを執筆するのに要する時間を短縮する。1ページあたり1時間から0.5時間に短縮できれば書籍の価格は半額になる。ただし無理は禁物だ。
・自分に自身を持って出版する書籍の見込み部数をもっと高く見積もる。ただし夢を見すぎてはいけない。
・あなたに出版社との高い交渉力があるのであれば、印税率を上げる交渉をするという手もあるだろう。しかし出版社からすれば損をすることになるので実現は難しいだろう。

あなたが作家であり、出版社から「文庫本で200ページ、執筆期間は3ヶ月でお願いします。弊社ではこの形態の書籍は伝統的に税抜800円としています。印税率は8%です。」というような注文が来たときに、作家の損益分岐点と比較して税抜800円が安すぎると思ったら、注文を断ることも考えるべきだ。さもなければ書けば書くほどあなた自身が損をすることになるからだ。

Kindle Direct Publishingの場合

作家の損益分岐点について述べたところで、本記事冒頭の「作家自身が書籍の値段を決められるなら、いくらが妥当なのか」について触れる。Amazonに出版社を介さずに電子書籍を出版できるKindle Direct Publishingでは、その電子書籍の価格を作家自身が設定できる上、印税率(ロイヤリティ)を35%と70%から選択可能である。日本向けのAmazon.co.jpで電子書籍を印税率70%で出版する場合はその電子書籍の独占的出版権をKindle Direct Publishingが有する(Amazon以外からその電子書籍を入手できるようにしてはならない)という条件が付く。印税率をどちらにするか決めた上で、作家の損益分岐点を考慮して書籍の価格を決定すれば、妥当な金額なのだろうと思う。

さて、私がAmazonにて販売している詩集「ぼくらは寝ながら泳いでいる」という電子書籍がある。この書籍はAmazon以外では出版しておらず、印税率を70%に設定している。価格は税込1,000円である。

Kindle Direct Publishingでは1部あたりの印税は税抜価格に印税率を掛けた金額となる。消費税率10%であれば上記の詩集の1部あたりの印税は
 1,000円÷1.1×70%≒636円
である。「10部売れれば上出来、100部なんてありえない」に沿うならば、最終的な儲けは数千円といったところだろう。

なお、作家の損益分岐点について述べたところでこんなことを言うのもおかしな話だが、上記の詩集の税込1,000円という価格は作家の損益分岐点を考慮していない。この詩集はAmazonによると推定ページ数は28ページである。作家の損益分岐点に従って計算すると、どうやらベストセラーで400ページあるFACTFULNESS(ファクトフルネス)より高額な価格を、28ページの詩集に設定することになるらしい。各ページに美麗な絵を配したわけでもなく、事前に綿密なデータ収集をしたわけでもないので、FACTFULNESS(ファクトフルネス)より高額になるのはおかしな話である。では私が損をしないためにはどうすればよいか。答えは簡単である。ここまで読んだあなたが、上記の詩集を購入してベストセラーにしてくれればよいのである。おあとがよろしいようで。


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